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緑と橙

「これ、お兄ちゃんに似合いそうって思ってブレスレット。大きくない?」

 リビングでスマホを弄っていたら、妹の環音が金属製のアクセサリーを渡して来た。

 手のひらに乗せられたブレスレットは、湾曲したプレート状の部分と、左右にチェーンの部分が伸びている。

「ん、大丈夫そう。ありがとう」

 手首には余裕あるが、完全に抜けてしまうまで行かないプレゼントを、手首を揺すり問いかけた。

「どうしたの急に?」

「ん~、いつものお世話になってるから。たまには?」

 ピンク色の頭を軽く横へ倒す妹。

「何で疑問形?」

「恥ずかしいからに決まってんじゃん!」

 追求された環音は顔を赤らめ、早口に言うとリビングを出て行ってしまう。

「もらったは良いが、呪いとかかかってないだろうな?」

 ちょうどテレビの夏の心霊特集で、近年の人気漫画から取って、呪物紹介なるものをしていた。

 環音の引っかかる反応のおかげで気になってしまう。


 夏休みもあるので、新雨はバイトに挑戦をしてみる事にした。

 バイト先は個人経営の喫茶店で、地域住民や年配の人には、そこそこ名の知れた人気店。

 マスター兼経営者は旦那さんなのだけれど、気ままに店を空けては行方不明になるので、実質マスター代理の奥さんが切り盛りしていた。

 新雨がバイトするのは、転校した鈴木黄乃と以前訪れた喫茶店TAiMU(タイム)

 いつ行方不明になるか知れないマスターが、毎度のことながら不在なのでマスター代理がカウンター兼厨房に立つ。

 新雨は同僚の女子緑原和美(みどりはらなごみ)と、一緒にバイトの先輩に仕事を習っていた。

 すると今日は、新人二人を同時に指導している先輩が、マスター代理の渡辺橙子(わたなべとうこ)に愚痴を零す。

「学生ばかり雇うから、毎年抜けた分の求人が大変なんじゃないですか?」

 先輩男子は短い髪に手をやり頭をかく。

 張り紙までしていた今回のバイト募集は、進学や就職で抜けてしまった人手の補充だった。

 彼の言葉を受けて見た目が若いオーナー代理は、年齢相応の仕草で頬に手を当てて困り顔を浮かべる。

「でもねえ、年寄りしか来ないから若い子居るとそれだけで喜ばれるのよ」

 細身にポニーテールの代理の言葉を受け、先輩は年配の多い常連の顔を思い浮かべた。

「確かにそうですけど。卒業する度に募集して仕事教えるのもどうなんですか? ある程度俺くらい続けられる人を募集したらどうです?」

 全員同じエプロンをする身体の前で、先輩は半袖から伸びる腕を組む。

「まぁ、理想と言えば理想よね。営業中に抜けても任せられるし。でも、長かったのも地元の大学を受けたからでしょ?」

「確かにそうですけど、来年には本校のある町に移動なんで心配なんですよ。お世話になりましたから」

「あら、まだそういうこと口にするには早過ぎないかしら? 二人をひとり立ちさせてから聞きたいわ」

 落ち着いた態度で言葉を返すオーナー代理。

 先輩はオーナーやオーナー代理など、目上の人や相手を見てちゃんと言葉遣いなどを使い分けている。

 なので、バイトの後輩に当たる新雨ともう一人の新人緑原和美(みどりはらなごみ)には、同年代の砕けた感じで接してくれた。

「今度遊ぶんだけど、来ない? 藤が居てくれるだけで良いから」

 なれてきた辺りから、略称で親しげに呼ばれ、先輩に誘われる様になった新雨。

「絶対藤は大学生にも通じるから。モテモテだぞ」

「で、本心は?」

 食器を洗ってる横から、肩をぶつけて来る先輩に問い返す。

「余り喋らない藤に集まって来た女子を、俺のトークで笑わせてチヤホヤされたい」

 言っては失礼だけれど、頭の悪い語彙力と発想にため息が出る。

「……はぁ、何でそんなに彼女欲しいんですか? 先輩は女の子とやりたいだけなんじゃないですか?」

 何となく相手は軽いノリなので、先輩にこれくらい言っても許されるだろうと返した。

「そうだけど何が悪い。少子高齢化の現代、性欲強くなくてどうするんだ。これからピークを迎えて、どんどん性欲が低くなっていくかと思うと今しないでいつするんだよ。藤は彼女欲しくないのか」

