第4話 傷つけられたからって傷つけていいと思うな
相手が人間なら恐れることはない。何度も戦ってきた。戦える。相手は人間だと思えばギョクハンは冷静に戦うことができる。
左の刀一振りだけを抜いた。この狭い路地で二振りを振るうのは無茶だと判断した。
先頭を歩いていた男が代表格なのだろうか、他の男たちを掻き分けるようにしてギョクハンの前に出た。
「トゥラン人だな。雇われの用心棒か? そんな若い身空で何が悲しくてこの狭苦しいシャジャラにいる?」
流暢なカリーム語だった。訛りもほとんど感じられない、カリーム半島のカリーム語である。話す低い声も落ち着いていて理知的だ。とてもシャジャラを震撼させている化け物の声とは思えない。
「故郷のトゥラン平原に帰りたいとは思わないのか? それともそのための路銀稼ぎを?」
「ご心配なく、俺はカリーム暮らしを気に入ってるんでな」
宣言するように力強く、「奴隷軍人であることは俺にとって誇りだ」と言った。男がまぶしそうに目を細めた。
「そうか。……うらやましい」
両手を広げて悲しく笑う。
「お前はいいご主人様に当たったんだな。残念ながら俺たちははずれだった。いや、俺たちは生まれながらにしてはずれだったと言わざるを得ない」
「ひょっとしてザンジュ人か」
南方の大陸から海を渡って黒人奴隷として連れてこられる人々だった。黒人の中でもザンジュ人は劣悪な人種とみなされてひどい扱いを受ける。聞くところによれば鞭で打たれながら過酷な農作業に従事させられるという。
ジーライルの言葉を思い出した。
――綿畑の奴隷まで軍隊に駆り出されたとかでぜんぜん種蒔きどころじゃないんだ。
「ナハルの綿畑で働かされていたというのはあんたたちか」
「よく知ってるな。そのとおりだ」
ギョクハンはひるんだ。刀の柄を握り締めて黙ってしまった。
直接の知り合いにザンジュ人がいないので、詳しいことは知らない。けれど、故郷から連れ出されて遠い土地で朝から晩まで働くことを強要されるという状況がどれほどの苦痛か、想像できなくはない。
ギョクハンは奴隷軍人であることに納得して生きている。むしろ楽しんでいると言える。奴隷の身分になったことについて反発心が沸き起こったことはない。ハサンも先輩たちもギョクハンを大事にしてくれた。カリーム語を教わり、カリーム料理を食べ、カリーム人とともに暮らしてきた。
男は流暢なカリーム語を話している。カリームの地に連れてこられてから勉強したのだろうか。この段階に至るまで、どれだけの苦難の道のりがあっただろう。
ギョクハンも、故郷のトゥラン平原がまったく恋しくないわけではないのだ。
刀を下ろした。
「俺はあんたたちと戦いたくない。シャジャラを離れて遠くに行くと約束してくれ。自由の身になったんだ、もういいだろ」
男が「優しい子だな」と苦笑する。
「だが故郷に帰るための船はない」
「だから、奪うのか?」
彼は「そうだ」と答えた。
「カリーム人たちは俺たちから多くのものを奪った。俺たちもカリーム人たちから多くのものを奪ってやる。これで対等だろう?」
後ろから鋭い声がした。
「女の人たちはどうしたの」
ファルザードが男を睨みつけている。
「一人歩きの女性をさらったって聞いた。その女性たちはどうなったの」
男が肩をすくめた。
「俺たちの妻にした。男たちだけじゃ孤独だろう? それにカリーム人たちは多くのザンジュ人奴隷の女たちを好きにしてる、俺たちだって――」
「一線を越えたな!?」
ファルザードのその声は悲鳴にも似ている。
「どんな理由があったって、今のあんたらがやってるのは強盗で殺人で強姦なんだよ!」
ギョクハンははっとした。
「傷つけられたからって傷つけていいと思わないでよ!!」
改めて刀を握り締めた。
「投降しろ。あんたたちはちゃんと裁かれた方がいい、自首すれば情状酌量を認めてもらえるかもしれない。でももしこれ以上やるなら俺が斬る」
ザンジュ人たちもまた、腰に下げていた剣を抜いた。
動き出した。
ギョクハンは大きく踏み込んだ。一人目の男と刃を合わせた。重い。振り払う。すぐに第二撃に移る。しかしそれもまた受け止められる。
強い。
一歩下がった。男がさらに一歩踏み込んできた。上から脳天を叩き割る勢いで剣を振り下ろす。ギョクハンは間一髪で避けた。
さらに一歩踏み込まれた。横から男の腕を斬りつけた。だが皮膚を切り裂いただけで致命的な傷にはならなかった。男が怒りで目を見開いただけだ。
「この小僧」
男が腕を伸ばしてきた。同時に二人目の男も腕を伸ばしてきた。片方の男がギョクハンの右腕を、もう片方の男がギョクハンの左腕をつかんだ。ザンジュ人は身体能力に優れていると聞いたがまさかここまでだとは思っていなかった。
力任せに振り払った。そして一歩下がろうとした。
足に、ちり、と焼けるような熱を感じた。下を見ると、縄がそこでまだ燃えていた。へたをすれば火傷をする。しかしその条件は彼らも一緒だ。
刀から片手から離して、男がふたたび伸ばしてきた腕をつかんだ。
思い切り引いた。男が肩から地面に落ちた。男の背中が縄の火に触れた。肉の焼ける音に続いて悲鳴が上がった。刀を突きたてた。男の叫び声がやんだ。まず一人目だ。
仲間がやられて動揺したらしかった。二人目の男が一瞬動きを止めた。その隙を狙ってギョクハンは踏み込んだ。
男が剣を構え直そうとした。その手首を切り裂いた。今度こそ手首が飛んだ。
膝から崩れ落ちたところを、背中を蹴る形で突き飛ばした。男の顔面が火に突っ込まれた。
狭い路地に入ったことが幸いしたようだ。ザンジュ人たちは一人ずつしか出てくることができない。一斉に襲われるということはなかった。
三人目が向かってきた。叫びながら突進してきたので、ギョクハンは足をそのままに反り返り、壁に背中をつけた。三人目が前につんのめった。その背中を切り裂く。炎の上に液体が飛び散り、じゅ、という焼ける音がした。
「その娘を人質に取れ」
先ほど話していた代表格の男が、背後にいた四人目の男に声を掛けた。男のたくましい腕がファルザードに伸びる。
「させるかッ!」
ギョクハンは自ら男たちの方に踏み込んだ。




