第2話 カラはまたお留守番だ
その日の午後、隊商宿の厩舎にて、ギョクハンとファルザードはようやく馬たちと過ごす時間を持てた。
馬房の中に入ったギョクハンは、黒馬を撫でさすりながらうめいた。
「ああーもうワルダに帰りたい」
その向かい、通路を挟んだ反対側の馬房で、ファルザードが白馬を刷毛で手入れしながら「とうとう本音を言ったね」と言う。
「城下町の郊外で一日じゅう訓練だと言い張って鷹狩りをしていた生活に戻りたい……」
「ないから。ワルダの今の状況で鷹狩りとか、むりだから。ワルダ城三千のナハル兵に包囲されてるから」
「ヒザーナはだめだ、ごみごみしててめちゃくちゃ窮屈だ。ワルダの城下町もきつきつだったけど輪をかけてすごい人口密度だ」
「なんてったって帝都ですから。その昔アシュラフ帝国があった時代からある街で、カリーム帝国の首都になってから三百年かけて巨大化した都市なんだとさ。三百年だよ?」
知らなかった。ファルザードは意外と物知りだ。一方ギョクハンは歴史にも疎い。
「それに一説によると百万人も住んでるらしい。帝国どころか世界で最大級の都だね」
「ひゃくまんにん……どうりで……もうむり……かえる……」
後ろから「ギョクくんが弱音とは珍しいね」と話し掛けられた。振り向くと、ジーライルが紙片一枚を持って近づいてきていた。
「やっぱり草原育ちだと広いところがいい?」
「まあそれもあるけどな、お前とアズィーズ様は俺のことを何だと思っているのかしらねーが、本業は騎士なのに徒歩で行って乱闘騒ぎをしてこいって言われたら気が滅入るに決まってるだろうが。カラはまたお留守番だ、お前らは俺とカラを引き離そうとしてる」
黒馬の首を抱き締めて「俺はお前と離れたくないのに」と呟いて震えた。黒馬は分かっているのだろう、ギョクハンの肩に顎をのせておとなしくしている。
ジーライルが「ずっとこんな感じなの?」と訊ねると、ファルザードが「そうだよアズィーズ様とジーライルと別れてからずっとこんな感じだよ」と答えた。
「この半月で、ナハル兵と戦って砂漠の盗賊と戦って悪い精霊と戦って……。たぶんそろそろ放牧しなきゃいけないんじゃないかと思う」
「可哀想に。シャジャラで稼いだ五万金貨で自分を買い戻して草原に帰りなよ」
「その前にザイナブ様にお会いしたい……ザイナブ様にお会いしてお前には五万金貨以上の価値がありますよって言われたい……」
「えっ!? ワルダのザイナブ様って『勇敢なる月』のことだよねっ!? 頑張れ少年!? それはすごい挑戦だと思うよ、いや本気ならお兄さん応援するけど!?」
はっとした。自分にとってのザイナブは城の中に入ればいつでも会って話ができる存在だったが、ワルダ城における彼女がどんな立ち位置か知らない外部からしたら、一介の軍人が城主の娘に会って会話をするのはとんでもなく不埒なことである。何となく慰めてもらいたいという程度の気持ちで言ったことだったが、ジーライルは求婚でもする気かと解釈したかもしれない。
顔を上げた。ファルザードが眉間にしわを寄せていた。その顔には、余計なことを言うな、と書かれている――気がする。彼が気をつけて一生懸命ごまかしていることを自分は軽々しく口にしようとしていたわけだ。ギョクハンは黙った。
ジーライルはそれ以上根掘り葉掘り訊いてこなかった。彼は「それで、今夜のことなんだけどね」と言いながらファルザードに紙片を渡した。ファルザードが刷毛を地面に置いてからそれを受け取った。
「今宵アブー・アリー邸に参上いたす。肥え太った豚を成敗し広く民衆にその財を分け与えんとす――怒風組。……何これ?」
「怒風組の犯行声明の写しさ」
怒風組――昼間アズィーズが討伐してほしいと言っていた侠客集団だ。
侠客とは、都市に根を張る無頼の徒のことである。己が力を頼みとして、強きをくじき弱きを助ける。公的権力である帝国政府を嫌悪し、時として法を犯してでも彼らを頼ってきた貧しい民を守る。
正直なところ、ギョクハンは侠客と戦うのに気が進まなかった。
侠客がそんなに悪いものだと思えないからだ。
本来はワルダの正規軍に属するギョクハンだ、口が裂けても言えないが、自分たちの目の届かない裏路地を取り仕切って戦う彼らをかっこいいとも思っていた。彼らには、独自の美学、独自の正義があり、自分たちとは違う形で己を貫いている。
それをファルザードは「犯罪者集団でしょ」で一刀両断にした。情緒の分からない奴だ。
「怒風組っていわゆる怪盗ってやつなの?」
「似たようなもんだね。義賊気取りなのさ」
「うっわー迷惑。しかもアブー・アリーって帝国の偉い書記でしょ? 成敗ってなに、殺すの?」
「それが分かんないんだよねー。今までもこういうことあったけど、ひとによって、単に門の前に逆さ吊りにされているだけの人もいたり、殺されちゃった人もいたり、まちまちなんだよね」
「どういう基準?」
「ここだけの話、下町で評判が悪い人ほど酷い目に遭ってる」
ファルザードが唸った。
「ひょっとして、下町の皆さんは怒風組が大好きだったりしない?」
ジーライルが「正解」と指を鳴らした。
「それを討伐してほしいってさ、アズィーズ様さぁ……」
「まあまあまあ! 最終的にはワルダに帰る君たちにはそんな影響ないよ!」
紙片をにらみつけつつ、「ジーライル調べではアブー・アリーは殺されそう?」と問う。ジーライルも目を細めて紙片を覗き込みながら「五分五分」と答えた。
「そこまですごくあくどいことをしている印象はないけど、もっと酷い奴がいっぱいいるってだけで、相対評価だよね。ヒザーナの宮中や街中で悪さをしたことはないから、まあ殺しはしないんじゃないかな、とふんでいる。でも自分の領地から毎年がっぽがっぽ税金集めをしてふところを肥やしているのは確かだ、そしてなかなか喜捨しないことも」
「ふうん」
紙片をたたんで、ふところにしまった。
「で、僕らは具体的に何をすればいいって?」
ジーライルが「頼もしいね」と笑った。
「アブー・アリー邸に行って侵入してきた賊を生け捕りにしてほしい」
ギョクハンも馬から体を起こした。
「まずは情報の入手だ。そしてその情報をもとに明日以降組長の確保に乗り出してもらう」
「その、組長の確保までが仕事か」
「そうだね……、とりあえず今晩の事件だけ解決して賊を生け捕りにするところまでやってくれたら当局に引き継いでもいい。いや当局って僕役人じゃないけど」
彼は「最終的に組長を押さえて潰すことができればいいんだからね」と言う。
「アズィーズ様は寛大なお方だ。君たちにそこまでの無茶はさせないさ」
それが侮られているように感じてしまったので、ギョクハンは「最後までやる」と言い切ってしまった。ジーライルが「頼もしいよ!」と言う。
「まあ、何はともあれアブー・アリー邸だ。場所を教えるよ、今から向かってほしい」
「はーい」
「おう」
ファルザードが「で」と顔をしかめた。
「アズィーズ様は今何してるの?」
「なんと! お屋敷に帰って床屋を呼びました!」
「……そうだね、それは、そうしてください」




