6
それから、神殿内は大変な騒ぎになった。
食事の皿を下げに来た神官見習いがラクサの様子に気付き、少し落ち着いた彼女は神殿の主だった高位神官たちを招集した。神殿長の私室には、年配の神官たちが押し寄せ、ラクサは興奮して何やら神官長補佐になだめられている。
そんな中、ミリアはとても困っていた。
ラクサががっちりと左腕でミリアを抱え込んでおり、誰が何を言おうと離さなかったからだ。そうして右手には例の聖遺物。そんなに振り回して大丈夫だろうかとミリアが心配するほど、こちらも離す気配はない。
状況を把握した神官が部屋を飛び出し、また別の神官がまとめた羊皮紙の束を手に飛び込んでくる。机の端では、どこかへ向けての手紙を書く神官もおれば、部屋の上部に安置された女神像に祈る神官の姿もある。
そう、場は最高に混乱していた。
中でも最も興奮しているのがトップの神官長であったため、状況が落ち着くまで余計に時間がかかったのだ。
夕食の時間から約2時間が過ぎた頃、ようやくラクサの興奮も幾分か収まったらしく、周囲に指示を与え始める。部屋の長机には十脚の椅子が置かれ、ラクサの他に8名の神官が座し、上座にラクサが落ち着いた。――ミリアを抱えたまま。
自分が引き起こしたこととはいえ、神官たちの話す内容がさっぱり分からないミリアは、ただひたすら解放されることを願っていた。表情が抜け落ち、能面のようになっているミリアに気が付いてくれたのは、部屋に人数分の飲み物を持ってきたシロエスだった。
「ラクサ様、ラクサ様! ミリアさんをいい加減離してあげてください!」
充血した目でシロエスの差す自分の左腕を認識した神官長は、ようやく、いささかぐったりしたミリアを認識する。だが、引きはがそうとするシロエスの手を避けるように、またミリアを抱きしめた。
「嫌だ! 彼女は女神からの贈り物だ!」
子供のように首を振るラクサに、年齢も立場も忘れてシロエスは反論する。
「そうであっても、もうとっくに休ませてあげないといけない時間です! ミリアさんには明日の朝、改めてこちらに来ていただきますから!」
「そうですね。こちらのお嬢さんはとても疲れておられるようです。シロエス、彼女を部屋へお願いします」
ラクサの補佐だという50年配の男性神官も同意して、二人がかりでミリアを解放した。ほとんど抱えられるようにして部屋に戻されたミリアは、半分眠った状態で寝室へと追いやられる。
「朝になったらこちらに朝食を運ぶようにしておきますから、もうお休みください。明日になればラクサ様も落ち着いておられるはずですから」
そう言ってシロエスが去った後、ミリアはほとんど無意識にベッドに潜り込んで一度も目を覚ますことなく爆睡したのだった。
目を覚ましたミリアは、まだ働かない頭のまま、ただ天井を見上げていた。
「ここはお約束で『知らない天井だ』っていうところかな?」
ちなみに天井は乳白色の石でできている。
ゆっくりと身体を起こすと、昨日の服のままだったので慌ててベッドから飛び降りた。
「しわ! しわになっちゃう! てか、もうなってるし!」
惨状に涙目になりながら、脱いだ服を必死で伸ばし、寝室の衣装棚に入れる。昨日のあの調子では部屋替えは無理そうであるし、それならば好きに使わせてもらおうと開き直った。このあたり、広さに戸惑いはしても、もっと快適な生活をしていた前世の感覚が後押しした感がある。少なくとも、この部屋にしばらく居座っても文句は言われなさそうで、宿をとれないとか、宿代がかからないとか、安全が確保されているとか、使わせてもらえればこちらもありがたい。先方が良いと言ってくれているのだから遠慮するのも馬鹿らしい。そもそも、遠慮というのは余裕のある人間ができることで、余裕のないミリアは好意を素直に受け取っておけばいい。当分の拠点にさせてもらおう。
(夕べの様子なら、ラクサ様はあたしの味方にできる)