 アホな事を力説してないで、洗い物を布巾で拭いて欲しいと見やる。

「理屈は理解出来ますけど今は特に。気になる子が出来たら別ですけど」

 たぶん、それは一生ないと新雨は言える。

「イケメンなら取っ替え引っ替えだろ! 非モテの人間の気持ちなんて分からないんだ! 先輩のために女の子ホイホイになっても罰は当たらないじゃないか」

「突然切れるの止めてもらえます? 怖いです。それに嫌な言い方ですね。そもそも僕もモテた試し無いです」

 洗い終えて水切りカゴに置くと、先に洗った物から布巾で水気を拭き取って片づける。

「はい、うっそー、後輩が嘘つきました。モテないはずないだろ。藤の場合は気づかないというより、気づいてないフリとか相手にそんな素振りを見せない様に立ち回っているだろ? せっかくモテるのに、そういう事してそうで気に入らない」

 変なところで鋭いというか、嫌な絡み方で嫌気が差す。

「先輩、正直なのは悪い事じゃないですが、女の子が居る場所では発言に気を付けて下さい。それが先輩のモテない原因ですから」

 近くにぽっちゃり体型をエプロンで包む緑原和美がいる。

 本人が気にするほどではないと思うけれど、ぽてっとした唇や弱気な性格がコンプレックスと言っていた。

 するとカウンターの方から、知ってる声がして新雨の肩が跳ねる。

「にーちゃんを誘わないでくれる? 単なる遊びか合コンか知らないけど、にーちゃんがそんなところで楽しめるはずないでしょ!」

 見なれた薄ピンクの髪の女の子は、棘のある口調で先輩を叱り、険しい目を向けていた。

 そして怒られた本人は、大袈裟なくらい驚いた表情を返す。

「わっあっ!? 藤の妹ちゃん居たのか?」

 わざとらしい反応がより気に障った様で、カウンター席から睨む制服姿の環音。

「わたしはお客だよ。居たのとか失礼じゃないですか?」

「む、いらっしゃい」

 年下から言われて釈然としないのは、陽気な性格の先輩もさすがに同じ様だった。

「にーちゃんを誘わないで。先輩の様な馬鹿がうつったら、どうしてくれるんですか!」

 眉間にシワを増やし、カウンターに身を乗り出す。

 先輩は流しから数歩移動し、カウンターの内側から向き合う。

「何でそんなに俺にだけ辛く当たるのさ。みみちゃんとは全然じゃん」

 みみちゃんというのは、緑原和美の事で、名前の最初と最後から一文字取ったのが由来。

 名前を出された彼女は少し困った顔をし、小さく会釈してやり過ごした。

「これは先輩の価値に対する正当な態度です。あの人とは注文以外で話した事ないです。けど、にーちゃんには今のところ害はなさそうだし、今は見逃してあげてます」

 妹のどこから目線なのか聞きたい喋りに、そろそろ身内として注意するため、拭き終えた新雨はメニュー表を手に向こう側に向かう。

「えー、俺だって害を与えてる気は無いし、妹ちゃんにはお兄ちゃんを指導しているからお礼言われても良いと思うんだけど? 敬って欲しいくらい」

「先人てだけで敬って欲しいと言うのなら、それだけの人格や価値ある存在だと証明してから言って欲しいですね。にーちゃんは今のままで十分なので止めて下さい。変な道に引きずり込んだら、殺しちゃいますから」

 過激な言葉を使い、悪影響を与えない様に牽制する環音。

「藤、口を開く度辛辣な言葉でボロボロにされるんですけど。もしかしてツンデレか? 妹ちゃん、実は俺が好きでついついツンデレになってしまっている口か!」

 メニュー表を手に環音の横に立った新雨に、カウンターの中から芝居臭いトーンで聞かれた。

「本気で言ってるならロリコンで通報しますよ? マジで嫌ってるんです。そんな迷惑でしかない幸せな勘違いをする人が世の中にいるから、ダメなんです。ツンデレという概念をこの世界から消滅させたくなるくらい」

