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雨音が響く暗い部屋



荒れた息を整える間も無く、反射的にインターフォンを押す。距離的には大したものではないはずだ。それなのにこんなに息が切れるのは恐らく焦りもあるからだろう。

ピンポーン、と間延びした音が鳴る。一旦美都は家主の反応を待った。

(水唯……!)

しかし応答はない。もしかしたら家には居ないのかもしれない、と考えたが念の為もう一度インターフォンを鳴らす。そして同時に扉をノックして彼の名を呼びかけた。

(いないの──?)

だとしたら手詰まりだ。彼の居場所がわからず応答がない以上、自分が出来ることは無い。そう考え顔を顰めた瞬間、ドアノブがゆっくりと動いた。

「水唯⁉︎」

「──っ、……美都……?」

「! よかった──」

壁とドアの隙間から顔を覗かせたのは紛れもなく水唯だった。彼の安否が確認でき安堵したのも束の間、その顔色の悪さに息を呑んだ。今にも倒れるのでは無いかというほどに蒼白だった。すると彼はバツが悪そうに目線を逸らす。

「っ……なんで──」

「なんでじゃないよ……! 電話してくれたでしょう?」

「電話……?」

ここに至るまでの過程を簡潔に説明する。しかし発信主の水唯自身が寝耳に水というような反応を見せた。すぐに彼が自身のポケットに手を入れる。スマートフォンを取り出し画面を確認しているようだ。

「悪い……誤作動だ」

「それなら、いいんだけど──」

だが誤作動にしろ、見るからに体調の悪そうな彼を前に更に心配になってしまった。ドアが半開きで光が十分に入っていないからかもしれないが、眉間にシワを寄せて苦しそうに息をしているようにも思える。このままにしておいて良い訳が無い。ちょうど瑛久が下に到着したようなので連絡をして診てもらわなければ、と考えたその時。

「……っ!」

「水唯!」

貧血のような症状を見せ水唯が体勢を崩した。彼自身の力で支えられていた扉が閉まりそうになるのを寸でのところで止め、屈んで行く水唯の身体を慌てて支える。浅い呼吸を繰り返し、しばらく膝を着いたままその場にうずくまる彼の背を摩った。どうしよう、と動揺しているとやがて呼吸を整えながら水唯がポツリと呟いた。

「大丈夫、だ……」

「そんな顔で言われても説得力ないよ──! 待ってて、すぐ瑛久さん呼ぶから……!」

スマートフォンを取り出そうと美都が手を伸ばしたところ、その動きを遮るように強めの力で水唯が彼女の手首を掴む。

「いい、放っておいてくれ──!」

「でも……!」

大事(おおごと)にしたくないんだ」

弱々しくも彼の意思だと取れる発言に美都は押し黙る他なかった。救急車を呼ぶという選択肢もあるのだがそれこそ大事になる。彼の意思を尊重するにはどうしたら良いのか。無論放っておくことは出来ない。ここで介抱するにも場所が悪い。せめて彼が休める場所へ移動させなければ、と彼の肩を支えている己の手に力が入る。

「立てる? せめて横になれるところまで行こう?」

「……っ、──……」

「ごめん……嫌かもしれないけど、ちょっと上がらせてね──」

明確な返事はなかったが立ち上がる素振りを見せたため、水唯に合わせて美都もゆっくりと姿勢を正した。彼に一言断りを入れ、身体を支えながら靴を脱ぎ床へ足をつける。そのままリビングへと続く薄暗い廊下を共に歩いた。間取りがほとんど同じのため勝手知ったる、というところではある。しかしやはり他人の家だ。空気が全く違う。それは辿り着いたリビングを見た瞬間にも感じた。

「っ……──」

思わず息を呑む。空気が重く感じられたからだ。照明が暗いのも要因の一つかもしれない。しかしリビングを見渡した瞬間に、その殺風景な雰囲気に目を見張った。同じ間取りでこんなに違うものなのかと。ほとんど生活感が感じられないその場所にあったソファーへ、一旦水唯を誘導する。ゆっくりと座らせて様子を窺った。

「お水持ってくるから待ってて。コップは──」

「……適当に使ってくれ」

ポツリと呟かれた言葉を受け頷いた。キッチンへと回り込み、近くにあったグラスを手に取る。その時、カウンターに置かれている物に視線が動いた。ビタミン剤だ。それも少量ではない。おおよそ成長期の男子が口にする量ではない物だ。

(やっぱりご飯食べてないんだ……)

