第164話「6年3組」
《昨夜、並木野市で発生した爆発事故の続報です。事故発生から一夜が明けた今朝、LWDによる犯行声明が公表されました》
サクサクの食パンを頬張りながら、僕はテレビから流れる朝のニュースを耳に入れる。
テーブルの向かいではお父さんが、隣ではニオが僕と同じようにニュースを見ながら朝食をモグモグと食べていた。
《声明によりますと、『これはダンジョンのアイテムがどれだけの危険と脅威を孕んでいるかを世間に知らしめるための正義の行いであり、ダンジョンをこの世から排除する為の崇高なる活動の一環である』とのことです》
「やっぱり母君の作るご飯は美味しいニャア。おかわりが欲しいのニャン」
「ニオはいつも美味しそうに食べてくれるから作り甲斐があるよ! ほら、おかわりいっぱいあるからどんどんお食べ!」
「ありがとうだニャン!」
お母さんはニオの前に、ほかほかの炊き立てのご飯と焼き鮭と味噌汁、それから漬物を置いていく。ニオはそれらを見て眼を輝かせ、尻尾をピンと立てて嬉しそうに食べ始めた。
兄ちゃんと姉ちゃんは異世界に行っているので、今この家には僕とニオ、それからお父さんとお母さんの四人しかいない。夏休みに兄ちゃんが異世界から帰って来てから、いつも賑やかだったので、なんだか少し寂しい気分だ。
《LWDは、オークションハウスに保管されていた七つの恩寵の宝物を、不特定多数の一般人に配布したと発表しました。専門家は、普通の人間に恩寵の宝物を与えて能力犯罪を起こさせることによって、ダンジョンが如何に危険な存在であるかを世間に知らしめ、世論をダンジョン排除の方向へと傾けることが目的であるとの見解を述べています》
テレビから流れる音声に、お母さんはフンと鼻を鳴らして不快そうにチャンネルを変えた。
「まったく……物騒な世の中になったもんだよ! 正義の活動だかなんだか知らないけど、一般人を巻き込むんじゃないよっ!」
「まあまあ母さん、落ち着いて。ニュースで言っていたけど、なんでも魔法少女なる存在が現れて、LWDが起こしたテロから市民を守ってくれたそうだよ。おかげで被害も最小限に食い止められたって」
「ふんっ、なかなか見どころのある若者もいるみたいじゃないか。魔法少女……やっぱりあたしも猫魔法少女になってみようかねぇ」
お父さんに食後のお茶を淹れたあと、ドカッと椅子に腰を下ろしたお母さんは、自分の分の朝食を食べ始めながらそんなことを言い出した。
ニオによると、確かにお母さんには猫魔法少女の才能があるみたいだけど……。
「前にも言ったニャが、猫魔法少女になると、外見はほぼそのままでフリフリのドレスに身を包み、猫の耳と尻尾が生えるニャン」
「……確かにあたしがなるといささかTPOを弁えない姿だけど、それでも家族や町を守れるのなら問題ないさね! ねえ、お父さんや空もそう思うだろう?」
お母さんの問いかけに、お父さんは苦笑いしながら僕の方を見る。
「う、う~ん……うちには高雄くんやニオもいるし、雫も異世界で修行して強くなって帰って来るんだろう? 母さんが無理して魔法少女にならなくても、きっと大丈夫さ。なあ、空」
「うん……僕もそう思う」
正直言って……お母さんが猫魔法少女になる姿はちょっと見たくないかな……。
僕とお父さんの答えを聞いて、お母さんは仕方がないとばかりに溜め息を吐いた。どうやら、魔法少女になるのを諦めてくれたみたいだ。
「まあ、あたしが魔法少女になるならないはさておき、そろそろ時間だよ。あんたたち! 今日も元気に行っておいで!」
「おっと、そうだね。そろそろ出ようか、空」
「うん、いってきます」
僕とお父さんは席を立つと、玄関へと向かい靴を履く。
どっしりと腕を組んで仁王立ちしているお母さんに見送られ、今日も僕とお父さんは学校と職場へと向かうのだった。
「ニオ、僕についてきて大丈夫なの?」
「家には母君しかいないし、ご主人や母君からも、弟君を最優先で守れと言われているニャン」
学校へ向かう道中、ニオは堀の上をテクテクと歩きながら僕についてくる。
ニオは家にいるときは二足歩行で服も着ているけど、外では基本、四足歩行で服も着ておらず、普通の猫のように振る舞っている。
トレードマークである二本の尻尾も一本に擬態しているし、服は魔法で出したり消したりできるみたいだ。
「にゃんにゃん、さっきの猫魔法少女の話ニャが……やっぱり弟君がなるべきだと吾輩は思うニャン」
「……僕は男だよ? いくら才能があるからって、魔法少女は恥ずかしいよ」
