ヤンキーちゃんをわからせる 3
「覚悟しろよ、倉野遼祐……!! おらぁぁぁぁーーっっ!!」
猪熊が大声をあげながら突撃してくる。
戦いは避けられないらしい。
仕方ない、攻撃を適当に受け流してやり過ごしつつ、逃走の機会を図るか。
「おらっ!! この!! 野郎!! テメー!!」
猪熊は殴る、蹴る、掴みかかろうとするを繰り返すが、その全てを俺はフットワークだけで躱しながら、どうしても避けようがない打撃は受け流した。
「いたっ……!?」
受けるたび、猪熊は苦悶の表情を浮かべる。
空手の受けは攻撃をも兼ねるため、いくら手加減をしているとはいえ、鍛えた俺の受けは結構痛いはずである。
それでも猪熊の攻撃は止まない。
すごい勢いで殴打を繰り返すが、全て見えるし、避けられるし、避けられなくても全て受け流す事ができる。
強いことは強い。
多分、道場の女子と同等か、それ以上に力はあるかもしれない。
でもやっぱり素人だ、動きに無駄が多い。
それに、力んでいることが打撃を曇らせている。
惜しいと思いながら、猪熊の打撃を全て受け流した。
「はぁ、はぁ、はぁ……ふざけんな、なんで反撃してこねえんだよ!!」
息を切らしながら、猪熊は怒った様子で大声をあげた。
「いや、だから俺、女の子に手を挙げる趣味ないんだって」
「アタシを女だからってナメてんのかよ……ふざけんなよオラ!!」
怒りに任せての、猪熊にしては珍しいテレフォンパンチだった。
それをあえて初日のように、平手で受け止める。
「ちっ、この野郎!!」
もう片方の手で猪熊は殴ろうとしてきたが、それも平手で受け止めた。
相撲でいうところ手四つの体勢となり、猪熊は必死に力を入れてくる。
「ぐぐぐっ……くそぉ!!」
猪熊は歯を食いしばって、悔しそうに蒼い瞳に涙を浮かべていた。
「無理だよ、力でも技でも勝てない。もうやめにしない?」
「ンだとコラ、アタシはまだ負けてねえんだよ!!」
全く、どうすれば猪熊は諦めてくれるのだろうか。
これ以上、不毛な争いをしたくないし、第一先ほどの喧嘩で随分と目立ってしまっているはずだから、警察とか学校の教師が来たら面倒くさい。
そうだ、そもそも俺は喧嘩をしに来たわけじゃない。
あくまで平和的に解決しようと、この場に来たんだ。
だったら腕っぷしではなく、言葉で応戦するべきではないのか。
幸い、猪熊は意地になって力比べに必死になっているので、会話を試みるならチャンスは今しかない。
力を入れすぎて、ちょっと顔が赤くなってきた猪熊を、俺は一直線に見た。
「勝つとか負けるとか、そういう面倒な事は一度取り払わない?」
「なんだと? 何言ってんだテメーはよ」
「いや、そのままの意味だよ。別に俺、喧嘩したいわけじゃないし」
「腑抜けた事いってんじゃねーよ、アタシをコケにしといてよ」
「俺がいつ猪熊さんをコケにした? どっちかっていうと君を助けようと……」
「うるせえ!! それが気に入らねーんだよ!! 助けなんかいらねーんだよ!!」
めちゃくちゃプライド高いな、この子。
それにしても間近で見ると意外と華奢だし、可愛い顔をしている。
体つきは白瀬や楓に比べたらちょっと貧相だけど、すらっとしていてこれはこれでプロポーションはいいのかもしれない。
色白で、肌も綺麗で、それゆえに流血がめちゃくちゃ気になる。
「なっ、ちょ、おい!!」
猪熊から手を放して、俺は自分のポケットを漁った。
力比べをやめた俺に、猪熊はまた鋭い目つきで怒鳴ってくる。
「……ほら、これ」
そう言いながら、俺はハンカチを差し出す。
「な、なんのつもりだよ?」
「いいから、まずはその頭の血を止血しようよ。これ、未使用だから」
ハンカチは常に二枚常備していて、このハンカチは今日未使用のものだ。
「なっ、こんなのかすり傷だし、いらねーんだよこんなの」
「かすり傷なわけないだろ、木刀で殴られてるんだから」
「な、なんのつもりなんだよ!!」
「猪熊さんは可愛いんだから、もう少し自分を大事にしたほうがいいって話だよ」
「なっ、かわ……っっ」
動揺した様子で、猪熊は後ずさりする。
普段、恐れられている猪熊だから、可愛いとか言われ慣れていないはずだと思ったが、どうやら本当にその通りだったみたいだ。
俺は後ずさりする猪熊に近づいて、ハンカチを頭に押し当てた。
「いたっっ」
珍しく、というか初めて声が可愛いと思ったかもしれない。
今の悲鳴は可愛かった。
「ほら、出血を抑えて、あとよく洗って消毒して、家帰って安静にしなよ」
そう言うと、猪熊は今までとは正反対に、素直にハンカチを受け取った。
「……何のつもりだよ」
