ヤンキーちゃんと休日を過ごす 1
金曜日の朝。
週休二日制というものは月曜日から水曜日にかけては憂鬱な気分で、木曜日あたりが少しずつテンションが上がっていき、金曜日はワクワクしながら迎えるもの。
当然だ、明日は休みだと思えば張り切るに決まっている。
ただ、休みに入ると白瀬に会えない事が唯一残念な事かな。
学校最寄り駅で降りると、今日は白瀬の姿を見る事ができた。
「おはよう、白瀬」
「……あ、せんぱい、おはようございます」
昨日は通学時間帯を避けられ、ひどい事を言われたが、今日はいつも通りの時間に通学していて、あいさつもちゃんと返してくれた。
相変わらず無表情だったが、もうこの際挨拶してくれるだけマシだと思おう。
「せんぱい、一つ聞きたい事があるんですけど、いいですか?」
「おっ、白瀬から質問だなんて珍しいね。いいよ、なんでも聞いてくれ」
「毎朝思うんですけど、あの人放っておいていいんですか?」
白瀬が俺の後ろに視線を向けながら聞いてくる。
後ろを見ると、俺たちのやり取りを楓が少し不機嫌そうな表情で見ていた。
「ああ、いいんだよ、楓も毎朝のことだって思ってるだろうから」
「そうですか。私にはそうは見えないんですが……まあせんぱいがそう言うならこれ以上は聞かないです」
正直、朝のこの時間は白瀬と会話をすることに夢中なので、楓のことなど気にも留めたことがない。
今だって白瀬の笑顔をどうやって見ようか、ずっと考えている。
「それじゃあせんぱい、私はもう行きますから」
「え、なんでだよー、もうちょっと先輩とお話しようよ?」
「その言い方は不審者みたいで若干怖いです。あ、せんぱいは不審者でしたね」
「怪しくないよ? 通報されたことないよ?」
「私が通報しましょうか?」
そう言いながら白瀬はポケットからスマートフォンを取り出し、ナチュラルに一一〇という数字を入力した。
「ちょちょちょ、ちょっと待って!? 白瀬さん、そりゃ冗談きついっすよ!!」
「……そうですね、せんぱいの相手をする警察官が不憫です」
「白瀬ってそんな毒舌キャラだったっけ?」
「せんぱいが毎朝ダル絡みしてくるから…………っ!?」
うん?
珍しく白瀬が目を見開き、顔が少し引き攣っているように見えた。
あのポーカーフェイスだった白瀬が、なんだか怖気づいているように見えるのだが、俺は何かをした覚えはないし、じゃあ何故だろう。
そう思っていると、俺も悪寒を感じて反射的に後ろを見た。
「……よう、朝から随分とデレデレしてんじゃねーか」
そこには腕を組んで仁王立ちをしながら、俺に凄んできている亜也加がいた。
「げっ、あ、亜也加さん?」
「っ、亜也加?」
白瀬とやり取りしている間は一切何も喋らなかった楓が、亜也加の後ろで初めて声を出して反応した。
「……休み時間、ツラ貸せ。わかった?」
「は、はい……」
亜也加は俺の横に並んだ瞬間、横目でギロっと俺を睨んできた。
怖ぇ、マジで殺されるかと思った。
何も悪い事はしていないはずだけど、亜也加はやけに不機嫌な様子だった。
亜也加は一言だけ言い残して、学校のほうへ歩いて行った。
「せんぱい、あの人って……?」
「猪熊亜也加、同じクラスの子だけど」
「せんぱい、あんな怖そうな人まで口説いたんですか?」
「……はい?」
白瀬は俺に呆れた様子で質問してきた。
「せんぱいって節操なしですし、朴念仁なんですね……では失礼します」
「え、あ、おい白瀬!!」
またしても白瀬は俺の呼び止めに応じず、素っ気なく立ち去ってしまった。
俺、なにもしていないよね。
なんかさらに白瀬に嫌われたような気がするんだけど、気のせいだろうか。
「りょーくん?」
白瀬のことでもやもやしていると、楓がニコニコしながら声をかけてきた。
しかし不思議と楓は目が笑っていなかった。
「は、はい、なんでしょう?」
「猪熊さんのこと呼び捨てにしていたけど、いったいどういうことかな?」