打算も生きていくための方便だ。ミリアはすっきりした気分で洗顔し、衣装棚に並べた中から着るものを選んだ。襟元と袖口に紐を通してくしゅくしゅと絞った生成りのブラウスに黄色のスカート。その上から革の飾りベルトとベストを。
「スイスとかの民族衣装っぽくて可愛いかも。うー、全身鏡欲しいなあ」
髪を丁寧に梳きながら、ミリアは鏡に思いを馳せ、自然と昨夜修復したものを連想する。
「『叡智の鏡』だっけ。どう使うんだろう? 手鏡ぽかったけど、顔を映すためじゃなさそうだったし」
考え込んでいると部屋の外から声がかかり、女性の神官が朝食を運んできてくれた。礼を言って受け取ると、彼女は食後にラクサの部屋に行くよう伝言を伝えてくれた。食器の後片付けについて聞くと、そのままでいいという。
(これが上げ膳据え膳ってやつ? ありがたすぎる)
平たいパンにスープに水という簡素な、だが十分な朝食を頂き、ミリアは部屋を出た。
昨日、シロエスに案内された記憶のまま、無事ラクサの部屋に辿り着いた。扉の中を覗き込むと、声をかける間もなくラクサと目が合う。
「おはようございます」
言うや言わずのうちに、またもやラクサに抱きしめられてしまう。正直、恥ずかしいが柔らかな女性に抱きしめられるのは気持ちがいい。
「おはよう、ミリア嬢。よく休めたかな」
「はい、おかげさまで。あの……もしかしてラクサ様、寝てないんですか?」
見上げたラクサの美しい顔には不似合いなクマがくっきりと浮かんでいた。
「とても眠っていられなくてね。ああもう、ミリア嬢には感謝しかないよ」
ミリアは半分抱えられた状態でソファーに連れていかれて、ラクサの隣に座らされた。
「あの、ラクサ様、あたしの修復の能力はお分かりいただけたと思うんですけど」
「もちろんだ! 素晴らしい力だよ!」
「それでですね、ラクサ様……というか、こちらの神殿にお願いがあるんですけど聞いてもらえますか?」
「私にできることなら何でも!」
いや、そんな安請け合いして大丈夫かとミリアが心配するほど、ラクサは上機嫌だ。ここは畳みかけるしかないと、ミリアは話し出した。
「あたしはこの力を使って仕事にしようと思っています。魔王軍の戦いで、大事なものを壊された人もきっと多いでしょう。でも、あたしは親もいない子供で、信用もないし、仕事にするための知識もありません。だから神殿に後ろ盾になって欲しいんです」
真剣にミリアの言葉を吟味してくれたらしいラクサは頷いた。
「全面的に支持しよう。このパリアントの神殿だけでなく、すべてのグラトリア女神の神殿がミリア嬢の後見となろう。そして、個人的に私もだ」
「そ、そこまで」
「それほど、昨夜の修復は価値がある。もはやゼウラひとりではなく、グラトリア女神の神殿すべてが恩を受けたのだよ」
そうしてラクサは『叡智の鏡』がどういうものか教えてくれた。知りたいこと、相談したいことを鏡に告げると、その表面に答えが文字で記されるという。どうやら一晩中、試していたらしい。それによって、これまで分からなかった知識が多数明らかになったそうだ。
「先ほど『親がいない』と言っていたね? 亡くなられたのだろうか」
「はい、両親共に二年前に病で」
「それはお気の毒に。きっと良いご両親だったのだろうね。ああ、それではどうだろう、私の養子にならないか?」
「はい?」
予想外の提案に思わず変な声の出たミリアを置き去りに、ラクサはまくし立ててくる。
「私は神官だから独身だ。母親と思ってもらうのは無理でも姉だと思ってもらって。ああ、それならいっそ実家に迎えれば姉妹になれるな!」
浮かれるラクサをなだめ、その提案に待ったをかけるまで、結構な時間を要したのだった。
話し合いの結果、神殿から信頼できる商人を紹介してもらうこと、神殿の庇護下にあると一目で分かるような物を用意してもらうこと、すべてのグラトリア女神の神殿で衣食住を保証してもらえること、などが決められた。対してミリアからは、神殿からの修復の依頼を優先的に無償で行うことを申し出た。それは、殊の外ラクサを喜ばせた。




