水の帳
雨の音が、薄暗い部屋に響いている。その音を背中で聞きながら、美都はただ目の前に佇む少年を見つめた。
「な──なに、言ってるの……水唯……」
なんとか口から声を絞り出す。今しがた呟いた彼の言葉がどうか聞き間違いであって欲しいと願いながら。
「四季に、何も聞かされなかったのか?」
いつもより冷たく響く水唯の声に美都は息を詰まらせた。まるで別人かのようだ。金色の瞳に影を落とし、鋭い目つきで彼女に視線を向けている。
水唯は気づいていたのだ。四季の動向に。だから距離を取っていたのだろう。これ以上踏み込ませないために。同じく四季も水唯のことを疑っていた。彼の予測は当たっていた。ただ自分が信じたくなかっただけだ。
「わたしは──っ……」
今だって信じたくない。思わず冷たい眼を向ける彼から顔を背けた。四季から忠告をされてはいたが到底受け入れられる内容ではなかったのだ。優しい水唯が敵であるわけがないと。
「……信じられないか」
「だって……! 冗談、だよね……?」
唇を強く噛み締めて俯く。冗談だと言って欲しい。ただ何かのはずみで鍵の所有者だと知ってしまっただけだと。まだ具体的が証拠がないうちに、早く否定して欲しい。
すると無言のまま水唯が腕を横に掲げる。瞬間、背筋に悪寒が走り美都はハッと顔を上げた。
知ってる。この気配を。わからないはずがない。自分は守護者なのだから。
掲げた腕をゆっくりと手前に動かした。そして彼の手のひらにあったものに目を見張る。
「……っ!」
「これでわかっただろ」
美都は思わず口元を押さえる。彼の手のひらに確認した見覚えのある紋様は、紛れもなく宿り魔の刻印だった。
「そんな……」
動かぬ証拠が出てきてしまった。これが事実なのだと突き付けられた。水唯が、敵であるのだと。
「結界を張った。宿り魔の力を示す前に。君はもうここから出ることは出来ないし、四季もこの状況に気づくことはない」
心臓が大きく鳴っている。真実を目の前にして動揺を隠すことが出来ない。ただ冷酷な水唯の瞳に耐えられず美都は顔を歪ませて項垂れる。
結界を張り、自分を閉じ込めた。他者の介在を許さないということだ。つまりは。
「……──本気、なの……?」
消え入るような声でポツリと呟く。こんな状況でもまだ否定の言葉を望んでいる自分がいる。頭の中には優しい彼の面影しかないからだ。
「──本気だ」
「っ……!」
「じゃなきゃ、こうやって誘き寄せたりはしない」
頭上から耳に届く声に美都は肩を竦める。淡々と、水唯はそう答えた。この状況が作戦の内だったかと思うと、目眩さえ覚えそうだった。
「言っただろ。君は他人を信じすぎだって」
水唯が先程の会話で出た言葉を繰り返す。
あの言葉は、自分への最後の警告だったのかもしれない。敵である水唯からの情けだったのかもしれないと。自分を信じるなと、彼は言っていたのだろうか。
「君の優しさが君自身を苦しめていることがわからないのか?」
グッと手を握りしめた。違う、あの時の自分の言葉に偽りはない。それでもこの状況が苦しくないと言えば嘘になる。ならばどうすればよかったのかと苛んだところで、すぐに答えが出るはずもなかった。
「……どうして、鍵が必要なの?」
美都は、水唯が鍵を求める理由を見出せずにいた。思えば初めて彼と対峙した際、実体のない影に鍵の本質を問われたのだ。ならば水唯は鍵の本質を知って尚、それを求めているという事になる。それは一体、何のために。
「そう命じられた。それだけだ」
「なら、そこに水唯の意思はないってこと……⁉︎」
「関係ない。俺はただ命令に従うだけだ」
顔を上げた美都に対して、水唯は冷たく言い放つ。その姿に再び彼女は押し黙った。
衣奈の時とは違う。衣奈はただ、心酔する人物のために鍵が欲しいと言っていた。二人の上にいる人物は同一のはずなのにここまで差が出る理由は何なのか。なぜ水唯はこうも淡々とその命令を遂行しようとしているのか理解が出来なかった。
「その人は水唯にとって大切な人なんじゃないの……?」
そう問いかけるとピクリと瞼が動いた。しかし次の瞬間には再び冷静に声を落とす。
「考えたことはない。これが俺の役割だから」
美都は目を見開いたままただ水唯を見つめた。一連の問答で、彼の言う通りそこには意思が感じられなかった。それはまるで心を持たない自動人形のように。
「これまで関係のない子を襲ったのも……命令、だから? 鍵のために──?」
「──そうだ」
その短い答えに思わず奥歯を強く噛み締める。結果的に鍵の所有者は美都だと判明したが、それが判るまでに多くの生徒が苦しんだ。その非人道的行いを容認することは簡単には出来ない。それは衣奈の時もそうだった。どんな理由であれそんなことは間違っているのだと。
(……! 『間違いを正す』……?)