「いや、どういうことって、別に大したことじゃないんだけど……」
「大したことじゃないなら説明できるよね?」
楓は穏やかではない笑顔のまま徐々に迫ってきた。
「なんつーか、アイツ猪熊って呼ぶと不機嫌だから、本人の要望で?」
「どうしてそんなことを要望される状況になったのかな? かな?」
「楓さん? なんか怖いっすよ?」
「怖くないよぉー、事と次第によってはりょーくんをメスにするだけだよ」
「ひぃ!?」
そう言いながら楓は右手の指をわなわなと動かし始めたので、反射的に俺は悲鳴をあげなから股間を両手で覆った。
怖い怖い怖い、なんでこの人まで怒ってるんだ。
「りょーくん、なんか猪熊さんと仲良さそうだね?」
「仲、いいのかコレ?」
一方的に脅されているような気がするんだけど。
「いつの間にか下の名前で呼んでるし、休み時間に会う約束してるし」
「約束はしてないよ? 俺、行くだなんて一言も言ってないよ?」
「でも行くんだよね?」
「……まあ、殺されたくはないんで」
そう言うと、楓は目を瞑ってため息を吐いた。
「とりあえず、りょーくんは猪熊さんに脅されているってことでいいんだね?」
「そんな物騒な話ではないとは思うけど、向こうから絡んでくるのは確かだな」
「もう、嫌なら断ればいいのに」
「だって断ったら怖いし、何されるかわからないだろ」
「わたしがガツンと言ってあげようか?」
「危ないからやめとけ」
「もう、大人ぶって。昔はわたしに守られていたくせに」
「いつの話だよ!!」
楓とそんな話をしていて、ふと昔のことを思い出した。
こう見えても幼少期は気弱だった俺は、バカにされていじめっ子たちの標的にされることもあったが、そんな時に身を挺して守ってくれたのが幼い頃の楓だった。
男顔負けに啖呵を切って、西部劇さながらの殴り合いをいじめっ子たちと繰り広げていて、あの頃は楓のことをカッコいいと思っていた。
そんな楓みたいに強くなりたいと思って、空手を始めたんだっけ。
「楓」
「なに、りょーくん?」
前を歩いていた楓に声をかけると、きょとんとした表情で振り返った。
「もうお前に守られるほど弱くはないから、安心しろって」
「……そうだね、けどわたしだって部活で鍛えてるんだからね!!
そう言いながら、力こぶを作るようなポーズを取って自慢してきた。
卓球部に所属している楓は、結構いい活躍をしているらしい。
「頼もしいな、まあいざって時は期待してるよ」
「うん!!」
そう返事をする楓は先ほどまでの冷たい笑顔ではなく、温かくて眩しいくらいの笑顔だった。
それから午前中の授業をこなし、昼休みが訪れる。
貴重な休み時間なので、いつものように田村や楓と昼食を取りたいところだったが、亜也加に呼び出されていた事を思い出す。
今朝のことを亜也加が忘れている可能性に期待したが、そう簡単に望み通りに事が運ぶほど現実は甘くはなく、昼休みになった瞬間、亜也加はずかずかと俺のほうへ向かってきた。
やはり覚えていたかと心の中で舌打ちをする。
「倉野、今度は何やったんだよ」
「なんもやってないよ……」
「ファイト、りょーくん」
楓だけが応援してくれる中、亜也加は立ったまま俺を無言で睨んだ。
「……わかったよ、別に逃げる気はないよ」
そう言いながら立ち上がり、歩き出した亜也加の後を追う。
校舎を出て、亜也加が向かった先は体育館の裏だった。
生徒はもちろん、教職員すら滅多に通らない場所である。
「今度はなんだよ、俺なんか亜也加を怒らせることしたっけ?」
「自覚ねえの? お前存在そのものがムカつくんだよ」
とうとう俺という存在を否定し始めたよ。
「だからって毎度呼び出されてもなあ……で、用件は何?」
「……今朝の、あの女ってテメーとどういう関係?」
亜也加は決して目を合わせようとせず、相変わらずの仏頂面で聞いてきた。
「あの女って白瀬のこと? あの子はただの後輩だよ」
