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狼の子と猫の子のアルフライラ  作者: 日崎アユム
第2夜 ザイナブ様の大事なお手紙
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第1話 なっがーい!

 朝が来てしばらく経ってから、ギョクハンは休憩することにした。ようやく小さな緑地オアシスを見つけることができたのだ。馬に水を飲ませつつ自分も寝ようと思った。


 この先次の街まで日光を遮るものは何もない砂漠が続いている。名前がつくほど大きな緑地オアシスはない。見つけたところでこまめに休んでいくしかない。まして今はファルザードというお荷物を抱えている。


 井戸の傍に辿り着くと、白馬はファルザードを振り落とした。ファルザードが地面に落ちて「ぐえっ」と無様な声を上げた。ギョクハンは気にせず井戸から水を汲み上げた。


 黒馬がギョクハンの手元の桶に顔を入れて水を飲み始める。白馬は黒馬に口づけをするかのような近さで桶へ同じように顔を突っ込んだ。


 馬たちが水を飲み始めたのを見てから、ギョクハンは、井戸の周りに密集している椰子の木のうちの一本を選んで根元に腰を下ろした。


 ファルザードが四つん這いで近づいてきて、ギョクハンのすぐ傍に突っ伏す。


「何なのその体力……化け物……?」

「お前とは鍛え方が違うからな」


 水筒から水を飲む。あとで馬たちが満足したら自分も井戸から水を汲み上げて補充することにする。


「僕もう無理……内腿が痛い……」

「馬に乗ったことがないのか?」

「あるけど……、一応ひととおりの乗馬は教わったけど、こんな長時間乗り続けるなんて日常生活の中でなくない?」

「俺はもともと北方の草原で羊や馬を育てている部族の出だ。草原では日常生活でも移動は全部馬」

「騎馬民族の自分を基準にして行動しないでよ」

「だから今ここで休んでやってるんだろうが」


 ファルザードはそっぽを向いて横向きに寝転がった。顔は見えないがぐったりとしているように見える。とんだお荷物だ。


 ギョクハンが全力で馬を飛ばせば、ワルダからヒザーナまでは一週間もあれば行けるだろう。緑地オアシスを見つけるたびまめに休憩したり、ヒザーナとワルダの間にある街で宿泊したりなどしても、きっと十日ほどで充分だ。らくだとは違うので馬の水分補給は心配だが、ギョクハンの愛馬は我慢強い。


 ファルザードを連れてこのままのんびり行くとすると、いったいどれくらいの日数がかかるのだろう。一ヶ月くらいだろうか。その間にワルダ城が落ちてしまわないか不安だ。


 ずっとイディグナ河沿いをくだっていってもやがてヒザーナに辿り着く。しかしイディグナ河は途中で湾曲するので、ギョクハンは砂漠を突っ切る直線距離を選んだ。見渡す限り広大な砂の海になってしまうが、途中に大きな街がある。そこで食糧の補給もできるはずだ。それに、万が一戦闘になった場合、ギョクハンは砂地の方がよかった。河のほとりは沼地になっていて馬が足を取られやすいのだ。


 しかしファルザードを見ていると、河沿いにちんたらと進んで常に木陰で休める方がよかった気もしてくる。ここに置いていきたい気分だ。だが、ザイナブは、ファルザードを連れて行け、と言ったのである。ザイナブに背くわけにはいかない。それに、ここに置いていったら死ぬ気がする。さすがに自分が置き去りにしたせいで死なれると後味が悪い。


 立ち上がり、白馬の背に積んでいる荷物の中から、分厚い布の巻き物と水筒を手に取った。巻き物を広げ、ファルザードに掛けてやった上で、ファルザードの顔のすぐ傍に水筒を置いた。


「なんだ、優しいところもあるんだね」

「ザイナブ様が護衛をしろなんておっしゃらなかったら放置してる」

「ザイナブ様には忠実なんだ。狼っていうか、犬っぽい」

「馬鹿にしてるのか」

「どうしてそう卑屈なことを言うの? 僕はそれが悪いだなんて一言も言ってないよ」

「お前は猫っぽいな」

「こういう時に言われると悪口っぽいね」

「日陰でごろごろしてる」

「悪口じゃないか」


 ファルザードが上半身を起こす。布を自分の体の下に敷く。


 水筒のふたを取る。薄紅色の唇が水筒の口に吸いつく。立て襟の服の下、喉の中に水が流れていくのが見えそうな気がした。


「これから正午だ。真っ昼間に動くとこの季節でも死にかねない。日が落ちるまで昼寝するぞ」


 素直な声で「やったー」と言う。よほど疲れていると見える。姫君でも連れている気分で動いた方がよさそうだ。本物の姫君でもザイナブなら耐えられると思うが、それはそれ、これはこれである。


 馬たちは満足したらしい。適当にその辺の草をむしって食べ始めた。


 椰子の木の下が涼しい。乾燥した大地は日光を遮ると途端に過ごしやすくなる。ギョクハンも眠くなってきた。


「――王の中の王、カリーム諸王国のすべてを統べる者」


 不意にファルザードが呪文のようなものを唱え始めた。


「アシュラフ帝国の正統な後継者にしてミスライムとトゥランとユーナーンとサカリヤの庇護者、二つの河を有し肥沃な土地を守る豊かなる者、神に選ばれ天下を治める者、正しく裁く者にして寛容なる者、栄誉と博愛の主、正しい導き手、神の恩寵を一身に受ける――」


 見ると、ファルザードは文箱を開けて中の手紙を広げていた。


「ムブディの子のハミードの子のザーヒルの子、アブー・アズィーズ、皇帝スルタンサラーフ陛下。……ここまで全部皇帝(スルタン)のことらしいよ」

「なっが!」


 しかしそうと手紙に書いてあるのだ。ザイナブはこれをすべて憶えているのだろうか。


「かの邪知暴虐のムハッラムが侵攻せしめるは我が父ハサンの統治したる薔薇の都ワルダ、慈悲深く叡智あるサラーフ陛下におかれては哀れなる小娘をお見捨てにならぬとのこと我確信せり。刮目されよ、ワルダ城の行く末、その先に見ゆる帝国の末路を。ワルダ城まさに落ちんとす」


 そこまで読むと、ファルザードは手紙をたたんで文箱に戻した。


「すっごーい。手紙の半分以上皇帝(スルタン)の美称」

「それってひょっとしてヒザーナでは礼拝のたびに呼んでたりするのか?」

「ありえる。こっわーい」

「ワルダでよかった。ただでさえ礼拝の説教って長いのに――」

「あ、そんなこと言っちゃうんだ。ハサン様に買われてから改宗したんじゃなかったの? 不信心だね」


 ギョクハンは押し黙った。

 ファルザードが「冗談だよ」と言う。


「僕も憶える気ないから。……憶えちゃったけど」


 そこまで言うと、彼は「おやすみ」と言って黙った。

 ギョクハンも自分の布を広げた。布の上に寝転がる。


 椰子の葉が殺人的な太陽の光から自分たちを覆い隠してくれる。


 ファルザードの肩が規則的に上下し始めた。眠ったらしい。


 ギョクハンも目を閉じた。それまで自覚していなかったが、自分もそこそこ疲れていたらしい。昼間ナハル軍と戦って夜中はひと晩じゅう駆けた疲労が噴出した。あっと言う間に眠りに落ちてしまった。




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