自分の考えが夢で聞いた声の台詞と重なってハッと息を呑む。あの夢が示唆していたのはこのことだったのかと。四季も同様のことを言っていた。しかし先程彼が口にしていた予測とは反することがある。目の前の少年からは感情が全く感じられない。後ろめたさを感じているのならば、その様子が滲み出るはずだ。それなのに今の水唯はまるで”無”に等しい。
「……質問は終わりか?」
「──っ、鍵は所有者にしか扱えない……手にしたところで意味がないんだよ⁉︎」
何とか彼と会話を続けなければ、と美都は切り札を取り出す。鍵はたとえ他者に渡ったところで使用する権限がないのだと。それを知れば水唯も何かしら反応を示してくれるのではないかと、一縷の望みの元に。しかし。
「知っている。だがそれこそ俺にとってはどうでもいいことだ」
取り付く島もないとはこう言うことなのだろう。暖簾に腕押しだ。美都が何を言っても、水唯からは単調な答えしか返ってこない。それでも彼と話をすることを諦めるわけにはいかない、と強く噛み締めながら再び言葉を投げる。
「水唯、ダメだよ──鍵の本質を知っているんでしょう⁉︎ 闇の鍵がどんな力を持っているかわかってるんだよね⁉︎」
「わかってるさ」
「だったら──!」
「──それでもだ」
説得しようとした美都の言葉を遮り、水唯は力強く重ねる。
「それでも──命令は遂行する」
「っ……!」
なぜ、という言葉は声にならなかった。闇の鍵は破壊の力を宿している。使用すれば、待っているのは凄惨な事態だ。威力の程は不明だが人の中に隠されていて世界の均衡を保つものだとすれば、恐らく相当な規模となるだろう。それを理解していながらも尚、水唯は命令を遂行するつもりなのだ。
「無駄だ。いくら君が何かを働きかけようとも、俺はそれに応じることはない」
美都は再び顔を歪ませながら口を噤んだ。水唯にそんなことさせたくない。させてはならない。この問答があとどれくらい続けられるかはわからない。それでも引き下がってはダメだ、と強く思った。彼と向き合わなければ、話をしなければと。そう考えグッと喉を引き絞った。
「……それでも、わたしはやめないよ。水唯の意思じゃないって言うのなら尚更……!」
キッと水唯を見据える。すると彼が美都の動向にハッとして息を呑んだ。そしてすぐに苛立ちを募らせながら表情を険しくする。
「こんな状況で、よくそんなことが言えるな……!」
ようやく水唯が感情を露わにした。彼は苛立っている。それは自身に関することではなく美都の態度に対してだった。圧倒的不利な状況にいる彼女が強気の姿勢を見せていることに憤りを感じているようだ。それが不思議だった。
「君は分かってない──置かれている立場がどれほど不条理かを……!」
「だからってどうして水唯が怒るの? わたしがそんなに可哀想に見える?」
「──っ……!」
美都の返答に、声を詰まらせた。まるでそうだと言わんばかりに、彼からは何の言葉も返ってこない。その反応に彼女は少しだけ眉を顰める。そう思われることが癪に障った。
「所有者だから? 脅威の対象だからって言いたいの?」
「実際そうなってるじゃないか──!」
「違うよ。鍵を狙う人さえいなければ、わたしはただの中学生だもん」
苦い顔で声を荒げる水唯をいなすように、美都は凜としたまま己の考えを述べる。すると再び黙って奥歯を噛み締めているようだった。彼女の指した人物が己だと理解したのかも知れない。だがそれは違うのだと美都は言いたかった。
「──水唯」
名をなぞりながら、苦しそうな顔を浮かべる水唯の頬に手を伸ばす。
「わたしはあなたに、こんなことして欲しくない」
自分よりも少しだけ背の高い彼を見上げたまま、素直な気持ちを口にした。
すると水唯はピクリと目尻の神経を震わせた後、耐え切れなくなったのかフッと視線を逸らす。そこには先程まで無感情だった彼はいなかった。必死に感情を押し殺していたのかもしれない、と美都はふと考える。それが水唯の優しさなのだと。
「──っ、なんで……君なんだ……」