「はあ? あんなにイチャイチャしてて付き合ってわけじゃないの?」
「イチャイチャはしてないような……ていうか若干避けられてるんだよね」
そう答えると、亜也加は怪訝そうな顔つきで俺をのぞき込んできた。
「お前、ひょっとしてあの女のこと好きなの?」
「な、なんでそう思ったんだよ」
「バレバレだっつーの、そうか……ああいうのがタイプなのか、ちっ」
なんか後半は小声でぶつぶつ言っていて何を言っていたのかわからない上、理不尽に舌打ちまでされてもはや意味が分からない。
「……っで、越谷とはどういう関係?」
今度は楓との関係について聞いてきた。
「随分と俺の交友関係について聞いてくるな……楓は幼なじみだよ」
「ふーん……ちっ」
だから何故に舌打ちをする。
「お前、まさか俺の交友関係を聞きに来たの?」
「別に、お前見かけによらずすけこましだな」
「もうただの悪口じゃん、意味わからん」
「自覚ねーのかよ、余計にタチ悪いな」
白瀬にも同じことを言われたし、楓からも亜也加と関わっていることに対して一瞬責められたし、今日はやけに理不尽に問い詰められる日だな。
俺、別に白瀬以外を口説いているつもりはないんだけどな。
「…………。」
亜也加が無言のまま、鋭い目つきで睨みつけてくる。
「……よし、お前さ、日曜って暇? いや、暇じゃないとしても予定を開けろ」
「それもう予定確認じゃなくて強要だよね!?」
「うるせえ、アタシが命令してんだよ。黙って聞かねーなら殺す」
「脅迫やん……」
冗談じゃない。
亜也加に貴重な休日を奪われるだなんて、正直避けたいことである。
「あのさ、俺、日曜は田村と先約があって……」
もちろん嘘だけど。
しかし次の瞬間、亜也加は飛び掛かってきて俺の胸倉を掴んだ。
「テメー、そんなにアタシに呼び出されるのが嫌なのかよ」
歯を噛みしめる音が聞こえそうなほどの形相で、亜也加は迫ってきた。
「そんな怒ることないだろ、なんでそんなに俺に執着するんだよ?」
「……っ」
ちょっと怒りを込めて質問すると、亜也加は胸倉から手を放して黙り込んだ。
「昨日、アタシには普通に接してるって言ったよな?」
「え、確かに言ったけど」
「じゃあ普通に接しろよ!! 他人にそう言っといて今はやらねーのかよ!!」
ひょっとして亜也加は、俺と遊びたいと思っているんだろうか。
だとしたら不器用すぎるし、もっと直接的に言ってほしいところだけど、プライドが高そうな亜也加の性格を考えたら十分頑張って自分の意志を伝えているのだろう。
ヤンキーとはいえ、意外と根は極悪人ではないことは何となくわかる。
だったら別に友達として仲良くしてもいいのかもしれない。
「……日曜、暇だけど、どこか行きたいところあるの?」
そう聞くと、亜也加はきょとんとした表情で目を見開いた。
「とりあえずサツエキの白いモニュメントに朝九時、来なかったら殺す」
具体的な行き先は教えてくれなかったものの、少し恥ずかしそうに頬を赤らめながら日時と集合場所を伝えてきた。
致命的に素直じゃないというか、コミュニケーションをとるのが下手だな。
「わかった、絶対行くから安心して」
「じゃあ明後日な、来なかったらマジで殺すから」
そこまで念を押されるなんて、よっぽど信用がないんだな。
俺の前から立ち去る亜也加の後ろ姿を見て、ふと思った。
もしかして亜也加は、俺の言葉が多少なりとも心に響いて、荒れに荒れたヤンキーである自分を変えようとしているのかもしれない。
昨日、普通に生活すればいいって言ったのは確かに俺だ。
もし亜也加が普通になろうとしているのなら、それに応えてやるのが言い出しっぺの責任だろう。
それに、色々と知りたいことがある。
なんでグレてしまったのか。
突っ張っている割には自己評価が低いのは何故なのか。
アイツ、何で喜ぶのか。
亜也加が本当はどういう人間なのか、興味が湧いてきた。
少しでも日曜日にそれが知れればいいと、素直にそう思った。