seven
「ねえ、優。さっきクリスくんと何の話をしてたの?」
一時間目が終わった後の放課中に、机に座って次の授業の準備をしている優に志織が話しかけた。
「ん?……あ、えっとね、私英検を受けることにしたから、クリスに英語の指導をしてもらおうと思って。で、その代わりに私が……」
「俺に漢字の指導をしてくれるっていう話だ」
優の言葉を遮って、いつのまにか近くに来ていたクリスが言う。
「え?あ、そうだったんだ。というか、優、英検本当に受けることにしたの!?」
志織の驚いた声に優はこくりと頷く。
「うん。準二級から」
「ま、妥当だと思うぜ」とクリスが言う。
「ふうん、そっか……」
志織がそれを聞いて考え込む。それから顔を上げて、
「ねえ、私もその勉強会に参加していいかな?」と尋ねた。
「私も準一級受けてみることにしたから、ライティングとかスピーキングとか練習したくて。勿論私も漢字の勉強を手伝うからさ。駄目かな?」
「え?いいよ!勿論!」
優がぱっと顔を輝かせて頷く。
「いいよね?クリス!」
了承を得るようにクリスの方を振り返れば、「大歓迎だ」と答えた。
「あんたがいてくれるのは心強い。こいつだけじゃ心配だったからな」
こいつ、の部分でクリスは優を指差す。
「なっ、失礼な!私だってあんたと二人きりで勉強なんてごめんだよ!」
「こっちだって願い下げだ」とクリスが言い返す。
目の前で言い争う優とクリスを見て、志織は苦笑いをした。
放課後。クラスメイト達が帰り支度をしている頃、優はいつもと違い単語帳とにらめっこをしていた。
(とりあえず英検までにここにある単語を覚えきらないと!)
昨日覚えた英単語は二十個。英検までおよそ二ヶ月とすると、一日に三十個ずつ行くのがいいペースだろう。
(でも一回だけで覚えられるわけないし、何回もやり直さないと最初の方の単語は忘れちゃうだろうなあ)
(ま、そこらへんはなんとかなるだろう!)なんて呑気に思いながら単語帳をめくっていると
「いた」
コツン、と頭に何かが押し付けられた。不審に思って顔をあげれば、本の背表紙が見える。それとともに、クリスがこちらを見ているのが見えた。
「ん?何?」
優が首をひねる。
「英検の勉強をするんだろ」
そう言ってクリスが青い本を優に押し出す。
そこには、『英検準二級対策』と書かれていた。
「これ、使え」
ぶっきらぼうにクリスが言う。
「え?なんでクリスが持ってんの?まさか、あんたも準二級受けたの?」
そうキョトンとして聞くとクリスが呆れた顔をした。
「そんなわけないだろ。愛が俺の家に来たときに置いていったんだよ」
「……つまり、お姉ちゃんに返すついでにこれで勉強しろと?」
クリスがこくりと頷く。
優は対策本を受けとると何気なくパラパラとページをめくった。
そして、吹き出した。
「うえ!?ここにも単語帳があるんだけど!」
覚えておくべき単語、熟語、表現……。只でさえ学校の単語帳の方でお腹がいっぱいなのに、さらに覚えなければならない英単語が増えるなんて……。
「当たり前だろ?学校の単語帳だけじゃ英検には太刀打ち出来ないよ。ここも全部覚えろ」
クリスの言葉が優の頭の中をぐるぐると廻る。
(こんなに単語を覚えないといけないなんて……。文法もやらなきゃいけないのに!)
やばい、と優が頭を抱える。
「まあ、単語は家で覚えてこい。今は文法やるぞ、文法」
「とりあえずwarming upやってみろ」とクリスが言う。
(なんか外国人って、英単語の部分だけ流暢だよなあ)なんて優はのんきに思う。
ノートを引っ張りだして問題に取り組もうとして、優は疑問に思って顔をあげた。
「あれ?クリスの漢字の勉強は?」
「四十五分ずつで交代だ」
なるほどね、と優が納得し、問題を解き始めたときに、志織が教室に入ってきた。
「ごめんね、遅れちゃって」
「別にいい。まず、あんたの英検の勉強に付き合うから」
「ありがとう」と志織が微笑んでお礼を言う。そして鞄から英検準一級の本を取り出した。
(しーちゃんには優しくないか?)と優はクリスを訝しげに見上げる。
視線に気づいたクリスが顔をしかめ、「さっさとやれ」と怒る。
(どこでそんな日本語を覚えてくるんだろう?)と優は内心首を捻る。けれど、尋ねたらまた怒られそうなので、黙っておくことにした。
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