第166話「魔法少女スカイキャット」★
「おいしー! 生地はもっちもちだし、チョコとバナナとクリームの絶妙なバランスがたまらないね! ほら、空くんも食べてみなって!」
「う、うん。……もきゅもきゅ……あ、本当に美味しい……!」
放課後。僕は花ちゃんと一緒に駅前のクレープ屋に来ていた。
本当は木咲さんも一緒に来る予定だったんだけど、急にモデルの仕事が入ってしまったらしく、泣く泣く帰ってしまったので、今は僕と花ちゃんの二人きりだ。
「空くん、ほっぺにクリーム付いてるよ」
「……あ」
花ちゃんは僕の頬についたクリームを指で掬うと、そのまま自分の口に運ぶ。
……この子は僕に対して、こういうことを平気でやってしまう。小さな頃ならよかったけど、もう僕たちは六年生なのでなんだか気恥ずかしい。
「恥ずかしいから、そういうのはやめてよ……」
「え~? なんで?」
「だって……僕も一応男の子だし……花ちゃんクラスの他の男子には、こういうことしないでしょ? だから……」
「でも空ちゃんだしな~」
えへへ~と悪戯っぽく笑いながら、花ちゃんは再びクレープを頬張り始める。
今と同じように、小学校に上がったばかりの最初の教室でも、僕たちの席は隣同士だった。
当初、花ちゃんは僕のことを女の子だと勘違いしていたみたいで、「空ちゃん」とちゃん付けで呼んで、女友達みたいに接していた。
僕が男だとわかってからは、呼び方は変えてくれたけど、何故か距離感は全然変わらなくて……昔からずっとこの調子だ。
それは高学年になって久しぶりに同じクラスになった今でも変わらず、こうして僕に気軽にスキンシップを取ってきたり、まるで小さな子供に対するみたいに過保護に接してきたりする。
……なんだか、こういうところは異世界から帰ってきた兄ちゃんにちょっと似てるかも。その……体型とかも、クラスの女子の中で一番兄ちゃんに近いし……。
「か、火事だぁぁーーーーッ!!」
クレープを食べながらそんなとりとめのないことを考えていた僕の耳に、突如誰かの叫び声が飛び込んできた。
声の方に視線を向けると、クレープ屋の正面にあるマンションから黒煙がもくもくと立ち昇っていて、そのマンションのベランダから小学校低学年くらいの子供が必死に助けを求めている光景が目に映る。
「おいおい! 昨日に続いてまたテロか!?」
「いや、マンションだしただの火事の可能性が高いだろう。しかし、消防車はまだか!?」
「きゃー! あの子、手すりを乗り越えようとしてるわ! パニックになってるのよ!」
「おい君! 落ち着け! 火はまだベランダまでは来てないだろ! そこにいれば大丈夫だ!」
下から野次馬のおじさんが大声で叫ぶが、子供はパニックになっているのか、ベランダの手すりによじ登って今にも飛び降りそうな勢いだ。
……ど、どうしよう。でも僕にできることなんてなにもないし……。
「ね、ねえ花ちゃ――」
おろおろしながら花ちゃんの意見を聞こうと隣を見るが、そこに彼女の姿はなかった。周りはいつの間にか大勢の野次馬で溢れかえっており、はぐれてしまったのかもしれない。
どうしようかと迷っていると、野次馬の隙間をかいくぐる様にしてこっちへ向かってくる一匹の黒猫の姿が目に入った。
「弟君、ここにいたのかニャ!」
「ニオ! 来てくれたんだね」
「うんニャ。町をパトロールしていたら、煙の匂いがするから駆けつけてきたのニャン」
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら僕の肩へと飛び乗ってきたニオ。
そして、こっちへ来いとでも言うように、尻尾で僕の頬をぺちぺちと叩いて路地裏まで誘導する。