「猫魔法少女になれば、自分の身はもちろんのこと、大切な人たちも守れるニャン。それに、単純に魔法という不思議な力を扱ってはみたいとは思わないかニャン?」
「それはちょっと……というか、かなり思うけど……」
僕も兄ちゃんみたいに魔法を使って色々なことをやってみたい。
これがカッコいい変身ヒーローだったりしたら、僕も迷うことなく喜んでニオの案に乗っていただろう。でも、魔法少女は……ちょっとなぁ。
「一度吾輩と契約すれば、離れていても念話でいつでも会話できるようにニャるし、吾輩を召喚することもできるようになるニャン。危険な場面に遭遇したときも、容易く脱却できるニャン。いいこと尽くしニャよ?」
「う……それは確かに魅力的な提案だけど……」
前におかしな憑依男に我が家が乗っ取られそうになったときは、兄ちゃんが助けてくれて事なきを得たけど……もし僕が力を持っていたら、あいつをやっつけられたかもしれない。
そう考えるとニオの言う通り、家族の中で一番弱い僕が魔法を使えるようになるのが、最も良い選択だっていうのはわかる。
……だけど、やっぱり恥ずかしい。
「おっと、学校が見えてきたニャン。それじゃあ吾輩はこの辺で失礼するニャン」
「ニオっていつも学校の敷地には入らないよね」
「……弟君の通う小学校は、別の魔法使いのテリトリーだニャン。むやみに吾輩が顔を出せば、喧嘩を売ることになりかねないニャン」
「え!? そうなの? ……魔法使いって、それ大丈夫なの?」
「邪悪な存在じゃないから心配ないニャン。むしろ悪意ある者から生徒たちを守ろうという気概が感じられるニャ。なので学校の中にいる以上は、かえって安全とすら言えるニャン」
「そ、それなら良いんだけど……」
「でも、相手はご主人と吾輩を警戒しているみたいニャから、トラブルに発展しないように接触するのは極力避けておきたいんだニャン」
う~ん……兄ちゃんとニオは闇の魔法も使えるから、僕の学校にいるらしい魔法使いの人に警戒されているのかもしれない。
普通は闇魔法って、悪い人が使うイメージだもんね……。
「それじゃあ、また帰りの時間に迎えに来るニャン」
そう言い残すと、ニオは堀からジャンプして近くの家の屋根の上へと飛び乗り、そのまま自宅の方向へと去っていった。
ニオが去るのを見送ってから、僕は校門を潜り、下駄箱で靴を履き替えてから教室へと向かう。
プレートに【6-3】と書いてある教室の扉を開けて、自分の席へと着く。僕の席は一番後ろの窓際から二番目。
ふと、僕の隣……窓際の席に視線を向けると、そこには誰もいなかった。いつもは誰よりも早く学校に来て、静かに本を読んだり、窓の外を眺めたりしているあの子の姿がない。
「おはよう空くん。ねえ、花がまだ来てないみたいなんだけど……なにか聞いてる? ライソしても反応ないんだよね」
「木咲さんおはよう。ううん、僕も知らないよ。この時間に花ちゃんが来てないのって、珍しいよね」
クラスの中でもひと際目立つ女子、"木咲光貴"さんが話しかけてきたので、僕は隣の空席を見てからそう答える。
木咲さんは背が高く、とても大人びて見える女の子で、キッズモデルをしていて、ティーン向けファッション雑誌の表紙を飾ったことまである校内一の有名人だ。
また、空手の有段者でもあり、男子相手でもまったく物怖じしない性格から、女子からの人望も厚く、クラスの女子のリーダー的な存在でもある。
「光貴でいいっていつも言ってるでしょ?」
「女子を名前で呼ぶなんて、僕にはちょっとハードルが高いというか……」
「花は名前で呼んでるじゃん」
「花ちゃんは一年生のときにできた初めての友達で、そのときにそう呼んでたから今更変えるのも変かなと思って」
「ふ~ん……まあいいけど。あ、そろそろ先生来ちゃうから席戻るね」
木咲さんはそう言うと自分の席へと戻り、それから程なくして先生が教室に入って来る。だけど、隣の席のあの子が登校してくることはなかった。
◇
「よっしゃー! 休み時間だ! 男子は全員外でサッカーやろうぜ!」
二時間目の終了を告げるチャイムが鳴り、先生が教室を出て行くと同時に、僕の前の席に座るクラスメイトの"大垣将"くんがそう声を張り上げた。
彼はこのクラスの男子の中心人物で、木咲さんと同じくらい高身長でイケメン、スポーツ万能なうえにみんなを引っ張るリーダー気質もあるが、少し強引で悪く言えばデリカシーが無い性格をしている。
案の定と言うべきだろうか、将くんの前の席にいるひょろっとした体型の眼鏡をかけた男子、"小田駆"くんが、席を立つ気配を見せずランドセルからラノベを取り出して読み始めると、彼は後ろから小田くんの本をヒョイと取り上げた。
