第1話 うさんくさい!
ヒザーナはイディグナ河の西岸に築かれた都市だ。
計画的に造られた街中には、運河が網の目状に張り巡らされている。人々はその運河を利用して移動したり物品を運んだりすることができる。目で見て涼むこともできる――今のギョクハンとファルザードのように、だ。
二人は運河のうちの一本を見下ろす高級飲食店の二階の個室に通されていた。窓から遠くに目をやるとイディグナ河も見える。
これからジーライルの出資者であるアズィーズという男と会うことになっている。
どうやらアズィーズは二人の想像をはるかにしのぐ大金持ちらしい。
入ったことのない高級料理を出す店に連れてこられて、二人は緊張していた。こんなところで腹が満ちるまで食べてもいいのだろうか。
店だけではない。アズィーズに対しても、二人は緊張していた。あのジーライルが様を付けて呼ぶ男だ。しかも皇帝に近しい存在らしい。具体的に何をしているかまではジーライルは説明してくれなかったが、とにかく、偉い人なのだろう。
加えて、ジーライルには、アズィーズに、皇帝に会おうとしている理由を説明するように、と言われていた。
ギョクハンとファルザードは、二人で話し合った結果、アズィーズには援軍のことを話そうと決めた。もしアズィーズが帝国の高官だった場合、遅かれ早かれ知られることになる。それに、ザイナブの手紙をめちゃくちゃにしてしまったので、二人は身分を証明するものを持ち合わせていない。アズィーズの口利きの他に頼れるものはない。
さて、吉と出るか凶と出るか。
「お待たせー」
衝立の向こうからジーライルの能天気な声が聞こえてきた。二人は気を引き締めて絨毯の上に座り直した。
「入るよー」
胸の鼓動が早まる。唾を飲み込む。
衝立をのけてまず入ってきたのはジーライルである。彼は普段どおりだ。ジョルファ人の派手な民族衣装を着て、あっけらかんとした笑顔で部屋の中に足を進めた。
その後ろから、一人の背の高い男が姿を見せた。
ギョクハンもファルザードも、顔をしかめた。
その男は、蜜色に近く濃い金髪も、同じく剛毛の蜜色のひげも伸ばし放題で、顔が分からなかった。
怪しすぎる。
都市のカリーム人らしく、白い立て襟の襯衣の上に、黒の短い胴着を着て、深緑の上衣を羽織っている。どこででも見掛ける服装で、特別身分の高い男の恰好には見えなかった。唯一腰に下げた短剣だけは柄が金で柄尻に紅玉を埋め込んでいるので高価そうだ。
「やあ、お待たせしたね」
低い声には張りがあるので実年齢はまだ若いと思う。だが、見た目では、まったく、何歳か分からない。
ギョクハンは思わずファルザードの顔を見てしまった。ファルザードもギョクハンの顔を見ていた。胡乱なものを見た目をしている。おそらくギョクハンも今同じ目をしている。
前に向き直った。
毛むくじゃらの男は少年たちの反応を意に介していないらしい。二人の正面に腰を下ろし、あぐらをかいて「ヒザーナにようこそ」と言った。その声は明るい。
「私はアズィーズ。ジーライルの出資者だ」
ジーライルもその毛むくじゃらの男――アズィーズの隣に座った。
「よろしく頼むね」
ギョクハンとファルザードは、力なく、「はあ……」と呟いた。
「……何だい? 元気がないようだ」
「アズィーズ様の見た目が怪しいからでは?」
二人が言ってもいいのかどうか悩んだことを、ジーライルはあっさりと言ってのけた。心臓がつかまれたような不安を感じた。だがアズィーズはさほど深く気にするたちではないようで、声を上げて豪快に笑った。
「いやあ、君たちが急いでいると聞いたものだから。床屋にあれこれしてもらってからこようかと思ったのだが、予定を繰り上げて繰り上げてとしていたら身なりを整えているひまがなくてね。すまない。とりあえず風呂に入って香を焚いたから臭くはないだろう?」
「はー、でもまたどうしてこんなことに。今度は何をしていたんです?」
「ジーライルがヒザーナにいなくてとても寂しかったからね、半年くらいかな? 砂漠を歩き回ってしまった」
言葉遣いは比較的丁寧に感じる。本来はそこそこ上品な男なのかもしれない。しかし見た目の怪しさがあまりにも強すぎて相殺できない。まして砂漠を放浪していたとなればなおさらである。