言いながら窓ガラスへ押し付けたままだった美都の肩から手を離し、また添えられていた手を拒むようにもう一方の手で除ける。一旦美都と距離を取ると先程以上に悲痛な面持ちで項垂れた。
「こんなこと、早く終わらせるつもりだったんだ────君じゃなければ……!」
昂ぶった感情を抑え切れず水唯がそう叫ぶ。その声に胸が詰まる想いだった。四季の予想は当たっていた。彼はやはり後ろめたさを感じていたのだ。そこまで近づけていたのに、彼の苦しみには気付けなかった。ただ不甲斐なさを感じる。彼を救わなければ、と何度目かの名を呼ぼうとした瞬間だった。
「だがもう──遅い。もう何もかも戻れないんだ」
「──!」
ポツリと独り言のように呟きながら水唯は再び腕を横へ掲げる。すると先程まで彼が手にしていたグラスの中の水が浮き上がった。その光景に目を見張る。そうだ、と瞬間思い出した。実体の無い影は、水を使役していたのだと。
「抵抗しないのなら好都合だ」
彼が手のひらを前に掲げるとそれに合わせて浮き上がった水が美都目がけて飛んだ。突然の挙動に驚き身動きが取れなかった彼女を、まるで生き物のような水が襲いかかる。それは身体中に纏わりつくとすぐさま美都を窓ガラスへ固定した。
「……っ! 水唯、やめて!」
あっという間の出来事に身動きを封じられたまま彼へ向かって叫ぶ。その声を耳にすると水唯は俯かせていた顔をゆっくり上げた。
「っ……!」
彼の表情を確認した美都は思わず息を呑んだ。金色の瞳に再び影を落とし、こちらを見据えている水唯の姿に。
「言ったはずだ。これが俺の役割だって」
「これがあなたの意思なの⁉︎ 本当にこんなことを望んでいるの⁉︎ ねぇ、水唯──!」
冷たい眼差しを向ける水唯に、美都は必死に訴えかける。ひと時前の彼の反応こそ正しいはずだと。それなのになぜ。役割や命令に囚われすぎだ。これが水唯の意思でないことは明白だった。しかし。
「俺の意思は必要ない。元から不要なものだったんだ」
低い声で機械のようにそう呟く。そして直後背筋に悪寒が走った。彼から感じられる宿り魔の気配が強くなったのだ。目の前に佇む禍々しい気に声を詰まらせる。今まで感じたことのない、その脅威に。
「わかるだろ。平野の時とは違うって。これが──俺に憑いてる宿り魔だ」
ゆっくりとこちらに歩を進める水唯に目を見張った。衣奈の時とは明らかに違う。憑いている、というレベルではない。水唯自身が宿り魔そのものなのだ。
心臓が早鐘を打つ。目の前で起こっている事実を処理し切れない。水唯が憑代であるのだとしても、溶け込みすぎている。宿り魔と一体化しているのだ。
「水唯──っ……だめだよ、やめて……!」
身体は水の粒で拘束されて既に動かない。水唯の目的を考えれば当たり前のことだ。標的が逃げないように固定したというだけなのだから。
それでも様子が一変する前の彼の苦々しい表情が頭から離れなかった。だから必死に声を上げる。こんなことはダメだと。己の感情を押し殺してまですることではないはずだ。
しかし目の前に佇む少年はまるで自分以外のことを遮断しているかのようだった。美都の手前で足を止め、一度フッと瞼を閉じる。その間も美都は彼の名を呼ぶことをやめなかった。
「──……ごめん」
ポツリとそう呟く声が耳に届いた。力なく発せられるその声に顔を歪ませる。そんな言葉望んでいない。そんな覚悟いらないのに、と強く手を握りしめた。
ゆっくりと目を開くのと同時に水唯は手のひらを美都の前に掲げた。その様に美都は肩を竦める。彼の手のひらにあるのは宿り魔の刻印だからだ。まさか、と今まで考えもしなかったことが脳裏を過ぎった。水唯が直接、手をあげるのかと。
「す、い──……っ水唯!」
自分の心音が煩い。絶え間なく響く雨の音がノイズのように聞こえる。彼に声を、届けなければならないのに。
手のひらの刻印が赤紫色に光る。どうしてこんなに無力なんだと、瞬間己を苛んだ。
「だめ……水唯──!」
苦痛が訪れる直前にも、美都は必死に名前を叫ぶ。
しかし無情にも、浮き上がった刻印は彼女の胸元へ食らいついた。
◇
「悪い四季、待たせたな」
「いえ。お疲れ様です」
