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悪夢のような



身体が重だるい。まるで全身に鉛でも付いているかのようだ。頭まで重たく感じる。それでも窓から吹き込む風が秋の気配をもたらし少しだけ心地良いと感じさせてくれた。そのおかげで呼吸が出来ているようなものだ。

「──、っ……」

自業自得だ。最近夢見が悪くちゃんと睡眠を取れていない。今までは居心地の良かった自分の部屋でさえも閉塞感を感じる。息が詰まりそうだった。何がそうさせるのか理由は明確だった。

目を瞑った暗闇の中に映し出される一人の少女の姿。無邪気にこちらに微笑みかけてくる。その度に胸がズキンと傷んだ。

(……──っ、ダメだ……)

こんな想いは不毛なのだと知っているじゃないか。彼女が守護者だという時点で道が交わることはないと分かっているのに。それなのに、どうしてまだ断ち切れない。今後苦しい思いをするのは自分なのだ。だから決めたはずだ。長引かせることはしないと。しかし意に反して主人は全く予想外の命令を下した。

『あの少女を探れ。何でも良い。お前が知り得たことを逐一報告しろ』

その言葉を聞いた瞬間、立っていても頭が重くなるのが分かった。だが命令に逆らうことは出来るはずもない。それが自分の存在意義なのだから。幸いなことは任ぜられた期限が当初自分が考えていたものと同様だったことか。しかし期限を決められたからと言って彼女に接触出来るかどうかは別だった。否、それに関しては心配したことではなかったが。

『水唯──』

何も知らない彼女が自分の名を呼ぶ。それだけで後ろめたさが増した。いっそバラしてしまえれば楽なのに。

頼むからーー。これ以上自分に関わらないで欲しい。そうすれば少しは背徳感が拭えるのではないか。そんなことを考えていると閉じている瞼の上に影が出来た。更に暗闇が訪れる。それが心地よいとさえ感じる。心なしか先程より呼吸もしやすくなった。そして直ぐに誰かが自分を呼びかける。

(もう少しだけ──……)

寝かせておいて欲しい。今ちょうど楽になったところなのだ。しかし自分の願望とは裏腹に意識はだんだんと現実へ移行しようとしていた。束の間の休息だったな、と思いながら瞼を震わせる。

「──……い、……水唯?」

夢の中で聞いた声と同じものが頭上から響いてきた。もう聞き慣れた声が自分の名を呼ぶ。瞼をゆっくりと開きながらその人物の姿を確認する。心配そうに自分の顔を覗き込んでいた。

「──っ……」

口の中で彼女の名前を噛みしめる。自分が呼ぶ資格など無いのだ。だから呼び返すことはしない。保健室の軽いかけ布団から腕を出すと前髪を巻き込むようにして頭を抱えた。目を光に慣れさせる時間が必要だと薄目でしばらく留まる。

「大丈夫? 起きられそう?」

しきりに自分のことを気にかけてくるこの少女は、まだ自分が敵対するものだと知らない。だからこんなに親身になってくれるのだろう。ぼんやりと目に入る彼女の姿に、息が詰まりそうだった。

「──大丈夫だ」

だからこれ以上自分に干渉してくれるな。その言葉は飲み込んだ。不用意に彼女を傷つけたく無いと、どこか思ってしまう。それが弱さだと分かっているのに。

ゆっくりと上体を起こす。なるべく側にいる少女を視界に入れないように。

「HR終わったからもう帰って大丈夫だって」

「あぁ──ありがとう」

美都からの伝達事項に礼を伝える。彼女は保健委員では無いはずだ。それなのにわざわざ彼女が自分の元へ来たということは、優しさからだろう。だがその優しさが今は苦しい。日に日にそう感じるようになっていく。そんなこと彼女は知る由も無いだろうが。

「……最近、眠れてないの? 考えごと?」

そう呟く声から、見なくとも彼女がどんな表情をしているのかが分かる。よもや自分が原因だと夢にも思わないだろう。

再び「大丈夫だ」と口にしようとした。だがその手前で留まる。どれだけ自分が苦しくても、命令は遂行しなければならない。こんな時でも無いと彼女に話を聞く機会がないのでは無いかと。

「……そうだな。ちょっと色々と──」

「そっか。何か出来ることある?」

予想通りの回答だ。彼女の気持ちを利用するようで忍びないが、命令には逆らえない。しかしきっかけをどう使おうか、と一瞬口籠もる。

「──料理を……」

「うん、作るよ。何がいい?」

「いや……そうじゃなくて。……いつから料理をするようになったんだ?」

そう問うと虚を突かれたようにきょとんと目を瞬かせていた。急すぎたか、と己の質問に反省する。結局きっかけが見つからなかったため不意に口から出たことをそのままにしてしまったのだ。何か聞き出せればと思ってのことだったが全く自分の口下手さに呆れる。