 渋い表情をする女子の本気な言葉。

「こら、先輩に何てこと言うんだ」

 すぐに新雨はメニューでピンク色の頭を小突いた。

 もちろん、先輩が冗談交じりなのは新雨は理解はしている。

 それが彼の性格に合った親しくなる方法の一つだとしても、無視できない事もある。

 とりわけ妹に関する事であれば。

 ちらりと新雨と目が合った環音は、メニュー表で叩かれた頭を手で押さえる。

「痛っ、店員が暴力振るった!」

 さして痛そうでもなく声を上げる妹に続き、流れる様に新雨が謝る。

「申し訳ありません。あれでも先輩なもので、他の人から言われると腹が立つと言いますか」

 頭を一度下げた。

「藤『あれでも』ってなんだ」

 後輩の発言に反応するが、二人のやり取りが続けられる。

「謝ってすぐ言い訳ですか? にーちゃん本当は悪いと思ってないでしょ? 謝罪する気あるんですか? もうこれはバイト終わりにわたしとデートですね」

「いえ、そんな事は……上の者にも謝罪させますので。ほら、先輩。後輩のミスをカバーして下さい」

 新雨はカウンターを挟んで、先輩に目でも訴える。

「一緒に謝罪お願いします。先輩」

 基本ノリの良い先輩は、普通にバイトに対して真面目で、仕方ないと出て来て後輩の隣に並ぶ。

 そして二人一緒に環音に謝り、顔を上げて満足そうな彼女の表情を目にしーー先輩はハッとする。

「あっ、お前、妹に俺を謝らすためにわざとメニューで叩いたな……このシスコンめ!」

 そう新雨の方が低いが、ほぼ同じくらいの身長の先輩に睨まれた。

「何の事ですか?」

 惚けて首を傾げ、環音と目を合わせてニヤリと二人して笑う。

 周りを見てもオーナー代理も他のお客も、気にした様子は無く、止めに入らなかった時点で全員不穏な状態ではないと分かっていた。

 オーナー代理に仕事を教わる緑原和美も、先輩の一連の出来事を見ていたけれど、特に止めに入らなければとか気まずげな様子もない。

「まさか、皆気づいて!」

 わざとらしい仕草で、先輩は悔しがりその話題に区切りが付いた。

 環音は新雨のシフトが入っている日は、ほぼ来店して仕事姿を眺めていた。

 知り合いがバイトの様子を見に来るのは珍しくなく、緑原和美の女子友達も始めた頃に来ていた。

 その時に新雨の耳に何か不穏な会話が聞こえて来たが、聞き間違いと思う事にしている。

『先輩と同期くんの組み合せ最高なんだけど!』

『そう? 私はすでにそのステージは卒業したわ。先輩と、あそこでコーヒーを飲みながら新聞広げる常連さんの組み合わせが正義よ。同期の藤谷さんじゃ、青春ラブコメか百合にしかならないじゃない?』