必要な栄養はこのサプリメントで補っていたのだろう。しかしそれにも限界がある。彼の身体が華奢な理由が少しだけわかったような気がした。思わず眉間にシワが寄る。しかし今は追及する時間はない、と思い直し手にしたままのグラスに水を注いだ。零れないように気をつけながら彼の元へと運ぶ。

「ひとまず水分摂って。飲める?」

俯き加減で座る水唯の前にそっとグラスを差し出す。すると、彼は力なくそれを受け取った。しかし水だけでは何の栄養も補うことは出来ない。明らかに貧血の兆候を見せているため、無理矢理にでも固形物を食べさせなければと考える。

「一応訊くけど、冷蔵庫の中に何か食材入ってる?」

食材さえあれば調理が出来ると思ったのだが、すぐさま彼が小さく首を横に振った。やはりか、と肩を落とす。

「ちゃんと食べなきゃダメだよ。後で食事持ってくるね。──そうだ」

四季に相談しなければと考えた時、彼に連絡していないことに気づいた。おもむろにポケットの中からスマートフォンを取り出す。四季には水唯に近づくなと警告されているが、こんなに弱っている彼を放っておけないというのが本心だった。怒られるのは覚悟の上だ。ひとまずはこの状況を説明しようと彼の連絡先を呼び出した。

「……君は──」

ポツリと呟く声が聞こえ顔を上げる。彼が口にした二人称が指すのは自分のことだろうと首を傾げる。

「他人を信じすぎだ」

苦い顔でそう言う水唯の言葉に目を見開く。突然のその評価に驚いたのもあった。同様のことを以前羽鳥にも言われている。しかしそれは違うのだ。

美都は動かしていた手を止めた。

「……そんなことないよ」

ふっと息を吐いて目を伏せる。信じすぎてはいない。それは恐らく過去の経験から無意識に他人と線を引いているからだ。だが客観的に自分はそう見えているということだろう。ならば自分の振る舞いは正解だ。こうすることでこれまでも生活してきたのだ。

「ちゃんと弁えてる。それにわたしは意外と自分のことしか考えてないから」

だから傷つかない。衣奈の時もそうだった。動揺はしたが傷つくことはなかった。止められなかったことへの悔しさ、そして拒絶されたことへの苦しさはある。だがそれは自分の行動が招いた結果だ。それこそ彼女に十分寄り添えていなかったのだと突きつけられたものとなった。しかし過ぎたことを言っても仕方のないことなのだ。だから、と最近考えることがある。せめて近くにいる人だけは。そう思いながらおもむろに水唯を見た。

「──前に水唯が自分自身のことを淡白だって言ってたでしょ? わたしは今でもそうじゃないと思ってて。今もこうして気遣ってくれるし」

他人が自分のことを想ってくれているだけ想いを返していく。それをここ数ヶ月の間に学んだ。

「だからわたしも、水唯の想いに寄り添っていたいんだ。……なんて、自分勝手なんだけどね」

迷惑になるかもしれない、と考えたことはある。それでも他人から向けられる想いを無下にしたくない。それは何より、自分にとって大切な人間だからという理由だ。だから証拠もなく疑うことは出来ない。

「──水唯のことが、大切だから」

「……っ!」

もし何かに悩んでいるのなら、彼の助けになりたいと思う。四季の想いに背くわけではない。自分に出来ることを模索した結果だ。

美都がそう呟くと、水唯は息を呑んで目を見開く。何かを語ろうとしたのか口を小さく開いた瞬間、手にしたままだった美都のスマートフォンがけたたましく鳴り響いた。驚いて両者とも肩を竦める。画面を確認した美都は更に驚いた表情を見せた。

「ごめん水唯、ちょっと出るね」

申し訳なさそうに断りを入れると彼女はスマートフォンに耳を当てた。おもむろに目を逸らす水唯には気付かずに。

「──もしもし? どうしたの、衣奈ちゃん」

『美都ちゃん⁉︎ 時間がないからよく聞いて!』

「え、ど……どうしたの?」

いつになく慌てて大声を出す衣奈に驚いて目を瞬かせた。だがその声色から何かしら緊急を要することなのだろうと瞬時に察知する。水唯に背を向け、衣奈の話に耳を傾けた。

『思い出したの! あの男の子のこと!』

「あの男の子って──同級生の?」

『えぇ。でもどうしても名前だけが思い出せないの……!』

尚も電話越しで焦っている様が窺える。彼女が話す後ろで他にも人の声が聞こえることから、恐らく外で電話をかけてきてくれたのだろうと察することが出来た。雨の音もするためとりわけ聞き取りづらい。一旦落ち着くように言い、衣奈が示唆した内容について訊ねる。

