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 わたし――黒田凜香くろだりんかが作家を目指そうと思ったのは、小説家だった母さんの本を読んだことがきっかけだった。

 母さんはわたしが物心ついたときには亡くなっていて、どんな人だったのか人伝や写真でしか知らない。

 だから母さんがその小説をどんな想いで書いたのかも知らなかった。


 その小説のタイトルは【波打ち際の境界線】。

 表紙に海の写真が使われている。

 その海は綺麗なエメラルドグリーンだった。


 当時のわたしは実のところ小説を読むのことに興味がなかった。

 でもわたしは母さんのことを少しでも知りたくて、その本のページをめくった。

 最初は読み慣れていないせいか、文字を追うのに時間がかかった。


 でもそうやって読み進めていくうちに、どんどんと惹き込まれていった。

 面白くて、楽しくて、切なくて。

 読んでいくといろんな感情が湧き出した。


 読み終えたときにふと思った。

 自分もこんな物語が書きたい、と。

 そうしてわたしは作家の夢を持ったのだった。


 窓の外を眺めながら、わたしはそんな昔のことを思い出していた。

 所属している文芸部の部室から見える空は青く、夏の太陽が燦々と降り注いでいる。

 わたしは椅子に座り静かな時を過ごしていた。


 あれから――作家という夢を持ってから数年が過ぎて、わたしは十七歳になった。

 今でもわたしは小説を書いている。

 違うのは、書きはじめた当初は書くことが楽しかったのに、今は楽しいと思えなくなったこと。


 どうしてあのときのわたしは、小説を書くことがあんなにも楽しかったのだろう。

 今ではもうわからない。

 わかることはあの頃の楽しさを忘れてしまった今でも、わたしは小説を書くことをやめられずにいるということ。


「読み終えたよ」


 その声に、わたしは思考を中断する。

 顔を上げて声の方を見る。

 長机を挟んだ対面に、女子高校生が座っていた。


 彼女は栗色のミディアムヘアをサマーパーカーのフードで隠し、棒キャンディを口に咥えている。

 背はわたしよりも少し低くて、幼さの残る可愛らしい顔立ちをしていた。

 彼女の名前は美山愛梨みやまあいり


 わたしと同じ高校二年生で、同じく文芸部に所属している。

 今美山の前の机上には紙の束が置かれていた。

 わたしが書いた小説の原稿を印刷したものだ。


 今の今まで美山はわたしの小説を読んでいた。

 わたしがアドバイスを求めたからだ。

 ……本当はこいつに頼みたくなんてなかったけど。


 わたしは美山愛梨が大嫌いだ。

 それでもこいつにアドバイスを求めたのには理由があった。

 それを思えば我慢だってしてやる。


「……で、どうだった?」

「んー……」


 美山は腕を組み、天井へと視線を向ける。

 なにか言葉を選んでいるような、そんな様子だった。

 わたしは美山からの言葉をじっと待つ。


 やがて、美山は天井からわたしへと視線を戻した。

 棒キャンディの棒を持って口から引き抜くと、ぴっとその先をわたしへと突きつけるように向ける。

 そして。


「ぜんっぜんダメっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

「っ! びっくりした……。急に大声出すな!」

「鼓膜破れた? ねえねえ破れた?」

「なんだその煽り、うるせえよ!」

「うるさいってなによ! 信じられない! あたしたち別れましょ! 離婚よ、離婚! 慰謝料は100億円よ!」

「……マジでうるせえ。ふざけないで真面目にやってくれ」


 というか100億円って……ガキかよ。

 なにが楽しいのか、美山は「あはは」と笑い声をあげる。

 ひとしきり笑って、美山は棒キャンディを口に戻した。


「でもホント、この出来じゃあまだまだだよ」

「はぁ……、やっぱりか。でも前も言ったが、ラブコメは得意じゃねえんだよ。ファンタジー書かせてくれたらまだマシなもんが」

「凜香ちゃんに足りないのはなんだった?」

「……魅力的なキャラ」

「そう! だからラブコメを書かせてるんだよ。ラブコメはキャラが命だからね」

「ファンタジーだってストーリーだけじゃなくキャラも大事なんじゃねえのかよ」

「もちろん。でもラブコメはもっともっとキャラが重要なんだよ。ラブコメはキャラの魅力を出しまくらなくちゃいけないの。だってキャラの魅力が足りないとラブコメはつまらなくなるからね」

「そういうもんか?」

「うん。ラブコメはキャラを魅力的にしないと成り立たない。だからこそ魅力的なキャラを作ったり書いたりする練習になるんじゃないかって、そう思ったの」

「お前もそうやって身につけたのか?」

「え、違うけど」

「おい!」


 美山はキョトンと首を傾げている。

 なんかちょっとイラッとした。


「やってないことやらせるな! 意味あるかわかんねえだろ、それじゃあ」

「だって、あたしはそんなことしなくても最初からできたし……」

「――ッ」

「なに、どうしたの? 殺し屋みたいな顔してるけど」

「……うるせえ。ホント腹立つ、お前のそういうところ」


 わたしはときどき美山をぶん殴りたくなる。

 憎くて、憎くて、たまらなくなる。

 だってこいつはわたしにないものを――。


「あははは! 凜香ちゃんは本当にあたしのことが大嫌いなんだね?」


 美山は笑いながらわたしを見つめる。

 なにがそんなに楽しいのだろうか。

 わたしには一生わかりそうもない。


 美山はわたしが彼女を嫌っているのを知っている。

 知っていてなお、美山はわたしにアドバイスをくれるのだ。

 変な奴だ。


「でもね、凜香ちゃん。あたしも根拠がないまま言ってるわけじゃないよ」

「……ホントかよ」

「あたしは何もしなくても書けたけど、でも今は……一応プロだから。分析はしてるんだよ」

「……プロ、か」


 そう。

 実のところ美山愛梨はライトノベル作家なのだ。

 それも超がつくほどの売れっ子作家。


 まだ高校生なのに、だ。

 それこそが美山にアドバイスを求めた理由だった。


「そう。……面白い作品とつまらない作品。そこにどんな違いがあるのか。それを自分なりに考えて結論を出したの。そうしたらラブコメはキャラが最重要だってわかったんだよ」

「……だからわたしに書かせてるのか、ラブコメを」

「うん。だからね、もう一回書き直してきて」

「……わかった」


 これはチャンスなのだ。

 超売れっ子作家が素人に直々にアドバイスをくれるなんてことは、そうそうあることじゃない。

 そうであるのなら、嫌いな相手であっても突っぱねることはできない。


 だからわたしはこうして、美山愛梨に教えを請う日々を過ごしているのだった。


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