平和の象徴
鳩は平和の象徴だという。その意味を、私は理解できなかった。
旧約聖書の言い伝え、有名な画家の話は知っている。しかし、だからといって平和の象徴が鳩である必要があるのか。
現実の彼らは、害鳥と言ってもいいレベルの所業を為す。
鳩は、事あるごとに人間の住処を襲撃する。もたらすものは平和ではなく、糞とそれに追随する掃除の時間と労力。
鳥は他にもたくさんいる。
スズメもいれば、ウグイスもいる。モズもいれば、メジロもいる。
可愛い鳥はたくさんいるのに、なぜ鳩なのだろうか。
私はその日、目を上げた。
ベランダから見える、向かい側のビルの屋上。そこを闊歩する二羽の鳩。
一羽は一息着くように腰を下ろし、首を窄め目を閉じる。
一羽は歩きながら、足元の何かを嘴でつついている。それから顔を上げ、くいっと首を傾げる。別の方角を向いたと思ったら、ぐんと伸ばし、また首を傾げた。
そんな彼らの背後では、雨が降るのだろうか。雲が足早に流れている。
鳩と雲。
まるで、今日がなんでもない日のように思えてくる。
ああ、そうだったのかと得心した。
例え、私がどれほど日常に忙殺されようとも。喉が腫れて痛かろうとも。物価高で食費が圧迫され、今日の夕飯をどうしようか悩もうとも。これから先、自分の力ではどうにもできないことがあって、無力感に苛まれようとも。
彼らが変わることはない。
ただそこにいて翼を広げ、飛び立ち、また戻ってきては足元の草を啄み、時には羽を休め、首を傾げる。
朝日が昇り、鳥が囀り、風が木々を揺らし、日が地を照りつけ、雨が地を潤し、花々が輝き、日が沈み、また昇るように。
彼らが変わることはない。
私は椅子を引っ張ってきては窓辺に置き、腰を下ろした。
今日も鳩は、そこにいる。