閑話:かつてあった村
久々に『壊されたモノ修復します』書きました。閑話ですが。一章ラストに挟む予定なので話数がずれます。すみません。
ミリアの許婚者であったステン視点の三人称です。
「見事に何もないな」
隣町に避難していたのは十日に満たない。周辺の同じような村からの避難民でごった返していた。町の中には当然入れず、食料もない。地面に直接寝転がるしかなく、毛布すらない。それぞれが身ひとつで逃げ出したようなもので、売れるような物も持たない。村人の中には更に国の中央部へと向かった者もいた。
神殿を通して魔王が倒されたことが伝わると、町に逃げていた約半数が元の場所に戻るべく動き始める。だが一部は町に残る選択をした。それを責める者はいない。
「ステン、おまえはどうする?」
「とりあえず一回帰ってから考える」
ステンと呼ばれた男は―――実際にはまだ少年だった。上背があり、樵という職業柄、筋肉もある。見た目だけであれば大人に見えるが、その顔はまだどこかあどけない。
「村、残ってっかなー?」
「どうだろう。噂じゃ国中ぼろぼろってらしいし」
ステンと話しているのはやはり同年配の少年で村長の息子のファド。二人はソラス村でも少ない若手だ。開拓村として始まったソラス村は成功したと言えるほどの規模にはならなかった。痩せた土地。荒野を開いても思うほどの収穫もない。失敗というほども悪くはないが、先があるようには正直思えない場所。それでも生まれ育った村に思い入れはある。
「俺の縁談どころじゃないよなあ」
「そうかもな。あっちの村もどうなってるか」
ファドは何事もなければ近隣の同じような村から近く嫁を取ることになっていた。何せ一応は次期村長だ。と言っても他の村人より優遇されるほどの余裕はなかったが、村には女手がとにかく少なく、それを思うとマシな部類ではある。
ふたりは連れ立ってソラス村への道を歩き出す。何人か村人が同じように前後を歩く。魔王が倒されたことで魔獣の被害はないが、普通の獣まで消えたわけではない。ステンの手には逃げ出す時も離さなかった斧があり、多少の戦力にはなる。単独で動くよりも安全だと口にせずとも誰もが考えた結果だ。
「そういやステン、ミリアはどうした?」
問われてようやくステンは自分の許婚のことを思い出す。ここ数日、まったく気にする余裕もなかった。
「見てないな……」
「この集団にもいないな」
ミリアはソラス村では二番目に若い子供。一番若いのは生まれて間もないような赤ん坊だったから、永らく唯一の子供として見られていた。出生率の低さ。そもそもまともに所帯を持てるほどに女が足りない。成人男性の中でも独身者は半分を占めるほどだ。その状態で生まれた貴重な女児であったミリアの許婚者にステンが選ばれたのは、村でも有用な樵の子供だったこと、他の男たちとはあまりにも年齢が離れすぎていたことが原因だ。ステンにとっても選ぶ余地などない縁談。それでも嫁取できるようになるのは五年は先の話であった。
「ミリア、顔は可愛かったから攫われでもしたかな」
「それはさすがに……。でもそうかもしれない」
両親を早くに失ったミリアは常より村人の手を借りてようやく生き延びていたようなものだ。ステンたちでさえ水しか飲めないような状態で弱り切り、本来ならば保護するべきステンとその家族にもまったく余裕も気力もない避難生活。村人で交代に狩りに出て何とか食いつないでいた状態だ。力のないものから食い物にされる。ならば。
周囲の村人たちも同じように今頃ミリアの不在に気が付いたらしい。気まずい動揺が広がっていく。
「ミリアか……」
ステンは早くから父に倣って樵の仕事を手伝っていた。斧を振るほどの力がないうちは下枝を払ったり、薪になるような小枝を拾ったりであったが、それでも仕事を与えられていた。子供らしく遊んだ記憶はあまりない。そして六歳も下のミリアと遊んだ記憶もほとんどない。
どこからか流れてきた女が村人と所帯を持って産んだ子供。ミリアの母が現れた時には一種の争奪戦があったらしい。商売女でもなさそうな、まともな家で育ったらしい普通の女。特別に美しいというわけではないが醜くもない健康な女。過去は不問がこの村の不文律だ。余程の大罪人でもなければ受け入れてきた。おそらくは街育ちのその女も。何より若い女は貴重だったので。
そうやって無事に生まれたミリアとは一応は許婚者ということで、たまには交流を図ってはいたが、密かにステンがミリアに抱いていた感情は「得体がしれない」に近かった。
普段はおとなしい少女だったし、素直に両親や村の大人には従っていたのだが、時折浮かべる表情が不満と憧憬を訴えていた。口にはしないし、本人もはっきりとは分かっていなかったようだが、ミリアはきっと村の暮らしに満足していなかった。だからといって、贅沢をしたいとかいう雰囲気でもなく。周囲もどことなく扱い辛いような遠巻きにするような対応をしていた。
だがまだ五歳になったかならないくらいで、年に何回か訪れる行商人に纏わりつき始めた。物を強請ったのならば子供にありがちなことと見られただろうが、ミリアが強請ったのは知識―――文字と計算だった。
開拓村で暮らすような人間は、学がないのが普通だ。あれば町や街で仕事が見つかる。ないから流れてきたようなものだ。さすがによそとの交流の窓口である村長は文字の読み書きはできたが、ただの村人にそれが必要な環境はない。
普段のおとなしさを振り払うようにミリアは行商人に纏わりつき、そして望むものを得た。村長に縋らなかったのはおそらく彼の多忙さを知っていたからだろう。そして確実に、村長よりも行商人の方が知恵も知識もあった。
辺境の開拓村になど行商しても益はない。そこは上から補填されているらしいが、その人物も望んで巡回している様子ではなかった。だからだろうか。行商人は早々に折れて、短い滞在期間にミリアに熱心に教えた。しばらくは行商人が去った後も、地面に棒で何やら書き付けているミリアの姿が見られた。
(何がしたいんだろう)
村で暮らす限り文字も計算も必要ない。読む本も書く紙もない。
(村から出たいのか?)