『確かに! 言われてみると、そうとしかもう見えない!』

 そう緑原和美と友達の声を抑えた会話が、店内に流れる音楽の合間からところどころ聞こえた。

 緑原和美のそういう部分は、普段話す相手が居なければ、仕事中に顔を見せる事は無い。

「えー、ラテアートとかないの?」

「昔ながらの雰囲気を大切にしているお店だからね」

「でもシート状ので、浮かべるだけってのもなかったっけ?」

 環音が注文したラテを用意すると、そう新雨は答えた。

 しかし、別の真相をオーナー代理が教えてくれる。

「ラテアートね。昔流行った時は出来る子が居たんだけど、今は誰も出来なくてね。それに、ほら、年齢高めだから無くても誰も気にしないから。お腹に入れば全部一緒ってね」

 確かにもう夏休みになるけれど、平日の夕方以外に土日も入ったが、ほぼ十代の姿は無かった。

 親につられてと、その延長で今も通ってる大学生くらいの人が数えるほど。

 そしてお客は平日より、やはり休日の方が多かった。

 オーナーは気分しだいで出かけて行方不明になるから、人は欲しいと言うオーナー代理。

「俺、妹ちゃん良いと思うんだけどな。実際学校でモテるでしょ? 藤と一緒で」

 ラテを飲み終えるくらいの頃、嫌われてるにも関わらず、手が空いた先輩がそう環音に言う。

 すると妹はもう睨み疲れたのか、日常会話をするみたいに平然と訪ねる。

「死にたいって意味に捉えて間違いないですか?」

 この喫茶店では鮮やか過ぎる薄ピンクの髪に制服姿、何でもない様に言われると、普段明るいので逆に怖い印象を与える環音。

 しかし、打たれ強い先輩は、男子がしても可愛くない泣き声を上げる。

「うわーん。妹ちゃんにいじめられて俺辛いよー! だから今度の遊び新雨も来てよー! 参加なー」

 空いたテーブルを最後に拭いていると、背中に勝手な約束が飛んできた。

「僕を巻き込まないで下さい」

 顔を上げずに文句を返し、最後に布巾の綺麗な面で全体を仕上げ、テーブル周りの物を定位置に直す。

「にーちゃんに悪影響しかないので殺しますよ」

「すぐ殺しますよとか言っちゃダメだぞ。せっかく可愛いのに男子が逃げてっちゃうだろ。告白とかされてるんじゃないの?」

「そんなのどうだって良いじゃないですか。関係無いんですから」

「お、その答えは当たりだな。でも、断ってる反応だ。誰か好きな人居るんじゃないの? 藤も妹ちゃんが好意を寄せてる相手気になるだろ?」

「……答え辛いこと、振らないで下さい。妹の好きな相手の事なんて聞きたくないですよ」

 新雨は眉をひそめた。

「ほら、にーちゃん困らせて死にたいんですか?」

「藤、妹ちゃんブラコンだー!」

 先輩の軽口は聞き流し、緑原和美と確認し合いながら仕事をする。

 早めになれて欲しいというマスター代理の言葉もあり、出来るだけ出勤していたので、彼女と顔を合わすのももう慣れた。

 すると緑原和美がレジで困っている姿があり、一番近くに居た新雨が助けに入る。

「これどうだったけ?」

 隣に並ぶと小声で聞かれ、小声で返しながら指先で説明する。

 出来る自分がやるのではなく、やり方を教え合う。

「それは……」

 無事に精算が済み、対応が遅くなった事を二人で頭を下げた。

「「ありがとうごさいました!」」

 やはり他人と同じ事をすると、共感とか嬉しさを感じると改めて思った。

 彼女がそっと見上げて、新雨にお礼を囁く。

「ありがとう。助けてくれて」

「どういたしまして。普段触れる街のセルフレジと違って、昔のレジだからちょっと覚え辛いよね」

 オーナー代理やすぐ喋る先輩に聞こえない様に、隣の彼女にそっと囁き返す。

「うん……!」

 目を見開いて共感し、レジで焦って固まった表情を綻ばせた。

 そして次は、新雨を緑原和美が助ける番がやって来た。

「はい」

「ありがと。手伝ってくれて」

 盛り付けだけだけれど、注文の入った二つのパフェを一緒に作ってくれた。

 彼女は小さく左右に首を振り言う。

「さっきは助けてくれたからお互い様だよ。それにオーナー代理から調理や味付け、藤谷さん苦手そうだからフォローしてあげてって。言われてたの。それに二つも一人だと大変でしょ?」

