口の上
八話程度で終わるので、どうか最後までお付き合い下さい。
「ば、馬鹿な!?」しばらく緘黙していた僕ではあったのだが……、流石にこれには反応してしまった。「英雄、こんな勝負は無茶苦茶だ! 実に理不尽極まる! わざわざ受ける必要は──」
……言いさして、はたと気付く。
恋人を人質に取られている彼には、元より選択肢などないということを。
「いいぜ、やるよ」英雄は迷わなかった。「やるけれど、仮に一万円相当の物を入れたとして、その余ったポイント……、九千円分は、次回の勝負に持ち越せるのか?」
「持ち越せる」ただし、とザクレンは続ける。「最大でも二回までだ」
「二回だけ……、つまり、三千円でマックス……、残りの七千円は無駄となる、か」訥々と己の理解を確認すると、英雄は「よし」と言った。「オーケー分かった。それじゃあ勝負を始めよう」
言って、二人は机を挟んで向かい合った……、早速始めようと言うのである。
「最初はグー! ジャンケン……」「最初はグー! ジャンケン……」二人同時だった。それで、その結果は──
「…………っ!」
英雄はグーを出し、ザクレンはパーを出した──つまり、英雄の敗北である。
「勝ったので、私が千円の紙幣を手にする」ザクレンはつづけざまに言う。「負けた貴様は自分で支払うのだ」
千円分の価値あるものか、自分のどちらかの腕をな、と結んで、ザクレンは醜く顔を歪めた。
「………………」英雄は自分の身体を検めた……、恐らく、使えそうなものを探るために。
英雄は、手始めにカバンから荷物を取り出した。
スマホ、モバイルバッテリー、ワイヤレスイヤホン、財布、読みかけの小説、小箱のようなもの、エトセトラエトセトラ……
財布は、その中身も含めて考えれば強力な戦力だし、スマホとその関連の諸々は、中古であることを差し引いても、かなり手堅い価値となりうる。
読みかけの小説は……、まあ、幾らかの足しにはなるだろう、決して完全な無価値とは言えない。
小箱は……、そもそもなんの箱なのだ、価値がどうとか以前の話である。
「………………まだ少し、心許ないか」
英雄はそう言って検めつづけた。
出てきたのは以下のものである。
腕時計に、靴。
上下の服は流石に勘定に入れないとして……、強いて言うなら、靴下とか?
「オイ、手を貸すのはありなのか?」僕は助け舟を出した。メガネのフレームを、人差し指でくい、と支えながら。
「なんだ部外者、いいわけないだろう」助け舟が二秒で沈没した。誘拐犯の癖に生意気である。
そのやりとりを傍目に、英雄は自身の戦力を着々と確かめていた……、財布から金を出し、札束と硬貨とで分類を進めている。
万札が一枚、五千円札が一枚、千円札は五枚……、もちろん、二千円札はない。
一方で硬貨はと言えば、五百円玉は一枚もなく、百円玉が四枚で、五十円玉が五枚ある。
十円玉は十一枚で、同じく五円玉が十一枚……、ラストの一円玉は七枚だ。
おそらくは戦力可視化の目的だろう、英雄は札束をつまんで、一枚づつ机の上に置いていった。
順番は、下から一万札→五千円札→千円札と、値段の下降に沿っている。
きっとあの『箱』に入れる際の、優先度を考えてのことだろう──千円札が一番上なのは、要求される値段に少しの無駄もなく、千円分の価値を支払える為なのだ……、無駄が少ない順になっている。
札束の例に倣い、硬貨の方も、逐次机の上に重ねていく……、もっとも、まとめても千円を超さない為か、その順番に規則性はない、てんでバラバラだ。
途中、各ポケットを一通り調べ直して、硬貨のチェック漏れがないか、確認したりもしたのだけれど、
「見つかりそうか?」
「うーん」
ポケットから抜かれた手には、奥底に眠っていたらしい小さな紙片がつままれていたくらいで──特にこれといった変動もなく──、順当にコインタワーが築かれていった。
そびえ立つ硬貨の塔。
己の戦力を確かめる指には、いくばくかの緊張感が備わっていた。
「…………ふぅ」
紙幣と硬貨を可視化し終えると、次にはその他の持ち物に取り掛かった。
先述した通り、戦力に数えられそうなものは、スマホ、モバイルバッテリー、ワイヤレスイヤホン、財布(さっき抜き取ったので中身は無し)、読みかけの小説、小箱、エトセトラエトセトラ……。
