お披露目です
「ずっと待っていたのは私のほうです」
そして茨姫のお披露目の日。
朱里の起き上がったベッドの縁に腰掛け彼女の手を両手で包みながらアンリは独白を始めた。
「おそらく、夢を見たのだ、私は。そこはこの世界とは違う世界で。私は男子だけの学校に
公共の乗り物チカテツカナガワセンに乗って毎日通っていた。そこで毎朝、時に夕方の帰り道でも見かける少女が居た」
地下鉄金川線という、もはや懐かしい単語に朱里はぴくりと反応した。
「私は気がつけば彼女を探し、目で追っていた」
言葉に合わせアンリが朱里を見つめる。朱里は恥ずかしくなり俯いた。
「日課となったそれの意味に私は暫く気がつかなかった。ある日彼女の学友が呼ぶのを聞いて名を『朱里』というのだと知った」
話の中の少女が自分だったことに驚き、朱里は顔を上げた。
「次第に彼女を見つめる自分の胸が苦しくなる。私は漸く気がついた」
アンリは朱里だけを見つめて続けている。
「恋に落ちたのだと」
「カナガワセン……いいえ、違う。私はアンリを知らない」
朱里は頭を振った。こんなに目立つ人が金川線に毎朝乗っていて、私が見える範囲に居たとして一度も気が付かないなんてあり得ない。
「そう朱里をカナガワセンで見つめていたのは私ではない。この身と全く異なる男子、北条蓮」
今度は意図して朱里から視線を外した。
「北条蓮……会長」
つぶやく様に朱里の口から蓮の名がその肩書きと共に零れた。
「そう朱里は知っていたのだね? その世界での私を。私は蓮として朱里に恋焦がれて居た。それを唐突に失い、失意の日々だった。
アンリとして学園で朱里を見つけ出すまでは」
アンリは一気に言葉を続けて、最後だけは朱里に向き合って告げた。
「朱里、あなたは私の運命の番。どうか私と共に生きてください」
朱里はアンリの告白をの唐突さに言葉を失った。が、短い沈黙の後、意を決したように観客に向けて語った。
「私もまた夢を見ました。私はこの身そのまま、この名もそのままに。私もまたカナガワセンで女子だけの学校に通っていました。
北条蓮会長は近隣の女子校の憧れの学校の生徒会長。通学時に何度も見かけ、視線が一度だけ合った。それからは一度も視線を上げることができなかった……本当にアンリは北条会長?」
続けるうちに朱里はアンリに向けてたずねる格好となってしまった。
「いいや蓮がアンリなんだ。さあ朱里、俺に答えて?」
アンリは意図して一人称を変えた。誇張した言い回しに朱里はここが舞台上で就任劇のクライマックスであることを思い出した。
婚姻は逃れられないと散々に言っていたが、この場で言質を取ろうとするとはアンリはなんと周到で狡猾なのだ。
みんなの憧れ北条会長が完璧王子様のアンリと同一人物? 私は私のままなのにアンリは全く違った姿かたち人種すら違う一体何故? 聞きたいことは山ほどあるのに……ここではこれ以上聞けない。
「……アンリ、常に私に誠意を持って答えてくれるのならば、その求婚を受けましょう」
してやられたという表情を浮かべながらもアンリは間髪居れずに答えた。
「私の限りを尽くしましょう。私の生涯の伴侶、朱里」
アンリは立ち上がり朱里に手を差し伸べた。その手に導かれ朱里も立ち上がり
二人は観客席に向けて恭しくお辞儀した。
割れんばかりの拍手が就任したばかりの新たないばら姫とその王子を歓迎した。
朱里とアンリが不思議な縁で結ばれた運命的な番同士であるということは、就任劇後瞬く間に、この世界中に広まった。
アンリは自分の目論見通り事が運び一先ず満足そうだったが、重要な話を舞台上の本番で聞かされた朱里の気持ちは複雑だった。
「いきなりあんなの、反則」
「だから、以前からちゃんと私は朱里が好きだと言葉で態度で示してきたのに。それをまともに受け取らなかったのは朱里でしょう」
「私への嫌がらせじゃないの、あれ」
「そんな風に思っているのは朱里だけだよ」
「からかわれているとしか思えない」
「からかってはいないよ。ただ、観劇に来る民は運命的なお話が好きだからね」
「おかげさまで逃げ場がないわ」
「ご愁傷様」
「みんなの憧れ北条会長が完璧王子様アンリと同一人物だっていうのも信じられない。だって全然違うじゃない。そもそも人種からして……」
「ではどうして私が蓮の記憶を持つか教えて欲しいね」
「それはこっちが聞きたい。あーアンリモードまどろっこしい。そのしゃべり方やめて」
「はーはいはい。俺はなんでアンリになってしまったかなんて知らない。けど朱里にもう一度会えたからどうでもいい、些細なことだ」
「私まだアンリのこと好きか分からない」
「『まだ』ね。気長に待つよ。と言っても一年と少ししかないけどね」
「北条会長のことだって顔と名前と噂しかしらないもの」
「じゃあ俺がずーーと思い詰めていた気持ちをこれから毎晩語ってあげるよ。あとそっちで呼ぶときは蓮でいいよ」
数ヶ月後尾ひれハヒレの付いた、適度に脚色され、好敵手などが加筆されたアンリと朱里の恋物語を模した小説と戯曲が出版され、
あちこちの劇場で上演された。その結果、身分を問わず二人のことは更に広く詳しくドラマチックに知られることとなった。
一段落ですが、まだまだ続きます。