「そっか、自覚あるから助かる。ありがと」

 再びお礼を口にし、トレーにパフェ二つを乗せてテーブルに運んだ。

 無事に戻って来ると、カウンターに居た環音がお会計と言って立ち上がる。

「先帰るけど、ちゃんと寄り道しないで帰って来てね」

 レジを打っていると妹に注意された。

「僕は小学生か」

 一駅分しか距離が無い上に、遅くなれる施設は近場に余りない。

「今日のごはんカレーだって」

 お釣りを受け取りながら、環音が追加情報を口にした。

「だから僕は小学生か。別にカレーは好物じゃないから、誤情報を流す様に少し大きな声で言わない」

 すると何となく、予想出来る人物が割って入ってきた。

「藤んち、今日カレーなの? 俺カレー好きなんだよね」

 やはり来たかと内心呟き、ため息の代わりに言葉を紡ぐ。

「先輩は何でも好きそうですね」

「もし来たら、ルバーブの葉の生サラダをごちそうしますね。お代わりも沢山用意してあげます」

「おい、藤。妹ちゃん笑顔で怖いこと言ってるんだけど」

 嫌われてると自覚があるくせに話に入ってくるからと、新雨は先輩をフォローせず聞こえなかった振りで、営業スマイルを返す。


「先輩が居ない……気分が乗らない。常連さんも来てくれたのに」

 今日は元気のない緑原和美。

 元から大人しい性格なので、大きな声とか仕草が力強いという訳では無いけれど、雰囲気から覇気がいつもより無い。

「あぁ、藤谷さんじゃ青春ラブコメか、良いとこ綺麗な百合でしか妄想出来ないから、やっぱり先輩が居てくれないと……」

 若干フラフラしながら働く彼女。

 心配ではあるものの、呟いている内容が残念なので、余り真剣に心配出来ない。

 それとブツブツと喋っている内容は聞かなかった事にする。

 オーナー代理も新雨と同様、気にかけはするもまだ注意せず、様子を見るようだった。

 新雨が主に接客を行い、調理はオーナー代理。

 緑原和美は店の状況により臨機応変となった。

 余り今の様子の彼女を表に出さない様に、との配慮もあるのかもしれない。

 ピーク時間を迎えて忙しく立ち回る。

 オーナー代理はキッチンに張り付きいつも通り、緑原和美は臨機応変に。

 新雨は調理は出来ないので、ホールやジュースなど注ぐだけの飲み物やレジの対応など。

 緑原和美はオーナー代理の補助もして、カウンター周りが主になる。

 やはり外の気温が高いので、冷たいアイスコーヒーやかき氷などの注文が多く、コーヒーゼリーなど喉ごしが良い物も多く出た。

「緑原さん、ごめん。コーヒーゼリーも取ってもらえる?」

 冷蔵庫から物を取り出すところの彼女に、新雨は呼びかけた。

「分かった。クリームもいるよね」

 先に二つを手にし、新雨に渡す緑原和美。

「ありがと」

 お礼を早口に伝え、バットで固められたゼリーをフォークで荒く削る。

 そして茶色く半透明なそれを大きな匙で掬い、用意しておいた器に盛り、絞り器から生クリームを絞って添える。

 冷蔵庫にバットと生クリームを戻し、トレーに用意したコーヒーゼリーを乗せた。

 一緒に彼女に用意してもらったヴィクトリアサンドイッチとジュース、マスター代理が煎れたコーヒーをトレーに乗せ、カウンターを出る。

 店内はクーラーが入っているが、お客さんが寒くない様な温度設定なので、人の前に立つオーナー代理はもちろん、汗をかく。

「お待たせしました」

 まず一人で訪れていた常連男性にコーヒーゼリー、別のテーブルの男女にコーヒーとジュース、ヴィクトリアサンドイッチを静かに置く。

「ごゆっくりどうぞ」

 最近はケーキのスポンジにラズベリーソースを挟み、上に粉砂糖を振りかけただけのシンプルで、素朴なケーキが人気だった。

 物足りなければ通常は付けないトッピングで、生クリームやクリームチーズを用意する事が出来る。

 今日は店の外に列が出来ていないだけ、まだ救いはあった。

 忙しくはあるけれど。

 もし入店待ちがあると、席の準備が出来たら声をかけなければいけない。

 環音も夏休みに入ったら、毎日来るのではとバカな考えもしたが、そんな事は無く日々過ぎていく。

 新雨の勝手な予想だけれど、お小遣いの関係やバイト現場の雰囲気が分かったから、これまでの様に訪れる必要はないと判断したのだろう。

 新雨的には毎日来られても、仕事がやりづらくて仕方ないのだけれど。

