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狼の子と猫の子のアルフライラ  作者: 日崎アユム
第8夜 僕たちの価値

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第1話 国家に対する一撃

 ファルザードの予想どおりだった。怒風組の背後には宮廷で絶大な権力を握っている人間がいた。


 大宰相(ワズィール)ウスマーン――この国で皇帝スルタンに次ぐ政治的権力を持った男だ。政治に疎いギョクハンでも知っている大物だ。検地をし、台帳を作り、徴税する。諸外国の王や諸侯と渡り合い、外交手腕で帝国を守る。軍事的な活動をしているという話は聞いたことがないが、ある意味では最強だ。


 しかし、ケレベクに連れられて円城の中に向かい、実際にウスマーンの邸宅で本人と会ってみると、そんなに恐ろしい男だとは思えなかった。真っ白な髪と同じく白く長いひげ、やせ細った体躯、細められた目は、穏やかな好々爺といった印象だ。


「なんと、ワルダから来たのかね。遠路はるばるヒザーナへようこそ」


 ウスマーンが言う。それからひよこ豆の焼き菓子を差し出して「食べなさい」と促す。ギョクハンは手を伸ばしかけたが、その手の甲をファルザードに叩かれて我に返った。相手はまだ信用できる人間か分からない。知らない人に出された食べ物をほいほい口にしたらいけないのだ。


「どうしたのかね、少年」


 ひげの下で、唇の端を持ち上げる。


「遠慮なく食べなさい。食べ盛りだろう」


 ギョクハンもファルザードも、唾を飲み込んだ。緊張する。相手は、帝国の最高権力者なのだ。


「あなたは何をしたいんですか」


 ファルザードが問う。


「あなたにはできないことはないでしょう。今の皇帝スルタンに直接政治を取り仕切る気がないんだったら、実質あなたが皇帝スルタンみたいなものではありませんか。それなのに、わざわざ、侠客アイヤールを使って。遠回りだと思います」


 ウスマーンが「それがそういうわけにもいかない」と答える。


皇帝スルタンの決裁が必要なのだ。私はあくまで宰相ワズィール。私がすることに応と言っていただかなければ何もできない」


 自らのあごひげを撫でながら「まあ、たいていのことには決裁をいただけるけれども」と言う。


「何か、決裁をいただけなかったことがあるのですか」

「鋭いね」


 ウスマーンが自ら焼き菓子を食べた。それを見て、ギョクハンは安心して焼き菓子に手を伸ばした。何か毒物が入っているということはないだろう。今度こそファルザードは止めなかった。


「正確には、私の意見が取り入れられなかった」

「何がですか」

「皇位継承についてだ」


 茶の注がれた茶碗に手を伸ばす。


「サラーフ陛下は近々ご退位あそばれるご予定だ。そしてご自分の指名したご子息、つまり皇太子殿下を皇帝スルタンになさるおつもりだ。しかし私はこの皇太子殿下があまり好きではない。彼に皇帝スルタンになられたら困る」


 茶をすする。


「皇太子殿下に実権を握られたら――」

「大宰相(ワズィール)の権限が縮小される、とか?」


 ウスマーンは茶を飲むばかりで明確に回答しなかった。


「皇太子様を引きずり下ろして、どうするんですか。他に推薦したい皇子がいるんですか?」

「いや、」


 心臓がきゅっと握り締められた気分になる。


「今の皇家には滅んでもらわなければならない。今の無能な皇帝スルタンと向こう見ずで言うことを聞かない皇太子では私が作り上げた帝国が滅びかねないのだ」

「それで? あなたが皇帝スルタンになるんですか」


 ウスマーンが答えないので、ファルザードがさらに詰め寄った。


「皇太子様や皇帝スルタンに納得がいかないから、怒風組を使って世直しを?」


 今度こそ、ウスマーンは答えた。


「そうだとも」


 後ろを見やって「なあケレベク」と言う。ギョクハンとファルザードの後ろに立っていたケレベクが首を垂れる。


「ケレベクはもとは私の奴隷軍人マムルークだったのだ。しかし片目が潰れてしまって任を解くしかなかった。だが有能な部下を失うのが惜しかった。新しい地位を保障してやりたかった」


 ファルザードが鋭く切り込む。


「本当に大事なら片目が潰れようが両目が潰れようがお手元で世話するべきだったのでは? どうしてわざわざおたずね者にしたんですか。ケレベクさんはもう表社会で官職を得ることはできませんよ。大宰相(ワズィール)奴隷軍人マムルークだったら宮廷に上がって武官になれたのに」


 ウスマーンが初めて眉を動かす。


「もっと大事な仕事ではないか。裏社会を取り仕切ることができる。これも一人の王だ」

「嘘ばっかり。表社会を取り仕切るよその国の王たちは誰も承認しませんよ。取り引きできるのはよその国の侠客アイヤールだ」

「承認させる」


 その声は力強い。


「私が皇帝スルタンになれば、できないことはない」


 唾を、飲んだ。


「やっぱり、国家に対する一撃(クーデター)であることを認めるんですね……!」


 ファルザードが「そんなことしたってついてくる人はいるんですか」と問い掛けると、ウスマーンはすぐ「いる」と答えた。


皇帝スルタンに不満をもっている層、怒風組を支持する層、そして――ナハルだ」


 その言葉を聞いた途端、手が痺れるような衝撃を受けた。


「ナハルは傘下でも最大の兵力を持つ国だ。ナハルが周辺諸国を制圧した上で私のもとにくだれば巨大な勢力になる」

「おい、待てよ」


 ついギョクハンまで声を荒げてしまった。


「あんた、ナハルがワルダに攻め込んだことも知ってるのか」


 冷静な顔で「もちろんだとも」と言う。


「ナハルが皇帝スルタンに次ぐ第二位の軍事力だとすれば、ワルダは第三位の軍事力をもつ国だ。併合すれば帝国の外の国をも威圧できるほどの大きな力になる」

「何言ってんだよ。なんであんたが皇帝スルタンになるのにワルダが犠牲にならなきゃならないんだよ」


 ファルザードも大きな声で言った。


「つまり。あなたを通しても、ワルダに援軍を送ってくれることはないんですね」


 ウスマーンが、笑った。


「そのとおりだ」


 そこで「おい」と言ったのはケレベクだ。


「話が違うぞ。あんた、こいつらを連れてきたら助けてやるって言ったじゃねぇか」

「お前はまっすぐすぎるのだ」


 茶碗を置く。


「殺せ」


 周囲に控えていたウスマーンの私兵たちが、槍の穂先を、ギョクハンとファルザードに向けた。


「ムハッラムには何が何でもワルダ城を落としてもらわねばならん。ハサンの娘だか息子だか知らないが何でもムハッラムにくれてやる。むしろワルダの私に反抗する一族が滅ぶのならば万々歳だ」

「……くそっ」


 ギョクハンもファルザードも、立ち上がった。


 ここまで来たのが無駄だった。


 ギョクハンは怒りで震える手をもって刀の柄をつかんだ。


 気持ちがたかぶる。後ろを見やる。


 ザイナブのためだけを思ってここまでやってきたのに、裏切られた。


 ウスマーンの私兵たちが一歩踏み出す。ケレベクも腰に携えていた剣を抜く。


 刀を、引き抜いた。


 それでも最後まで戦う。

 ウスマーンを放置していたらワルダは滅びる。

 戦うのだ。信じたもののために。


 構えた。


 その時だった。


 扉が勢いよく開けられた。


「そこまでだ、ウスマーン」



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