しかし全く気にする事なく、美都は本気で答えを考えてくれているようだった。

「細かい時期は覚えてないけど……小学生の頃からちょっとずつ台所のお手伝いはしてたよ」

彼女の回答を聞き、その様を脳内で思い描く。きっと今よりも無邪気で溌剌としていたんだろうな、と容易に想像できた。だから次の言葉に繋げたのだ。

「そうか……君の母親の指導の賜物なんだな」

そう口に出した瞬間。美都が小さく息を呑んだ。急にその場の空気が止まる。彼女の大きな紫紺の瞳が揺れるのを見逃さなかった。この反応は、と彼女と同様にこちらも目を見開く。

「……すまない。何か変なことを言ったか?」

「あ……! ううん、えっと──……」

自分の声に反応するようにハッとした後首を横に振った。今度は先程と打って変わって回答への歯切れが悪くなる。目を逸らして俯き加減で言葉を探すようにしていた。

「実はわたし……親と一緒には暮らしてなかったの。だからね、料理を教えてくれてたのは伯母さんなんだ」

言い終わりの方になるとパッと顔を上げて笑顔を作る。いつも通りの彼女に寄せるように。

初めて知る事実に今度はこちらが声を詰まらせる番だった。普段あんなに明るい彼女にも、他人には言い難い過去を背負っているのかと。逆になぜだと考えてしまった。なぜこうも明るく振る舞えるのか。

「君は──……寂しくないのか」

半ば無意識にその疑問が口から出る。どれだけの期間そうなのかは知らない。だがなんとなく、それは長い時間なのだろうと察してしまった。そうでなければ最初の問いにあんな答え方はしないはずだ。

再び美都の瞳が揺れる。ふっと目を伏せて何かを考えるように一瞬口を噤んだ。

「……どうかな。ちょっとだけもう麻痺しちゃってるみたい」

この受け答えにも驚いた。初めて見る彼女の表情。諦めの混じった雰囲気がいつもの彼女には似つかわしくなくて。以前見た肩を落としている時ともまた違う。それは少し「危ない」と思わせる程に。

「あ、でも! 代わりにみんながいてくれるから!」

だから大丈夫だよ、と言わんばかりにすぐにいつもの彼女の表情へと戻った。

望んでいた情報なのに。なぜこんなに後味が悪いのか。だが彼の命令はこういうことなのだと思い知る。彼女の身辺を探ること。それは彼女に深入りすることに近い。他人の領域に足を踏み入れることはリスクと共にこちらの心にも負担が掛かる。それをよく考えていなかった。

口の中の苦虫を噛み潰す。今日は、これ以上は難しい。否、十分だろうと自分に言い聞かせる。直後、空間を仕切っていたカーテンが揺れた。保険教諭が様子を確認しに来たのかと思い顔を上げると、隙間から顔を覗かせたのは見知った少年の姿だった。

「──まだ顔色が良くないな」

赤茶色の瞳がこちらに向けられ、一言そう四季が述べた。

「いや、大丈夫だ」

なんとなく居心地が悪くなり不意に目を逸らす。この少年は──否、彼こそ今一番関わってはいけない人物だと心得ている。鍵を守る役目を負っている者。《闇の鍵》の所有者である美都を守る立場にある。目的に対して一番厄介な相手だ。それにこの少年は聡い。あまり深入りすると分が悪い気がしてならない。それどころか最近、少しだけ探るような目を向けている気がするのだ。しかしこうして美都との接触を許しているということは、彼自身もまだ掴みきれていないということか。

「やっぱりご飯何か作ってこうか?」

「気にしないでくれ。ただの不養生だ」

「もう……それが心配なんだよ」

なるべく彼女たちとの干渉を避けたいと出た言葉に、隣に佇む少女が呆れ気味に息を吐いた。先程見せていた表情からすっかり元に戻っている。まるで何事もなかったかのように。

「星名起きた? 歩いて帰れそう?」

次いで保健教諭である内山が四季の背後からそう声を掛けてきた。

「はい。ありがとうございました」

「まだ若いんだからちゃんと養生しなさいよ。あ、羽鳥先生が帰る前に職員室寄ってってさ」

こちらも呆れながらそう呟くと、その後に連絡事項が伝えられる。それに返事をしておもむろに少し高いベッドから降りようと身体を動かした。

「一人で帰れる?」

尚も心配そうに眉を下げる彼女の姿にはこちらが恐縮してしまう。

「子どもじゃないんだ。あまり──心配しないでくれ」

肩を竦めながら美都に語りかける。そう言うとまた大きな瞳がこちらに向けられた。

ズキンと胸が痛む。罪悪感か背徳感かは解らない。騙していることを己自身が責めているのか。彼女に嘘を吐き続けることがこの上なく辛いと感じる。

保健室の床に足をつけ立ち上がる。その間四季はまるで観察するかのようにずっとこちらに視線を向けていた。

(──やはり気づいているのか)