加えて、腕時計と靴。
最悪のパターンも想定し、衣服等も勘定に入れたら──机上に並べた持ち物には──それなりの戦力があるらしいことが分かった。
「なるほど」
総戦力、もとい総額は明らかとなった。
「最低でも、二万八百二十二円以上か……」
スマホやイヤホン等の持ち物は、価値の多寡が不確実故に、財布の中身からは差し引いての計算にはなるのだが……、それにつけても「まあまあ」である。
真剣勝負に「まあまあ」の公算で挑むのが、あまり良いとは思えないけれど、さりとて、最悪のケースを考えるにしたって──ジャンケンですべて敗北した場合──、十万割る千で百回ある勝負のうち、だいたい三割は耐える、という計算になる。
してみると、暗数としてのスマホ等の持ち物の価値も含めれば、その戦力は結構膨大と言えそうだ。
「あ……、でも違うのか」
「そう、仮に一万円があったところで、実際に意味を成すのは、そのうち三千円だけだ」つまり、と英雄は続ける。「実質的に、俺が確実に使えるのは、一万千八百二十二円」戦えても一割超だ、と彼は笑った……、苦々しげに。
「で、でもそれだって、あくまで最悪の想定だろう? 大丈夫! 実際はもっと楽に行けるって! 一万千八百二十二円はあくまでも、スマホ等の持ち物を差し引いてのものじゃないか! それに、相手だって……」ここで僕ははたと気づく。「……そうか、ルールを理解している仕掛け側が、準備を怠る訳がない……」きっとどこかしらで、大量の日本銀行券を手にしているに違いなかった。
「出来レースさ」それでも、と英雄は笑った。「それでも俺は、戦わなくっちゃ駄目なのさ」彼氏なのだから、と結んで、それでも英雄は、至って意気軒高だった。
僕はメガネのフレームを人差し指で持ち上げて聞いた。「勝算はあるのか……?」
「厳しいだろうな」英雄は実に簡単にそう吐き捨てた。
あとはもう、無言だった。
無言のうちに、さっき積み上げた札束の、一番上の千円を手に取って……、そして『箱』の上の面にある、開かれた口に、腕を──
「…………っ!?」
──突っ込もうとして、刹那躊躇する。
『箱』の上の面には口があるのだと、先刻そう表記したばかりだけれど、しかしそれは正確ではないらしく……、単に口があるばかりか、その口の上には──目が、
「み、見つめている! 口の上の目が、千円札を!」
ぎょろりと、不正を見張るように凝っと、手元を見つめているのだった。
「言い忘れていたけれど、もちろん不正発覚の暁には、相応のペナルティを課す」驚くほど冷ややかな笑みを浮かべ、ザクレンはこう言った。「腕の二本くらいは、当たり前に覚悟してもらうよ?」
「────ッ!!」流石の英雄もたじろいだようだった。
「無論、不正を見張るのはその『目』だけじゃない。私とて、箱に腕を入れる瞬間の、貴様の手元を見つめている……、努努ズルなど、しようとは思うな」英雄の顔を凝じっと睨め上げて、ザクレンは不敵そうに笑った。「……おっと、それだけでは確実とは言えないな……、設定を、「不正の存在を認めたら、すぐに両腕を噛みちぎる」ではなくて、「不正がないことを確認出来なければ、口を開かない」、そして「不正が確認出来しだい、魔力による攻撃で、口は開かず両腕を断つ」にしておこう。腕を噛みちぎらんとして、『箱』が大口を開けた瞬間、分類上は魔物であるこの『箱』に『金細工』や『十字架』を入れられては、まったく、たまらないからな」とも続けた。
「……………………っ!」
英雄が言っていたのはこのことか、とことこの段階に至ってようやく思い至る。
──一度それで滅ぼされたんだ。対策してくるに決まっている
コレがその対策!
「わかっていたことだけれど……、流石に厳しいな」
「厳しい? 公平なだけだろう」ザクレンは英雄に半畳を入れた。「発言は慎重に願うよ? サカキバラヒデオ」
わかったよ、と短く言って、英雄は『箱』による厳正な審査を抜けると、すぐに千円札を突っ込んだ。
自分の腕を両断するかもしれない口の中に。
評価・感想等、よろしくお願いいたします!