 ピーク時間を終えて一息つける様になり、やはり緑原和美が気がかりだった様で、休憩に入る様に言うオーナー代理。

「はい。すみません、藤谷さんも」

「気にしないで。僕が調理出来ないのも忙しい原因だし、僕がいけないんだから。緑原さんの負担になってた訳だし」

 ピークも乗り越えて、二人で問題ないと言うと、彼女は頷いて大人しく裏に下がった。

『昨日友達と通話してて、ずっと喋れちゃうから中々終わらせるタイミングが見つからなくて……気づいたら夜中で。しかも夏って夜が短いから……』とか何とか。

 心配して聞くと、緑原和美はバイト中言っていた。

 新雨はまず呆れや怒りよりも、お喋りが尽きない友達が居る事に感心した。

 十数分経ち、完全にいつもの店内の状況に落ち着く。

 早めの晩ごはん代わりを食べに、お客が訪れる時間帯まで余裕があり、その間に食器の他にも細かい作業を済ませようと動く。

 先に済ませておけば、お客さんのタイミングによるけれど、準備する時間も生まれる。

 そうでなくとも一息吐けるみたいに、落ち着いて接客出来るだろう。

「一応待ちだけど、返事次第では緑原さんには、今日早めに帰ってもらう気でいるから」

 緑原和美が心配で、先輩に連絡を入れたオーナー代理は言う。

「そうですね」

 何か気の利いた気づかわしけな反応でもしめそうと思ってけれど、人に気を使うのが苦手な新雨は、それ以上続く言葉が浮かばない。

 普段から使わないので余計に。

「やっぱり減り早いな。注文しといて良かった」

「コーヒーですか?」

 オーナー代理の呟きに、新雨が問い返す。

「そう。アイスコーヒーとかゼリーとか、何やかんやで夏は消費するからね。用意出来たら連絡もらえるから、その時は取りに行くんだけど」

 別に今日の話では無いし、受け取りに行く時も、喫茶店の定休日でもいいと言う。

 更に時間が経った頃、オーナー代理が緑原和美の様子を見に奥へ引っ込んだ。

 その姿を新雨は見送った後、裏からその彼女がやって来た。

「大丈夫?」

「うん。心配かけてごめんね」

 休憩から戻ってきた緑原和美は、ちょっと力強く頷いて見せた。

「謝らなくて良いよ。皆疲れる時は疲れるし」

 休憩前が特別悪かった訳ではないが、表情も顔色もぽてっとした唇も、雰囲気もいつも通りで胸を撫で下ろす。

 二人とも時期的にそろそろひとり立ちで、全く会わない訳ではないが、これまでよりも顔を合わす機会は減るのだろう。

 大抵の仕事は出来る様になり、お互い教え合ったりなどは、この頃はほぼ無くなっていた。

 そんな事を考えながら仕事をしていると、聞き慣れない重く柔らかい様な音がした。

「?」

 新雨は音の方を振り返る。

 すると床に座り込む緑原和美の姿が目に飛び込み、駆け寄ったオーナー代理が背中を支える様にして声をかけた。

「体調、まだ戻ってなかった?」

 新雨から見て彼女は普段通りに見えたけれど、今の緑原和美は背中を支えているオーナー代理を失うと、倒れてしまいそうに見えた。

 質問に目の前の同僚は首を横へ振る。

「戻ったと思ったんですけど……急に。ごめんなさい。今ーー」

 両手を床について腰を浮かし、脚を持ってこようとするも、力尽きる様に尻もちをついてしまう。

「無理しないで。持病とか無かったよね? 学校で良く体調不良になったりだとかは?」

「いいえ」

 再び首を横へ振る。

 新雨はグラスに水を入れ、今の状況に焦って見える彼女に差し出す。

「落ち着いて。大丈夫だから」

 膝をついて相手と目線を合わせる。

「ありがとう」

「お礼はいいから」

「送ってくよ。家でも病院でも」

 そう言ったオーナー代理の判断と動きは早かった。

「藤谷さん、貴方は表の札をクローズにして来て」

 床に座り込む彼女の背中を、優しく摩りながら指示を出す。

 新雨が表に行っている間に、緑原和美の母親と連絡を取り、一応病院へ行く話になった。

 連れて行き現地で待ち合わせとの話になり、倒れるという表現が正しいかわからないが、初めてらしく心配そうな声だった。

 スマホを耳から離し、画面に目を落としたところで新雨が戻る。

「変えて来ました」

「ありがとう。今から私が緑原さんを送って行く事になったから、今居るお客さんが帰ったら新しくは入って来ないから店番をお願い。ちょうど先輩くんも来られるって、メッセージ来たから早く来る様に連絡しとく」