自分の正体に。だとしたら美都に伝えない理由はなんだ。逆に警戒してくれた方がこちらとしてもありがたい。彼女と離れることが出来るから。

保健教諭に会釈して保健室を後にする。様子を見に来てくれた二人も自分に続くように扉から出た。

「水唯」

半歩前を歩く自分に近づくよう小走りで美都が隣につく。

「あの──本当に何か困ったことがあったら言ってね?」

彼女の善意の申し出に、また胸の奥が痛んだ。彼女は何も知らない。だからこその言葉だろう。優しいから。自分を放っておけないのだ。──もし。

────もし自分が敵だと分かったら、彼女はどうするのか。

前回と同じく宿り魔が憑いていたあの少女のように、自分に対しても説得しようとするのだろうか。そんなことは意味がないと知らないで。自分はあの少女とは違うのだから。

「……ありがとう」

そう口にすることで精一杯だった。これ以上は良心の呵責に耐えられそうにない。期限が見えているとはいえ、彼女の笑顔は容赦無く自分の胸を抉ってくる。いつかの時のために、心を強く持たねばならないのに。そうだ、余計な感情など不要なはずだ。

────いずれ、自分が彼女を手にかけるのだから。





職員室と7組の教室は方面が反対だ。職員室へ歩いていく水唯の背中を見送りながら美都は眉を下げて肩を落とした。

「やっぱり元気ないよね、水唯」

ひとりごちるようにポツリと呟く。同意を求めていたわけではないが近くには四季がいる。自分だけが気にしすぎなのだろうかとも思うが先程の水唯の反応を見てもそう思わざるを得ない。ここ最近、否、二学期に入ってからは顕著だ。

(何かあったのかな……)

詮索するのは良くないと弁えているものの、立て続けに休んでいたことや最近の体調不良も気がかりだ。あの広い部屋に一人暮らしをしているのだから、家庭内に何か止むを得ない事情があるのだろうとは察することが出来る。しかし彼が自発的に話をしない限りは干渉しすぎるのも良くないのでは、と悶々としてしまうのだ。

「……ほら、帰るぞ」

「あ、うん」

静観していた四季から声が掛かり振り向いて彼の元へ駆け寄る。

「──お前さ」

「うん?」

突然口を開いた彼に首を傾ける。何だろう、と目を瞬かせるがしばらくその後に続く言葉が出てこなかった。

「いや……やっぱり何でもない」

熟考の後、四季がそう呟く。なぜだかいつもよりも渋い顔に見えた。

「途中で止められると余計に気になるんだけど……」

少しだけ不服そうに彼の応対を非難する。何か言いたかったから呼びかけたのではなかったのかと。

すると隣を歩く彼がはぁ、と小さく息を吐いた。

「夕飯何が食べたい?」

「え? 今日の食事当番わたしだよ」

「なんか作りたい気分なんだ」

彼の言い方から察するに食事当番を代わってくれるということだろう。こちらとしてはありがたい申し出だ。四季の方が圧倒的に料理は上手い。キッチンは彼のパーソナルスペースだと言っても良い。

しかしそのことを質問しようとしていたはずではない気がしてならない。うーんと眉間にしわを寄せるが口を噤んだということは彼自身もまだ何か考えているということだろう。だとしたら彼から話してくれるのを待ったほうが得策か。

「……魚料理」

「魚か。教会の後にスーパー寄るか」

すかさず自分のオーダーを拾い、この後の計画を呟く。見た目に対して所帯染みている四季の姿が見られるのは同じ家で暮らす者の特権だ。そしてこんな会話が出来るのも下校時間が迫りほとんどの生徒が校舎に残っていないからである。

隣を歩く四季をチラリと横目で見る。やはり何かを考えているようで心ここに在らずという風に見えた。自分には「口に出して考えてくれ」と言っておきながら不公平だな、とは思うが彼がここまで悩むのも珍しい。この調子で先程自分が口を滑らせたことについて忘れてくれると良いのだが、と思った矢先。

「帰ったらさっきの話聞くからな」

エスパーなのか、と思う程切れ味の良いツッコミだなと思う。考えを読まれた気分だ。うっ、と声を詰まらせて肩を落とす。

致し方無しと思い息を吐き、「はあい」と呟きながら自分たちの教室へ歩いた。






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