参 鬼
「おや、聞こえなかったかな?ではもう一度言おう…」
「いえ結構です、ちゃんと聞こえてました」
あの冗談だろと言いたくなる話の事だろうか、ならそれはしっかりと聞こえた。
だが、普通そういうことは庶民に頼むものではない。目の前に居る男は一体何を考えているのか…凡人の津吉子には分からなかった。
そもそも陰陽師の仕事なんて人生で一回もした事がないのだ。まあ、したくもないが
(私を揶揄っているのか?)
頭に疑問符ばかり浮かぶ、そんな津吉子の反応を楽しんでいるのか晴明様は唯にこにこと微笑むだけだ。
だがこうやって考えていても時間が徒に過ぎていくばかりだろう、津吉子は一旦考えるという行為を止めた。
「津吉子、貴方は私と同じ匂いがする。修行を積めば良い陰陽師になるだろう」
晴明様の杜若色の髪がさらりと彼の頬を撫でた。今まで気付かなかったが、よく見ると整った顔立ちをしている。細くきりりとした瞳に腰辺りまで伸びている髪は一見女性だと見間違えそうだ。
ふと晴明様の細く白い指で自身の髪を耳にかけた。その仕草を津吉子はじっと見つめる。
(本当にこの方は男なのだろうか…)
なんとも馬鹿らしい考えだが、津吉子がそう思ってしまう程彼の姿は艶やかだった。
「あの、私は唯の庶民の娘ですよ?晴明様の仰る意味が……」
それがやっと出てきた言葉である。津吉子は普通の庶民の家に生まれた娘だ。貴族でも天皇でもないし、彼とは今までなにも接点などなかった
だと言うのに同じ匂いがする。とはどういうことなのか、いまいち理解が出来ない
「そうだね…津吉子はあれが見えるかな?」
困った。と言いたげな顔を見せた晴明様は、突然自身の横を指さした、見ろということなのだろう
向くとそこには何かが居る。だが分からない。猫にも見えるし他の動物にも見えるそれは多分妖だと直感で感じた。
これを見て何になると言うのか…と考えた瞬間、津吉子はそういう事かと理解した。
何故自身が陰陽師の素質があるのか、それは多分これが見えてしまうからだ
津吉子が唯一他の庶民と違う所があるとすれば、人ならざるものが見えてしまう事だろう。晴明様はそれが分かっていたのだ。なんて恐ろしい人なんだこの方は…
だからと言って仕事を手伝うなんて無理に決まっている。厄介事はごめんだ、そんな津吉子の心情を察したのか晴明様の笑いを堪えているような声が聞こえてきた。
「やはり見えたか……この仕事を請け負ってくれたら報酬は弾むだろう」
微かに津吉子の耳がぴくりと動く。恐る恐る彼の方を見れば、相変わらず笑みを浮かべていた
この人は本当に性格が悪い、金欠な津吉子にとってその言葉はとても魅力的に思えてしまう。
どちらかといえば慎重派な津吉子も少しくらいなら、と思ってしまう程、人間とは極限状態までくると思考が停止するのだと改めて実感した。
「その話、本当ですよね…??」
「私は嘘をつかないからね」
そんなこと口先だけなら幾らでも言える。だが、なんとなくそれは本当なのだろうと思えた
津吉子は溜息を吐く、この先どんな事が待ち構えているのかは分からない。けれど晴明様が守ってくれるはず…多分
まあ、乗り掛かった船だ。このまま彼を信じてみるのも面白いかもしれない
津吉子だってまだ好奇心旺盛な子供なのだ、目の前に新しい玩具があったら飛び付いてしまう
「良いですよ、陰陽師でもなんでもやってやりますよ」
「そう来なくちゃ、じゃあ改めてよろしくね津吉子」
そういえば、晴明様は何故自身の名前を知っているのだろうか?
そんな事を考えるも答えは出なかった