 流れる様に聞かされる話に頷く新雨。

「彼が来たら普通に営業出来るから安心して。マッハで来る様にも言っておくよ」

「はい」

 新雨が頷くとオーナー代理は店内に残っている常連の人たちに、調理が必要な注文は取れないと説明し、体調不良の緑原和美を連れて出て行った。

「……」

 変に緊張する空気が残され、不安そうな雰囲気が出てしまっていた。

「あんちゃん、店番頑張れよ」

「はい」

「オレらはのんびりしてるだけだから、空気と思って先輩を待ちな」

「ありがとうございます」

 そう言って常連の人たちは、新聞や本、スマホに戻っていく。

 オーナー代理が説明しておいてくれたのでプレッシャーが違うが、新雨が出来るのはコーヒーや飲み物、かき氷やパフェ、作り置きのケーキの提供は出来る。

 けれど店に一人だけというのは、マイナス思考になってしまい居心地が良くない。

 そわそわして常に手持ち無沙汰で、いっそ環音を呼んで気を紛らわそうかと悩んでしまうほど、落ち着かなかった。

 迷ってそうしなかったのは、妹に弱いところを見せたくない意地だった。

 無駄にテーブルを拭いたり、食器を揃えたり、帰る常連の会計を済ませたりする。

 しかし余裕が無いからか、急いた気持ちに対し、全くと言っていいくらい時間が進まない。

 秒針がやけに大きく聞こえ、時間という物を意識してしまう。

「ーーお代わり。コーヒーのお代わりを頼めるかい?」

「! ……はい、すみません。コーヒーのお代わりですね。少々お待ち下さい!」

 声をかけられてるのにも気がつけず、常連さんがカウンターまでカップとソーサーを持ってきた。

「ゆっくりで良いからね」

「はい……ありがとうございます!」

 常連さんは優しい言葉をかけて戻って行き、新雨はカップの乗ったソーサーを親指と人差し指で持ち上げる。

 まずはお湯を沸かす間に、コーヒーを煎れる用意に取りかかった。

 すると入口のベルが鳴り、新雨の肩が必要以上に跳ね、瞬間的に入り口ドアに目を走らす。

 男性が一人立っていて、手には大きめの紙袋を下げていた。

「あれ? 今日はもう閉店? 橙子さんは?」

 服では隠しきれない体格と低い男性の声。

「あのっ、すみません。橙子さんーーオーナー代理は急遽外さなければならなくて、店番が調理出来ない僕しか居ないので一時的に閉店させてもらっているんです」

「そうか」

「もし、飲み物や甘いものだけなら提供出来ますが……」

 画に描いた様な逆三角形の男性と顔色を窺いながら話す新雨。

「あと先輩が急いで来てもらえる予定なので、待っていただけるのでしたら通常通りの提供が可能ですが?」

 テンパりながらも、過去一頭をフル回転させて喋る。

「……」

「……はっはっは。すまんすまん。俺は橙子さんに頼まれてた、注文のコーヒーを持ってきたんだ。近くに用事があったんでな」

 新雨の様子を見て、遅れて状況を理解した男性。手に下げた紙袋を目で示す。

「じゃあ、橙子さんに連絡して確認してみるか」

 スマホをポケットから取り出す。

「あっ、体調悪くした子を送っているので電話しても出ないかも、です」

 操作する指を止めた男性は、数秒考える素振りを見せて笑う。

「不安にさせて悪かったな。近くに来たからって、勝手に持って来ただけだから帰るよ。橙子さんにはコーヒーの準備出来た事、伝えといてよ。じゃ、頑張ってな」

 軽く手を上げ、ドアベルを鳴らして男性は帰って行った。

 ホッと息を吐き、コーヒーを煎れる。

 飲めないけれど匂いは嫌いじゃない香りが鼻先を掠め、お代わりを常連さんに持っていく。

「お待たせしてすみません。コーヒーです」

「ありがとう」

 お辞儀をして下がり、未だ耳にベルの音が恐怖として響く。

「ありがとうございました。またお待ちしてます」

 憂鬱な気分で店番を続け、また一人常連さんを送り出す。

 食器の回収とテーブルを拭き、流しで洗い物を済ます。

「ふぅ……」

 ずいぶん時間が経った気がしたけれど、壁掛けの時計を見上げると一時間も経っていない。

 いつもは口遊んでしまうBGMも、今は全く頭に入ってこない。

 不意に再びベルの音が鳴り、反射的に入口を振り返る。

 そして人影が見えるやいなや、捲し立てる様に慌てて言葉を発した。

「すみません。人手の関係で、急遽一時的に閉店させてもらっています。どれほど後かは分からないのですが営業しますので、改めて来店していただけると助かーーあぁ、先輩か」