「小田、またこんな本を読んでんのかよ。たまには外で運動とかしねえと、筋肉がつかねーぞ?」
「ほっといてくれ。僕は身体を動かすのはあまり好きじゃないんだ。それにラノベを馬鹿にするのはいただけないな。この本は異世界転生モノの中でも特に人気作で、アニメ化も決定している傑作なんだよ」
「異世界転生だぁ~? そんなオタクくせー本を読むより、男なら少年ジャソプを読んで外で遊ぶのが一番だろ。ほら、行くぞ!」
「……ちっ、これだから体育会系と陽キャは嫌いなんだ」
小田くんは将くんから本を奪い返しながらブツブツと文句を口にするが、それでも将くんは空気も読まずに、強引に小田くんをサッカーに誘い続ける。
少しピリッとした空気が教室内に流れるなか、僕は将くんを止めたほうがいいのか迷っていると……不意に木咲さんが机を叩いて立ち上がった。
「ちょっと将! あんたうるさいのよ! そんなに玉蹴りがしたかったら一人でやってなさいよ!」
「……おい、光貴。今サッカーのこと玉蹴りって言ったか?」
「玉蹴りは玉蹴りでしょ。他になにか言い方があるの?」
長い髪の毛をバサッと払いながら、木咲さんは腰に手を当てて小馬鹿にするように将くんに言い返す。
すると、将くんは怒りで顔を真っ赤にしながら、木咲さんに向かってズカズカと大股で近づいていった。
……あ~、また始まってしまった。
将くんと木咲さんは、クラスの男子と女子の中心人物であると同時に、常に喧嘩をしている犬猿の仲みたいな関係だ。放っておくと取っ組み合いにまで発展することも多々あり、僕たちはいつもやきもきさせられている。
特に将くんは大のサッカー好きで、木咲さんは野球……というか野球のスーパースターである中谷選手の大ファンなので、サッカーと野球の話題になると、二人は千年来の仇敵のように衝突してしまう。
教室の外に担任の"古都奈枯"先生が見えたので、僕は彼女に目線で助けを求めるが、先生はさっと目をそらして足早に立ち去ってしまった。
古都先生は若くて美人なんだけど、事なかれ主義でいつもクラスの面倒ごとから逃げようとする困った先生だ。
「大体サッカーは野球と違ってつまんないのよ! 点もなかなか入らないし、国際大会ではすぐ負けるし、中谷選手みたいな世界的有名選手も出てこないし!」
「中谷が世界的有名選手? ははっ、野球なんて日本とアメリカだけで試合してるようなマイナースポーツじゃねえか。ヨーロッパじゃ中谷どころか野球ってスポーツ自体、殆どの奴が知らねえっての!」
「知らなかった? 日本人にとって世界ってのは日本とアメリカのことをいうのよ。日本とアメリカで有名であれば、それはもう世界で有名なの。そんなことも知らないなんて……あんた頭悪すぎ」
「な、なんだと!? はっ……ワールドスポーツのサッカーに嫉妬する野球ファンはマイナースポーツだってことが受け入れられないから、そうやって屁理屈を言うしかないわけだ。スタメンですら試合の半分以上を欠伸しながらベンチでのんびり過ごして、中年や腹の出たデブでもできるスポーツなんて、スポーツと呼ぶのもおこがましいぜ! あんなのスポーツじゃなくてレジャーだよ、レジャー!」
「な、なんですって!? ふ、ふんっ……ちょっとぶつかっただけですぐに痛がって転げまわるサッカーなんて、スポーツじゃなくて演劇を名乗ったほうが良いんじゃないの?」
「てめぇ! 痛い目にあいたいみたいだなぁ!」
「やれるもんならやってみなさいよ! 空手であんたなんてボッコボコにしてやるわ!」
額をくっつけて睨み合い、今にも取っ組み合いの喧嘩が始まりそうな二人。
……マズい。木咲さんと将くんが喧嘩をするのはいつものことだけど、今日は特にヒートアップしている気がする。早く止めないと、なにかとんでもないことになってしまうかもしれない。
そう思って僕が慌てて席から立ち上がった、そのときだった――
「みんなおはよー!」
突如教室の扉がガラッと開き、そこから一人の女の子が姿を表した。
彼女が一歩教室の中に足を踏み入れると、それだけでクラスの空気が一変する。今の今まで言い争いをしていた将くんと木咲さんは、喧嘩なんてなかったかのように大人しくなり、全員が彼女の一挙手一投足に注目して、まるで時間が止まってしまったかのように静かになった。
女の子はそんな教室の空気など気にも留めず、ツーサイドアップに結んだ長く艶やかな黒髪を揺らしながら、悠然とした足取りで教室の中を横切っていく。
そして、僕の隣の席にランドセルを置いてから、こちらを見てにこっと微笑んだ。