「さあ、弟君。今こそ猫魔法少女になるときだニャン!」
「え、ええ~っ! ……そ、それはちょっと……」
「こんな状況で恥ずかしいだなんて言ってる場合かニャ? 人命がかかっているのニャよ?」
後ろを振り向いてマンションのベランダを見上げると、手すりを乗り越えた子供が転落するギリギリの状態まで身を乗り出していた。
あれでは消防車やレスキュー隊が駆けつけてくる前に、子供が落下してしまうかもしれない。
……もう迷ってる時間はなさそうだ。
「わかった。……僕、猫魔法少女になるよ」
「それでこそご主人の弟君だニャン! さあ、そうと決まれば、吾輩の肉球と手のひらを合わせるニャ!」
言われるがままに僕はニオの肉球に手のひらを合わせた。
すると、ニオの身体が光り輝き、やがて粒子状になって僕の身体に吸い込まれていく。
……そして、僕の着ていた服が光とともに消え去ったかと思うと、代わりに青と黒を基調としたフリル満載の可愛らしい服が身を包んだ。
同時に、猫耳と尻尾も生えてくる。
「……こ、これ。もしかして僕も兄ちゃんみたいに女の子になっちゃったの?」
可愛らしい服に、頭に生えた猫耳。そしてお尻で揺れる長い尻尾。
まるで、漫画やアニメに出てくるようなコスチューム姿の自分に戸惑いながら、小声でニオに話しかけると、何故か黒いニーソに包まれた太ももの辺りから聞き慣れた黒猫の声が聞こえてきた。
《……んにゃ、恰好だけだニャン。言ったはずニャよ? 猫魔法少女になると、外見はほぼそのままでフリフリのドレスに身を包み、猫の耳と尻尾が生える……とニャ》
「それってなんだか余計恥ずかしい気がしないっ!?」
《弟君なら、その辺の女の子が着るよりよっぽど似合ってるから問題ないニャン》
「それとなんで脚からニオの声がするのさ!? 普通こういうのって胸元の宝石とかから声が響いてくるものじゃないの!?」
《それは弟君の能力が脚に特化してる影響でこうなったのニャン。それより早く子供を救助するニャ!》
「そ、そうだった! でもどうやって……」
《今の弟君は、吾輩の得意な光と闇に加えて、火、水、風、土の四属性、合計六属性の魔法を使えるニャン。ニャが今は魔法の使い方を説明している時間はないので、固有能力で対応するニャン》
「固有能力?」
《猫魔法少女には個人の個性に合わせた固有能力が一つだけ備わっているのニャン。弟君の能力は"脚"に関係したものニャ。さあ、その脚で思いっきり地面を蹴ってみるんだニャ!》
「う、うん!」
言われた通り、アスファルトを踏みしめて、体育で垂直飛びの記録を計るときのように全力で真上にジャンプする。
――ドンッ!
その瞬間、地面が砕けるような激しい衝撃音と共に、僕の身体はまるでロケットのように空高く打ち上がった。
一瞬にしてマンションの屋上を飛び越し、下にいる人たちが豆粒のように小さく見える高さまで到達する。
「わ、わ、うわぁ! ちょ、ちょっとニオ! これどうやって降りるの!? こんなの落ちたら死んじゃうよ!」
《慌てる必要はないニャン。空を踏みしめるようにイメージしながら、足を空中に置くニャン》
「ふ、踏みしめる!? ど、どうすれば!」
あまりの高さに軽くパニックになりながらも、なんとかニオのアドバイス通りに足を空中に置くと、まるでそこに見えない床があるかのように、僕の身体は空の上に静止した。
恐る恐る足を前に踏み出すと、なにもない空間を足場に、悠々と空を歩くことができる。
「く、空中を歩けてる……!」
《それが弟君の固有能力"空海の遊泳者"だニャン。凄まじい脚力を誇り、空中を自由自在に駆け巡ることができる大空の支配者だニャン!》
す、凄い……本当に、まるで漫画やアニメの中のヒーローみたいだ!