もしや母親から聞くよその暮らしにでも憧れたのだろうか。もしそうだったとしても、ミリアの母にも学がある様子ではない。どこからミリアの知識への欲が来たのか分からない。そもそも村に生まれ育てば出ていけるような機会もない。男であれば出奔も可能であったかもしれないが、ミリアにある未来は年頃になればステンに嫁いで子供を産み育てるというものだ。
ただし。ステンにも何故かその未来は見えなかった。
両親からそれぞれ良いところを受け継いだであろうミリアの容姿は悪くはない。むしろ良い方だ。外を知っている大人たちもそう言っていたくらいだ。年頃になればきっと綺麗な娘になるだろう。
なのに、ステンはミリアが自分の嫁になるとは思えなかった。
年齢が離れているから妹のようにしか見えないのだろうと、自分では思ってはいたが、何故だろう。いつか自分の手をすり抜けていく、そんな予感がずっとあった。
村のあった場所に着いてみれば、そこには何もなかった。地面や周囲の様子から火に巻かれて焼けたのだろうと予測はついたが、それにしてはきれい過ぎた。
無事に残っていたのは井戸と、そして井戸の側に置かれていたいくつもの櫃。
櫃は衣類を入れたり、小物を入れたり、あるいは食料を入れたりもするので各家にいくつも備えているものだった。櫃の上部には炭で書かれたであろう文字らしきものがある。少しは字の読めるファドがそれを見てとった。
「これ、名前が書いてあるぞ」
ファドが読み上げた名前の村人が櫃を開ける。
「あ、これ! 俺の家のだ!」
次々に名前を呼ばれて櫃が開けられていく。
櫃の中には、それぞれの家にあった物が収まっていた。衣類、小物、小銭など。戦火に焼かれたとは思えない状態で。さすがに家具や大物はなく、櫃に納まるサイズのものだけではあったし、食料もなかったが、少なくとも何某かの物が残されていた。
村人の名前を知っていること。その人物の家を知っていること。名前を書けること。
そうなると、やった人物と思われるのはひとりしかいない。
「ミリアか……?」
櫃の中にはミリアの家のものはなかった。
「どうやって?」
その答えはない。
村は最初から無かったように空き地が広がるばかり。
櫃を用意したであろうミリアの姿もどこにもない。
「えーっと、どうしたもんかなあ?」
「どうもこうもない。自分の家のものはそれぞれが持つしかないだろう」
「そうじゃなくてさあ、これからどうすっかなって」
ファドが言いたいことは分かる。村にはもう何もない。村だった場所でしかない。身一つで逃げ出したのだから、多少の身の回りのものや、何より思い出の縁になるものが得られただけでも奇跡だろう。それでも村は滅んだのだ。
「俺はここを出ていく」
「まあそうだよなー。俺もそれしかないと思う」
ステンに同意するのはきっとファドだけではない。更地になっているから、村の最初の開拓時よりかは復興も難しくはないだろう。しかしそれにだって支援される物資が必要だ。そして支援の手はおそらく、ない。
集まった村人たちの意見もステンたちのものとは変わらず、ソラス村は廃村が決定された。ただこの後も戻ってくる村人がいるかもしれず、そのために村長は十日間だけここに留まることになった。櫃に書かれた名前が読めるのが村長と辛うじてファドしかいないのだ。
ファドはステンと組んで近隣に獣を狩りに行って、滞在期間、村長に食料調達することに。他の村人は三々五々、櫃から取り出した荷物を持って村を離れる。持ちきれないものを置いていかれることもあった。何せ荷車もないのだ。最終的に残されたものは村長が引き取るか破棄するだろう。
「獲物が多ければ町で売れるだろう」
「そうだなあ。町も食料がないし、荷車と交換とかなったら飛びついてくるだろーよ」
戦火を逃れたオークの林でステンとファドは罠を仕掛ける。モグラにネズミは何匹か仕留めた。この林に元々大型の獣はいない。
「んで、どうすんの、この先?」
ファドの問いに顔を上げたステンは迷うことなく答える。
「町に出て冒険者だな」
「やっぱそれしかないかー」
「雇ってくれる農村を探してる間に飢えるからな」
農家の下働きが見つかれば喰いっぱぐれはなさそうだが、そもそもこの近隣は豊かな地ではない。他の避難民たちも押し寄せているはずだ。