受け取ったハンカチで頭の傷を押さえながら、むすっとした様子で聞いてきた。
その顔を見て、ふと思った。
猪熊が笑うと、どんな顔なんだろう。
「猪熊さん、いつも機嫌悪そうだよね」
「あ? それがなんだよ、テメーには関係ねえだろ」
「せっかく可愛い顔してるんだから、もっと笑ったほうがいいと思うんだよ」
「なっ、お、おまえ、もしかして口説いてんのか!?」
ふと思った事を伝えたら、猪熊は顔を真っ赤にして後退りした。
「いや別に、口説いてるつもりはないよ」
「ウソつけ!! 口説いてないんだったら……け、喧嘩売ってんのか!?」
どうしてそうなる……。
慌ただしく俺を指差している猪熊を見て、自然と笑いがこぼれた。
「そうじゃなくて、猪熊さんも別にしたくて喧嘩してるわけじゃないでしょ?」
もしかして本心を突かれたのか、猪熊は急に無言になった。
「俺だって喧嘩したくないし、しないにこしたことないじゃん。せっかく可愛い顔してるのに勿体ないし、笑ってたほうがみんな受け入れてくれると思うぜ?」
そう言うと猪熊は俯いて、わなわなと震え始めた。
気のせいか、ピアスをつけた耳が赤くなっているような気がする。
「あーもう!! ホントなんなんだお前、さっきからヘンなことばっか言って!!」
ようやく顔を見上げたと思ったら大声を出し始めるし、顔は真っ赤だった。
「おおお、覚えてろ!! 勝った気なってんじゃねーぞ、次はぜったいお前のこと倒すからな!!」
猪熊は捨て台詞じみたことを言って、そそくさと俺の前から立ち去った。
よくわからないけど、あまり猪熊を痛めつけることなく、退いてもらうことに成功したようだ。
だけど次もあるって言っていたよな。
ということはコレしばらく続くんだろうか、勘弁して欲しい。
「あの猪熊を口説くなんて……テメー、実力といい、只者じゃねえな」
背後から声が聞こえたと思ったら、伝華瑠斗の総長がまだその場にいた。
そういえば帰った様子もなかったし、猪熊とのやりとりを見ていたのか。
「いや、口説いたつもりはないんですけど……」
「しかし強いな、アンタ。どうだ、オレの代わりに伝華瑠斗のアタマ張らんか?」
伝華瑠斗の総長は先ほどまでの卑劣に満ちた笑みではなく、すっきりとした顔で俺を勧誘してきた。
「お生憎様、俺は一般人なので、暴走族の総長なんて務まりませんよ」
「そうか、悪ぃ話じゃねーと思うんだけどな」
「いえ、俺みたいなナヨナヨした外見のヤツより、貴方のほうがよっぽど迫力ありますから」
そういうと伝華瑠斗の総長の口元が緩んだ。
「やれやれ、アンタの空手があればアイツにも勝てそうなんだけどな」
「え、どういうことですか?」
突然、神妙な面持ちを浮かべた伝華瑠斗の総長は、そのまま喋り続ける。
「この街は広い。色んなヤツがいるが、アイツは間違いなく最強の不良だろう」
「アイツって?」
「まあ、いるんだよ……メチャクチャなヤツがよ。亜也加も強いが、アイツに勝てるとは思えねえ。亜也加があのまま調子に乗り続けていたら、いずれはアイツとぶつかる。だからその前にオレらで潰しておこうと思ったんだがよ」
ひょっとして、この総長は思っていたほどの悪人ではないのかもしれない。
総長の言葉が猪熊の身を案じているように聞こえて、率直にそう思った。
「おっと、喋りすぎたな。まあアレだ、アンタ亜也加の仲間ならアイツを見張っといてくれや……おいテメーらいつまで寝てやがる!! 行くぞ!!」
総長の怒号で、伸びていた伝華瑠斗の構成員が続々と目を覚ます。
「……あの、一つ聞いてもいいですか?」
どうしても気になる事があったので、俺は総長を呼び止めた。
「なんだ?」
「猪熊さんとはどういう関係なんですか?」
「あ? 大した関係じゃねーよ、小中と同じだっただけの腐れ縁さ」
それだけ言って、総長は他の構成員たちと共に河川敷から立ち去った。
猪熊を見張っといて欲しい、確かに総長はそう言った。
出来ることならこれ以上は関わり合いたくないのだが、どうしても総長の言っていたことが引っかかる。
確かに世の中は広い。
俺が道場の先生や諸先輩方に敵わないのと同様に、強い人間はそこらじゅうにゴロゴロ居ることだろう。
そして総長の言うその強者とは、かなりえげつない人物なのだろう。
そんな詳細不明な人物のことを気にしても仕方がないのだが、一応は頭の片隅にでも総長の言葉を記憶しておくことにしよう。
だけど猪熊を見張ると言っても、別に猪熊と友達ってわけでもないし、そこまでする義理もないよな。
そんなことより白瀬とお近づきになりたい。
俺は猪熊のことよりも、白瀬のことを考えながら帰路についた。