マンションのエントランスで瑛久と合流する。先程まで電話で話していたのだがもう到着するとのことだったのでこうして直接聞くことにしたのだ。
「何があったんです?」
単刀直入に用件を伺う。元より電話をかけてきたのは瑛久からだった。自分がメールをしたせいもあるかもしれない、と考えた四季は彼の神妙な面持ちに怪訝そうに眉を顰めた。
「水唯の母親は──息子が転校したことを知らなかったらしい」
「! なんで……」
「全部夫に任せていたそうだ。俺の話に驚いてた」
私立に通っていると思っている息子が急に転校していたと他者から聞かされれば驚くのは当たり前だ。だがなぜ彼女の夫──つまりは水唯の父親が伝えなかったのかと疑問が湧き出る。
「なぜ父親は伝えなかったんでしょうか」
「都合が悪いことでもあったんだろう。彼女は何かに気づいていた。水唯を止めないといけないって呟きながら──……」
そう言うと瑛久の顔が曇る。直後に容態が急変したらしい。以前水唯の母親がいるのは長期療養が必要な病棟に入院しているのだと聞いている。大事にはならなかったそうだが相当肝が冷えたようだ。病院とは本来そう言う場所であるのだと忘れそうになる。直接現場を確認していないが話を聞くだけでも心配になる。彼の母は身体が強くないのではないかと。
「噛んでるのは間違いなく父親だ。あの状況じゃ詳しく聞けなかったが水唯に指示を出しているのは彼だろう」
「じゃあ──水唯の父親が黒幕ってことですか?」
「いや、それは言い切れないな。関わってることは事実だがどうにも様子がおかしかった」
瑛久は当時の状況を口に出して説明をしながら、尚も何かを考えているようだった。
「彼には鍵を求める理由がない。闇の鍵が治癒の力を持ってるならまだしも、あれは破壊を望むためのモノだろ。あんなに甲斐甲斐しく妻の元へ通う男にそんな感情があるとは思えないんだ」
己の考察を組み立てていく。それは同じ男として、夫としての意見でもあるように思える。それに近くで見ていた瑛久だからこそ感じることもあったのだろう。ならば彼の考えは筋が通っているはずだ。そうであるとすれば黒幕は誰か。なぜ水唯の父親が関わっているのか、というところだ。
「わからんな。一度相関図でも作ってみないと混乱しそうだ。もう一人の息子についても気になるところだし。そっちは進捗無しか?」
「美都が担任と話をしたみたいですけど、特に目新しいことはなかったんだと思います」
「手詰まり、か──」
一通り話し終えると瑛久は一旦ふぅ、と息を吐く。仕事の疲れもあるはずなのにこうして手助けをしてくれることに深く感謝する。彼の情報がなければ実際水唯が疑わしいと思うこともなかった。突き詰めていく程に水唯以外は考えられないのだと気付く。そう考えたとき、ここに来る前に会話していた美都の顔を不意に思い出した。
『水唯を疑ってるの?』
と問いかけてきた彼女の表情を。今まで一度だって考えたことがなかったのだろう。彼が敵である可能性を。それどころか度々水唯の容態を気にかけていた程だ。彼女の優しさを否定するわけではないが、それを利用されないか不安になる。
「結局美都ちゃんには伝えたのか?」
「……ついさっき、はずみで。信じられないって顔してましたけど」
「だろうな。まぁ先に知っといた方が良い。今後対峙する時があるかもしれないし……心構えが出来といた方が楽だろ」
「そうですよね……」
今度は四季が溜め息を吐く番だった。近いうちに話そうとは思っていたが、然も言い合いのような形になってしまったことに苦汁を嘗める。案の定彼女はすぐには受け入れられないような反応を見せていた。半ば無理矢理納得させたようなものだ。
「ま、なんにせよこの件は現状これ以上は進まんだろう。ひとまずお前は引き続き水唯に注意することだ」
言いながら瑛久は座っていた椅子から立ち上がる。彼に合わせるように四季も返事をした。時刻は夕飯時だった。瑛久も早く帰って愛娘の顔を見たいはずだ。どちらからともなくエレベーターへ歩き始めようとするとポケットに入れていたスマートフォンが震えていることに気付いた。
(──春香?)