「当面はここらで獲物を狩って、資金を貯めて、それからだけどな」
「俺もついて行くけどいいよな?」
「お前なら読み書きできるし、仕事も見つかるだろ?」
「一応できるってだけで、得意じゃない。俺なんかよりミリアの方がよっぽど……。ごめん」
ミリアがステンの許婚者だったことを思い出したらしいファドに向かってひらひらと手を振る。
「気にすんな。ミリアは多分無事で、それで北に向かったと思う」
ステンはそう確信していた。根拠はない。それでも。
「なんでそう思う?」
「よく北を見てた。多分無意識で。でもいつか行く気がしてたからな」
「いや、それってどうなの」
「ミリアは、なんというか村の娘って雰囲気じゃなかった」
「ああ、それはある。同じように生まれ育ったはずなのに、品がある? 感じ?」
「品というか、清潔感かな。外の街育ちらしいおばさんさえ気にしてないような事でも気にしてた」
時々、シャフツショードクとか訳の分からないことを口にして、自分で頭をひねっていた。
「そう言えば親父が前に」
「村長が?」
「ミリアが異物? 異端? なんかそんなこと言ってた」
すとん、とスタンの中でその単語が納得された。
「なんか分かる、それ。ずっとな、嫁になるって言われても違うって思ってた」
「嫌だったのか? あれは美人になりそうだったけど」
「そうじゃなくて。俺の嫁に納まらないだろうなって」
「今までそんな様子には見えなかったぞ」
「そりゃ口にしたのは初めてだし。言ったところで誰にも理解されないし」
村にあってはミリアがスタンに嫁ぐのは決まったことだった。覆される要素などないはずの。それにまだ先の話だったから子供の戯言にしか捉えられなかっただろう。
「それで良かったのかよ?」
「良いとか悪いとかじゃなくて、縁がない感じというか。歳は俺の方が上だったけど、ミリアの方が頭も良かった。時々、話してることが分からんかった」
「俺より頭良かったしなー。俺には難しい計算とかもさらっとやってたぞ」
「俺に嫁入りする前に、どっかのお偉いさんとかに連れてかれるような気がしてたな」
「そういや行商人のおっさんが養女にしたいつってたけど」
「もっと上。よくわからんけど、なんかもっと上のひと」
「よくわからんけどって」
「そうとしか言いようのないことをどう言えと。結局、自分から探しに行ったってことだろ」
「他人事みたいに言うなよー、許婚者だろうが」
「まだ他人だし。嫁に来てから出て行かれるよりよっぽどマシ。あ、ファド、そっちの罠、掛かってる」
「おっ、本当だ。いらっしゃい、夕飯さん」
それ以降、獲物の処理などで忙しく、ミリアの話は出なかった。
そのことに内心ステンは安堵する。
(育って美人になってから攫われたら、立ち直れなかったかもしれないけど)
だから。自分には幼い許婚者がいたが、戦火でいなくなった。それだけの話だ。
そしてミリアがいなくなっても、ステンはステンで生きる方法を模索しなければならない。
(まずは資金貯めて冒険者。それから―――)
衣食住すべてが足りない状態ではあるが、今のステンは何かから解放されたように吹っ切れた感覚がある。それを自由と言うならば。
(まあ悪くはないかな。多分、ミリア、お前も)
交差することなく解かれた縁は消え、かつての故郷はいずれ荒野に呑まれるだろう。当たり前のように来るはずの未来は訪れることなく、先の見えない明日に向かう夕日に染まるステンの顔は前だけを見ていた―――。
火事場泥棒している自覚のあったミリアなので、自分が必要ではないものはなるべく修復して残そうと思いました。自分がそうであったように、せめて思い出になるものを残したいと。どの家にも入ったことがあるので、大事にされていたものとかも知っていましたし、貴重品には手を出していません。食料と台所用品の一部、衣料品の一部と毛布についてはすまんと。家具なども雨ざらしになるので断念しました。
村長の息子ファドは、育つまで待つのが嫌だったので、ミリアが自分の許婚者じゃなくて良かった、くらいに思っていました。頭の良すぎる妹分でしかなかった感じ。
ステンがなんとなく感じていたように、ミリアとステンの縁は交差しません。その後、無事に嫁取りできたかは不明。ただ、不平不満を口にする人物ではなかったので、周囲のひとには恵まれた模様。