思わず感動してその場でぴょんぴょんと飛び跳ねていると、眼下に見えるマンションのベランダで、男の子がバランスを崩して転落しそうになりながらも、必死に手すりにしがみついている姿が見えた。
そうだ! こうしてはいられない、早く助けないと!
急いでベランダに駆け寄ろうと空中を一歩踏み出した瞬間、下の方から野次馬たちの悲鳴と叫び声が響き渡る。
「こ、子供が落ちたぞぉーーッ!」
「きゃ、きゃあああーーっ!」
《弟君! 上空を蹴りつけて、急降下するニャン!》
「う、うんっ!」
飛び上がったときと同じ要領で、今度は何もない上空を思いっきり踏みしめて下へ向かってジャンプする。
すると、僕の身体は天空から降り注ぐ隕石のように凄まじい勢いで加速し、あっという間に自由落下する子供との距離を詰めて、その身体を空中でキャッチすることができた。
そのまま再び空中を蹴りつけて勢いを殺そうとするが、いつの間にか地面に綿毛のような物体が大量に敷き詰められているのが目に入ったので、それに着地して衝撃を和らげることにした。
綿毛は、まるでトランポリンのように僕の身体を優しく受け止めてくれる。
「あ、ありがとうお姉ちゃん。ボク……パニックになっちゃって……」
「ううん、気にしないで。怪我がなくてよかったよ」
本当はお姉ちゃんではないんだけど……。まあ、この恰好じゃ仕方ないよね。
男の子の無事に安堵しながら、彼をゆっくりと地面に降ろしてあげると、野次馬たちが一斉に歓声を上げながら僕を取り囲んできた。
「今の動きすげー! 君、新しい魔法少女!?」
「きゃー! かわいい~! ライトニングフラワーちゃんもいいけど、この子も凄くいいわ!」
「あの、サイン貰っていいですか?」
「名前はなんていうの? ねえ、教えて!」
……ど、どうしよう。正体がバレたりしたら明日から学校行けなくなっちゃうかもしれない。
ねえニオ、どうしたらいいの?
心の中でニオに助けを求める。前に彼女が言ってたけど、ニオと契約を結べば念話とやらで言葉にしなくても会話することができるらしい。
《猫魔法少女の衣装には認識阻害の効果が備わってるから、変身さえ解かなければ正体がバレる心配はないニャン》
そ、そうなんだ……。よかった……。
《それより子供は助かったけどまだ火が残ってるニャン。燃え移って広範囲に広がる前に、水魔法で消化するニャン!》
魔法……魔法か。本当に僕に使えるのかな……。
野次馬の波をかき分けて再び上空に駆けあがり、燃え盛るマンションを眼下に捉えながら、ゆっくりと深呼吸をする。
《心臓の部分から血液のように全身を駆け巡る魔力を感じるかニャン?》
「うん……なんとなくだけど」
《ふむ……どうやらご主人よりセンスがありそうな感じだニャン。では、その魔力を右手に集めて、それを水に変化させるイメージをするニャ》
全身を巡っている、ぽかぽかと温かいなにかを右手に集中させる。
すると、ぽわーっと手のひらが光に包まれ始めたので、それを水へと変化させるイメージを浮かべながら、兄ちゃんの真似をして詠唱してみた。
「水よ、我が呼びかけに応え、清き恵みを与えたまえ」
よし! いけそうだ!