画面を確認して見えた珍しい着信主に四季は目を丸くする。なぜ彼女が電話を掛けてくるのだろうと。よもや自分と美都を間違えているわけでもあるまいし、と考えながら瑛久に断りを入れて着信に応じた。
「もしもし。何?」
『あ、四季? 今ちょっと大丈夫?』
「いいけど──なんで俺?」
素朴な疑問を口にする。春香が自分に掛けてくる理由がわからず眉を顰めた。すると電話口の彼女も若干口籠もりながら言い訳を話し始める。
『や、用があるのは私じゃなくって──平野さんが』
「……は?」
『とにかく替わるから』
春香の口から出た名前に四季は更に眉間にしわを寄せる。衣奈こそ彼とは接点が無い。否、そもそもが敵同士であったため宿り魔が祓われた後も美都のように親交は深くしていないのだ。だが電話越しでも焦っているかのような春香の声を聞いて致し方無しと応答を待つ。
『もしもし向陽くん⁉︎ 今どこ⁉︎』
「──どこって、家だけど」
替わった瞬間から突き刺さるような甲高い声が耳に届き、四季は一旦受話器との距離を離した。正確にはマンションのエレベーター内だ、ということは言わずとも良いだろうと考えた結果だ。
『ねぇ美都ちゃんの近くにいたりしない⁉︎』
「は? なんで──」
『美都ちゃんといきなり電話が途切れちゃったの──!』
衣奈の話から、今まで美都と電話で話していたのだと察する。だが何も焦ることはないはずだ。美都は家にいる。何かのはずみで電話が切れることもあるだろうと四季は呑気に考えた。
「──それがどうかしたのか?」
『切れ方がおかしいのよ! ちょうどあの男の子について話してたところで──』
衣奈がそう言うのは恐らく水唯のことだろう。彼女からも美都に伝えたようだ。やはり先に話しておいて良かったのかもしれない、と考える。先に自分が伝えておいたおかげで動揺も少なく済んだだろうと。
「美都に伝えられたんだろ? なら──」
『違うの! 突然大きな音がして──多分スマホが床に落ちた音だと思うんだけど何度名前を呼んでも返事がなくて……! そしたら急に通話が切れて』
焦った声で衣奈がそう叫ぶ。四季はそこでいよいよ彼女の様子がおかしいと気付き始めた。ひとまず更に続けられる彼女の言葉に耳を傾ける。
『その後何度掛けても繋がらないし──!』
「でもあいつは──」
家にいるはずで、と声に出そうとした瞬間ハッと口籠もる。あれ程水唯と距離を取って欲しいと言っても、もしこうやって水唯から電話が掛かってきたら美都はどうするのかと。彼がSOSを出したとしたら躊躇わずに向かうのではないか、と。その考えが脳裏に過ぎった瞬間顔面から血の気が引く。
『私の杞憂だったらそれでいいの。でも今も連絡が取れないのよ──何かがあったとしか考えられなくて……!』
「っ……! すぐに確認する!」
悪い、と言いながら四季は顔を上げてスマートフォンの通話終了ボタンを押した。幸いにも間も無くエレベーターは居住階に到着するところだった。
「何かあったのか?」
横で話を聞いていた瑛久も只事ではないと察知したのか神妙な顔つきで四季に問いかけた。
「わかりません──でももしかしたら美都に何かあったのかもしれない……」
「もしかしたらって……家にいるんじゃないのか? 彼女」
瑛久の言う通りだ。だが今の衣奈の話を聞いて一気に不安が増す。家には結界が張られている訳ではないからだ。だが現状スポットの気配は感じられない。それが更に混乱の種となった。
「同級生から、美都と連絡が取れないってきて──とにかく確認してきます!」
居住階にエレベーターが到着すると瑛久の返事を聞く前に四季は一目散に走り出した。何もないはずだ、と高鳴る心臓を抑える。だが辿り着いた自宅を前に息を呑んだ。出かける前に締めたはずの鍵が開いている。四季は青ざめながらすぐに自宅へと駆け込んだ。