「外見を思い出したってこと?」

『……っ、落ち着いて聞いてね──その子はあなたの近くにいるわ』

衣奈の回答に小さく息を呑む。彼女がそう言うのなら自分の知り合いなのだろうと推測できた。続く言葉に身を構える。

『──転校生よ。もちろん向陽くんじゃない。水色の髪に、金色の』

「っ⁉︎」

瞬間、スマートフォンを握りしめていた手に鈍痛が走った。まるで何かに叩かれたかのような痛みだ。唐突に訪れたその痛みに驚いて手から力が抜け、スマートフォンはゴトン、という大袈裟な音を立て床に落ちる。その様を目で追うことに精一杯だった。

何が起こったのか、すぐには理解出来なかった。否、それよりも途切れる前に衣奈が口にしていた特徴に意識が向いていたのだ。

『美都ちゃん⁉︎ 美都ちゃ──』

床に落ちたままのスマートフォンから、自分を呼ぶ衣奈の声が途切れた。ハッと息を呑み振り返る。無論自分は触れていない。拾い上げる前に()が先に触れ強制的に通話を切ったからだ。その一連の動きに目が離せなかった。屈ませた身体を彼はゆっくりと起こす。

──転校生。水色の髪に金色の瞳。該当するのはただ一人だけだ。

心臓が早鐘を打つ。先程とはまるで違う彼が醸し出す雰囲気に。

まさか彼が先程のように手荒い行動に出るだなんて考えられなかった。しかし今この部屋には、自分と彼しかいない。これが答えだ。

「──……っ、す……い……?」

恐る恐る、名前を呼ぶ。張り詰めた空気が部屋には充満していた。

「まだ……わからないのか」

おおよそいつもの彼よりも低い声でそう呟く。

その圧に喉が詰まった。呼吸さえも忘れそうな程に。

ただ真っ直ぐにその人物と向き合う。目をそらしてはダメだと本能が語っていた。しかし。

その金色の瞳には、光が宿っていない。自分を見据える眼が鋭く冷たい。初めて見る彼の表情に、身体が硬直する。

足音なくその人物が近づいてきた。その様に後退りしそうになる。しかしそれは適わない。なぜなら自分のすぐ後ろには窓ガラスがあったから。

そして、乱暴な手付きで肩を掴まれた。

「──っ!」

その力の強さに驚いて声が漏れる。不意に掴まれた痛み。だが次の言葉で、その痛みさえも忘れる程に目を見張ることとなった。

水唯が静かに口を開く。少しだけ苛立ちを募らせながら。

「俺は──君の敵だよ、美都。いや……《闇の鍵》の所有者」

彼が自分に向けて呟く言葉に呼吸を止める。

先程降り出した雨が窓ガラスへ叩きつけられている。その音がまるで己の心音とリンクするようだった。





「美都ちゃん⁉︎ 美都ちゃん!」

急に彼女から返事が無くなり名前を連呼してみたが、無情にも通話はプツリと途切れた。

ハッとスマートフォンの画面を覗き見る。会話の途中でこんなに不自然に切れるものだろうか。美都が故意的に切るとは思えない。ということは何かが起きたのだ。

衣奈は蒼ざめて浅く呼吸を繰り返す。今から美都の元に向かったとて間に合わない可能性が高い。そもそも、彼女の居場所を知らない。先程聞いておくべきだったと後悔した。

どうしようと狼狽えていると、美都と仲が良い女子生徒がすぐ側を通り過ぎるところだった。

「川瀬さん!」

「ぅえ⁉︎ ひ、平野さん……? どうしたの?」

突然呼び止められたことに驚いたのか、それが自分だったからなのかはわからないが春香がギョッと目を瞬かせた。

「向陽くんと連絡取れる⁉︎ 今すぐ!」

「え……四季? 取れるけど……美都じゃなくて?」

「緊急事態なの! お願い急いで!」

「わ、わかった」

衣奈に急かされ春香は言われるがままスマートフォンを取り出した。理由を話している時間はない。事態は一刻を争うのだ。電話の状況から察するに恐らく四季は近くにはいない。それは美都の危険を意味する。すぐにでも報告しなければ彼女が危ない。

側では尚も不思議そうに春香が電子機器を操作している。杞憂ならばそれで良い。否、その方が良い。だが先程不自然に切れた電話の説明がつかない。

(お願い──美都ちゃん……!)

眉を下げてぎゅっと目を瞑る。もう少し早く気づいていればと苛む気持ちもあった。

今はただ美都が無事であるように。そう祈る思いだった。


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