 新雨は相手の顔を見て肩の力を抜く。

「ーー遅いです。死にたいんですか?」

「ちょっ、俺マッハで飛んで来たのに! 帰るぞ」

 脇に抱えたヘルメットを被ろうとする先輩。

「待って下さい!」

 バタバタと背中を向ける姿に追いすがる。

「ごめんなさい。先輩の顔見たらつい……テンパってたもので……」

 せっかく駆けつけてくれた先輩に謝り、相手からの返事を待って息を詰める。

「このツンデレが。心細い顔してないで素直に『飛んできてくれてありがとうございます』とか『先輩の顔を見たらホッとしました』とか、かわいくそう言えば良いんだよ」

 いたずら半分の表情で歯を見せて先輩は笑う。

 それに応える様に新雨は口角を上げた。

「わぁ……先輩が居てくれれば、百人力だぁ……」

「無理矢理とか、心にも無いことを口にしてるみたいな言い方やめろ! 逆に傷つくから!」

 ヘルメットを持つ両手に力を込め、台詞に顔を引きつらせた後輩に叫んだ。

 入口の札をオープンに返し、オーナー代理が帰って来るまで先輩と二人店番をした。

 尺だけど心細くは無くなり、先輩も居る事で時間感覚が元に戻った。

 だいぶ経ち一人オーナー代理が帰って来る。

「安心して。彼女、点滴打ったら良くなったし、お医者の診察だと寝不足だって。親御さんもすぐ来て、今日は帰ってもらったよ」

「良かった」

 新雨は頷き、オーナー代理は駆けつけてくれた先輩に感謝を口にした。


 少し遅くなったバイトの帰り道。

「アイスと……リンゴゼリーないし、ごろごろゼリーでいっか」

 コンビニに寄り、モナカアイスとゼリーを買う。

 帰りが遅くなる連絡をしたら、リンゴゼリーのリクエストが返ってきた。

 街灯の灯る薄暗い道、モナカアイスを間食しながら帰宅する。

「お帰り、にーちゃん」

「ただいま」

 玄関に小走りにやって来る妹に、アイスと頼まれ物のゼリーが入った袋を渡す。

「リンゴゼリーは無かったから、ごろごろゼリーな」

「んー、ありがとう」

 洗面所で顔と手を洗ってリビングに行くと、母親が新雨の晩ごはんの準備を始めた。

「お父さんは?」

「30分前に連絡あったからそろそろじゃない?」

 ソファに身を沈めて聞くと、料理を温め直す母親が答えた。

「じゃあ、お父さんと一緒で良いよ。ちょっと休んでから食べたいし」

 点けられたテレビに目を向ける。

 画面の中では、これからでも行きたい夏休み観光地ランキングが流れていた。

 スプーンとごろごろゼリーを手にした環音が隣にやって来る。

「にーちゃん、あーん」

「えっ、何? いきなり」

 スプーンに掬われたゼリーが差し出され、普段しない妹の行動に疑いを持つ。

「恥ずかしいから良いよ」

「良いから。にーちゃん、今日疲れたんでしょ?」

 小首を傾げて見つめてくる瞳に、軽く今日の緑原和美が倒れた件を話す。

 聞き終えた環音は、そっかと頷く。

「腐ってる子だよね? 大変だったでしょ。はい、あーん」

「……あーん」

 ゼリーの冷たさと仄かな甘み、そしてフルーツの触感が広がった。

「環音……」

「何?」

「苦手なサクランボ押し付けたろ」

 妹は生のサクランボは良いのだが、皮に張りの無くなった缶詰やゼリーのサクランボは、触感が嫌だと苦手にしていた。

 唇の間から種を指で摘まみ、相手の瞳を見つめると、環音は目を逸らしてわざとらしく舌を出した。

「バレたか」


 後日、出勤した緑原和美に謝られた。

「先日はご迷惑おかけしました」

 彼女は先輩と新雨に頭を下げる。

「良いよ、そんな。僕が倒れたら助けてもらうし、緑原さんが元気に戻って来てくれただけで十分」

 新雨は彼女に会ったとき、謝られるだろうと考えていた言葉を返す。

「先輩も急いで来てくれたし」

「マッハでね」

「僕が一人だったのも一時間なものだからさ」

「俺が飛んできたおかげでね」

 一々補足を入れてくる先輩が煩わしいが、触れても面倒くさい未来しか見えず無視をする。

「でもーー」

「独り立ちする特訓だと思えば何て事ないよ。お客さんも少なかったし、気にするなら今後困ってたら助けてよ」

 まだ気にする緑原和美の言葉を遮った。

「そうそう、俺には女の子紹介してくれてもーーは冗談で」

 先輩は対応したお礼を口にして、途中で彼女の腐った友達を思い出したのか、言葉を止めて新雨を見やる。

「それより藤はマジで店番を一人でして、寂しそうな顔してたからさ。意外と顔に出やすいみたいだし、困ってそうだったら声かけてやりなよ」

「そんな顔してません」

「俺をお客さんだと勘違いしたあの時の藤、泣きそうな守ってあげたくなる顔してたけど」

「誇張は止めて下さい……!?」

 否定しつつも歯切れが悪く、飄々とした雰囲気の先輩を睨む。

「えぇ~、本当なのにな。俺と分かった一瞬の安心した表情、藤が女子だったら抱き締めてやりたかったくらいなのに」

「してません! 先輩はやっぱり死にたい様ですね?」

「何? 妹ちゃんのマネかい?」

 飄々とした口調で首を傾げる先輩。

 すると緑原和美が彼に注意した。

「先輩……藤谷さんが嫌がっているので、黙ってもらえますか?」

「え? どうしたのミミちゃん。急に」

 普段弱気な彼女が見せた強めの口調に、先輩は不思議そうな顔をする。

「先輩が言ったんですよ。困ってたら助けてあげたら良いって」

「言ったけど今?」

 まだ何かを言いたそうな表情をする先輩に、緑原和美は顔を寄せる。

「そうです。今です。じゃないと常連のオジサンと先輩で、薄い本にしちゃいますよ?」

「……ごめんなさい! それだけは勘弁して!」

 想像してしまったのか、青ざめて謝った。

 目の前の先輩の反応に、唇を小さく笑いの形にして緑原和美は言う。

「先輩、冗談です。そんなに嫌がるとは思わなかったので。ごめんなさい」

 そうして謝った後、新雨の外し忘れた手首に目を留める緑原和美。

「それペア物? そのブレスレット」

「?」

 言葉の意味が直後は理解出来ずいると、緑原和美は言葉を続けた。

「たぶんペアのブレスレットで間違いないと思うよ。クラスメイトに似たの着けてる女子が、周りの友達に自慢してたから」

 彼女はより覗き込んで、じっと見つめる。

「男女で色が違ったりデザインが一部共通してる以外、ペア物に見えないやつもあって。それだと思う」

「へぇ?」

「知らなかったの?」

「まあね」

 何でそんな物を? と疑問に感じながら、新雨には妹からもらった大事な物に変わりないので、外してポケットにしまう。

 濡らしたり、引っかけたりして壊したくない。

 ドアベルの音が鳴り、テーブルを拭き終えた新雨は、落ち着いた足取りでお客さんの元へ。

「いらっしゃいませ。何名様でしょうかーー」

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