「砂漠で何をなさってたんですか」
「冒険だ」
「はー、アズィーズ様はバカでいらっしゃる」
ジーライルが「その間にナハルが大暴れしていますよ」と言うと、アズィーズがまた大声で笑って「すまん!」と言った。あのジーライルですら真面目な人間に見えてきた。
食事が運ばれてきた。まずは前菜で磨り潰したひよこ豆の練り物と山羊の乾酪、刻み野菜の盛り合わせだ。
「さ、食べたまえ。君たちが育ち盛りの大喰らいであることはジーライルから聞いている。ここのお代はすべて私が払うから気にしなくていい」
ギョクハンはこわごわ乾酪を手に取った。ファルザードも野菜に手を伸ばしたが、手に取るまではしない。アズィーズの顔色を窺ってしまうのだ。といっても表情が見えるわけではない。
ただ――長い蜜色の前髪の合間から碧色の瞳が見えた。おそらく西方系の血が混ざっている。母親が西方系の高価な女奴隷である可能性が高い。つまり高貴で裕福な身分のカリーム人の息子なのだ。
いったい、何者だろう。
「あの」
ファルザードが口を開く。
「ジーライルに、アズィーズ様は皇帝に近しい、高貴な身分のお方だとお聞きしています。具体的に、何をなさっておいでなんですか?」
アズィーズは「ナイショだ」と答えた。
「だが難しい手続きなしに皇帝とお会いできる身分であることは本当だ。こんな姿では信用してもらえないかもしれないが、私は宮廷でそれなりの力を持っている。軍事も、内政も。私にはある程度のことができるよ」
軍事にも内政にも干渉できるということは、武官でも文官でもあるか、もしくは、どちらでもない。何なのかまったく分からなくなった。
「食べたまえ、少年たち」
前髪の下の目が細められた気がした。
「腹が減っては戦はできぬ、だよ」
「僕たち本気で困ってるんです。あなた様がどちらのお方なのか分からないと、僕たちも本当のことを話せません」
ファルザードが毅然とした態度で言う。
「子供だと思って侮られてはかないませんね」
アズィーズがまた笑った。
「すまない、君たちを愚弄しているつもりではないんだ。私も私なりに急いで頑張っているつもりなんだよ」
次の時、「ワルダから来たそうだね」と言われた。ギョクハンは背筋を正した。
「ワルダには私にとっても大事なひとがいて、そのひとを救いたいと思っている。だが私には情報がない。ジーライルを忍び込ませようかとも考えたが、さすがのジーライルも三千のナハル兵が囲んでいるところに単身で放り出すのは危険だと考えてやめた。君たちが私に情報をくれたらとても助かるし、君たちも私を頼った方が帰宅の日が早くなると思う」
あのよく喋るジーライルが黙ってアズィーズの隣に座っている。真面目な話をしているのだ。緊張が高まる。
「そのひとって、ワルダのどこにお住まいの何さんですか」
ファルザードが問い掛けると、アズィーズは片目を閉じてまた「ナイショだ」と答えた。
「具体的には言えないが、とても美しい女性だ――と、聞いている。直接お会いしたことがないので分からなくてね。でも真剣に妻に迎えたいと思って何度も面会を依頼する手紙を送っているんだ。それが残念ながらお父上のところで止まってご本人のお手元に届いていないと見える、返事が返ってきたことはない」
「ご本人が読んだら返事を書くと思ってるんです?」
「私と結婚したくない女性など世界のどこを探してもいやしないよ!」
また、大きな声で笑った。ファルザードがとうとう「うさんくさい!」と言ってしまった。
「ワルダの女性を守るためにも俺はあなたを斬って捨てなきゃならないのでは」
「物騒な子だ。よしなさい。食べたまえ」
四人が手をつける前に次の料理が運ばれてきてしまった。炭焼き肉だ。熱いうちに食べた方がおいしいが、今は食事どころではない。
「ひとつ試験をさせてくれないか」
アズィーズが身を乗り出す。
「試験?」
「君たちを皇帝に会わせても大丈夫な人間かどうかの試験だ。その試験を通ったら、私は君たちに自分の正体を明かしてすべての流れを解説しよう」
アズィーズの碧眼は、今度こそ、真剣に見えた。
「何ですか。とりあえず、聞きますよ。受けるかどうかは分かりませんけど」
ファルザードがそう答えると、アズィーズが、人差し指を立てた。
「侠客退治だ」