そう思った僕は、燃え盛る炎の中心点に向かって右手を突き出しながら、高らかに叫んだ。
「アクア――」
「植物魔法――"ギガントサボテン"!」
しかし、僕が魔法を唱えようとした瞬間、背後から少女の声が響き渡り、いくつもの巨大なサボテンのような植物がマンション全体に咲き乱れる。
サボテンは炎に直撃すると同時に弾け、その身から大量の水しぶきを放出して、みるみるうちに火事を鎮火していく。
空中に制止しながらくるりと後ろを振りむくと、綿毛のような植物の上に乗った、ピンク色のツーサイドアップの髪型をした、僕と同じくらいの年に見える女の子がこちらをジッと見つめていた。
「……ニ、ニオ。あの子って」
《あの娘は今朝のニュースでも報道されていた魔法少女だニャン。名前は"ライトニングフラワー"。弟君の小学校を縄張りにする魔法使いでもあるニャン》
「え!? そうなの? でもあんな女の子、学校じゃ見たことないけど……」
《あっちの魔法少女衣装にも認識阻害の効果が付与されているみたいニャン。なので知っている人間でも声や容姿を別人のように感じてしまい、同一人物だとは気づかないニャン》
「ぼ、僕の知ってる人かな? ニオは正体わかる? あの女の子の」
《魔力の質から吾輩は正体を知ってるにゃが、魔法少女の正体を勝手にバラすのは御法度だニャン。知りたければ自分で本人から聞き出すことニャン》
こそこそとニオと会話しながら魔法少女ライトニングフラワーの様子を窺っていると、彼女は乗っている綿毛を動かして、ゆっくりとこっちに近づいてきた。
「……あなた、何者? 今までこの街で見かけたことのない顔だけど」
「え、あ……ぼ、僕? 僕は……」
「……僕?」
「い、いや! 僕というのは癖で! 決して男の子なのに女の子の恰好をしているわけでは……!」
「女の子なのは見ればわかるでしょ。……ただボクっ娘って本当にいるんだ、って思っただけ」
「そ、そうですか……」
……ボクっ娘じゃなくて普通に男の子なんだけど、わざわざ正体がバレるかもしれないようなことを言う必要はないよね。
「私は魔法少女ライトニングフラワーって呼ばれてるんだけど、あなたは?」
「僕は……えっと」
《弟君、バシッとカッコいい名前を名乗ってやるニャン!》
そ、そんなこと急に言われても……。う~ん、名前かあ。
「ぼ、僕は……ス、スカイキャット! そう、"魔法少女スカイキャット"だよ!」
「……スカイキャット」
《そのまんまだニャン……》
仕方ないでしょ! 咄嗟に思いつかなかったんだから!
僕の名乗りに、ライトニングフラワーは腕を組みながら訝しむ。なにやら考え込んでいるようだ。
「そ、それじゃあ僕はこれで!」
「あっ! ちょっと待ちなさい!」
同じ学校の子らしいし、このまま会話していたら正体がバレるかもと思い、空気を蹴りつけて急いでその場から立ち去ろうとするが、ライトニングフラワーは凄い速さで僕の後を追ってきた。
僕みたいに空は飛べないみたいだけど、建物の屋上から屋上へ飛び移って、あっという間に距離を詰めてくる。
「な、なんであんな動きできるの!?」
《魔力使いとしてのレベルが弟君より遥かに上だからだニャン。普通なら撒くことは無理ニャが……空は弟君の領域だニャン! もっと上空へ逃げるニャン!》
「わ、わかった!」
「ちょ、ちょっと! なにその能力、ずるいでしょ!?」
天へと続く階段を上るように空を駆け上り、徐々にライトニングフラワーと距離を引き離していくが、彼女は召喚した綿毛を足場にしながら尚も追いかけてくる。
「どうして追いかけてくるのさ!」
「そんなのあなたが怪しいからに決まってるでしょ!」
「僕は怪しくなんかないよ!」
……でも悲しいことに実際は怪しい! 男の子なのにこんな格好をしてるのがバレたら、もうお婿に行けない!
「待ちなさぁーーいっ!」
「う、うわぁぁーーーん!」
こうして僕とピンクの魔法少女との壮絶な追いかけっこは夕日が沈むまで続き、なんとか逃げ切った僕は、へとへとになりながら家路に着いたのだった。
 




