4話 小話
彼女のアジトを出た後は一度署に戻る事にした。追っている事件は一つでは無いし、ただでさえ普段の行いのせいで上司から目を付けられているからだ。
大都会の警察署という事もあり、このオフィスはいつものように賑わっていた。昼夜関係無く人通りが激しく、幾つも並べられた机を行き交うのは刑事達や捕まった犯罪者。奥の取り調べ室では今まさに取り調べが行われており、捕まったのは路上強盗の現行犯だそうだ。数年前まではもっと酷い有り様だったが、新体制となってからは割と片付いた印象を受ける。各自割り当てられたデスクは配置が決められ、食料やある程度のモノ以外は置く事さえ禁止となった。署長などはその光景を見て喜んでいたのだろうが、同期からの評判は芳しくない。
それでも誰も何も言えぬのは、右奥にある仰々しい扉の奥で鎮座する彼女のおかげだろう。
積まれた書類から覗くようにして警部のオフィスの様子を伺う。どうやら中で事務仕事を片付けているらしい。
「..........」
「何をそんなに見てるんだ?」
唐突に背後から掛けられた声で思わず体が強張る。
「っ...........はぁ.......いつか、殺すからな」
恐る恐る後ろを振り返ると、短髪の大柄な男がニヤついた顔で立っていた。
彼はレオン・キャンベル。同期であり数少ない友人だ。体が大きく、捲った腕から見える筋肉は首二つ分程あるのではと疑ってしまう。見かけ通りの豪快な性格だが、笑ってしまう事に銃火器の扱いやその他機械に強い面もある意外に繊細な男である。
「まずは体を鍛えて来いよモヤシ。ほれ、解剖の結果だ」
勢いよく彼の手から書類を奪い取って目を通す。小さく鼻で笑われたがいつもの事だ。
「............」
薬物、毒物、胃の内容物や誰かに何かをされた痕跡、その他諸々含めて不審な点無し。結果は自殺と断定された。
あの書き込みのあった部屋、そこにあった足跡は俺と彼女、そして自殺した男の3つ。遺体の見つかった3階にも不審な点は無く、鍵は中から掛けられており、天井には何度も縄を引っかけ自殺をシミュレーションした跡が残されていた。そして死因は間違いなく遺体の首に掛けられた紐によっての窒息死だと結果が出た。つまり、あの書き込みと、そして自分の首に紐を掛けたのは被害者自身であるという事が明確にされたという事だ。
「一応他にも足跡が見つかったらしいが、それだけだな。家族もいねえから多分友達かなんかだろ」
ピーターは飲もうとしていたコーラを口から離す。
「..............あー」
状況的には自殺だが、彼女の言う通りならばこれは殺人事件なのだろう。そして見つかった足跡、つまりそれは犯人のものという事になる。
「なんだよ。どうかしたか?」
しかし、これをレオンに言うわけにはいかない。都合上あの少女と組んでいる事は公にしていないのだ。しかも自殺の証拠がこれだけ出ている中で彼女が言ったからといって他殺とするのには少々無理があった。
「いや、何でもない。忘れてくれ」
彼は何かを言おうとしたが、そのまま飲み込むと「そうか」と短く告げて自分の仕事に戻って行く。その背中を少しの間見つめていたピーターもまた書類の山に埋もれた。その様子を何人かの同僚が見ていたようだったが、二人が離れるとそれも無くなった。
電源を落としたパソコンの画面に、シルエットが映る。僅かに見えた瞳が黒く沈んで行く事以外、その表情は上手く読み取れない。笑っているのか、泣いているのかも分からなかった。
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ピーターは自室に戻るとすぐにシャワーを浴びた。暖かい水が彼の体を伝い、冷えた足先を温める。いつもは気にもならない水の跳ねる音が今日はやけに耳に付いた。嫌気が差して蛇口を捻り、浴室に座り込むが、落ちる水の水滴の音さえ響いた。
「..............」
案の定寒くなって来たので急いでタオルを取り出し全身を拭くと、ズボンとTシャツを着てすぐにバスルームを出た。暖房を掛けておいた自分に心底感心しながら。
「........あったけぇ」
「あら。もうお休みかしら?」
返答の無い筈の思わず零れた一言に、返って来たのは予想も付かない少女のものだった。
「だぁあああああッ! お、お前.......ウチで何してんだこの野郎ッ!!」
物が散乱し、食べ終わったカップラーメンやら、買い集めた映画のDVDが床やテーブルの上に置かれている。そんな有り様を見回すと彼女は溜息を吐いた。
「あんまり人の事は言えないけど貴方、もう少し片付けた方が良いわよ。こうして突然の来客があるかもしれないんだから」
ベッドに腰掛けると、未だ動転しているピーターそっちのけでテレビを点け、くつろぎ始める。
「とりあえず出てけ。今すぐ........」
「犯人の目星が付いたわ。だから急いで来たのよ」
「分かった。分かったから。早く出てけ」
いつになく真剣な顔でそう告げるピーターに退く事無く、彼女はいつものように微笑んだ。
「何をそんなに怖がってるの?」
「っ........」
コイツは、今何と言った? 俺が怖がってる? 違う。俺はただ......。
「私が怖いの? それはどうして? 得体が知れないから? それとも、他人だから?」
彼女の問は、どちらも正解だったが、どちらも違うように感じていた。
やがて彼は考える事が馬鹿らしくなり観念したように大きく息を吐くと、冷蔵庫を開けてペットボトルを二つ取った。その内の一つを少女へ投げると、テレビを見つめたままそれを受け取った。
「..........犯人に目星が付いた、そう言ったな」
蓋を開け一口飲むと、彼女はチャンネルをコロコロ変えながら語り始める。
「容疑者は二人。被害者の恋人とそのお友達ね」
「非常に腹立たしい事に、初耳だな」
「聞き込みに言って来たの。それで3人の関係に問題があった事も分かったわ」
「問題?」
「いわゆる三角関係ってやつね。でも、まあ動機の部分は直接聞いてみないと分からないわ。」
コイツがどうやってそんな情報を知る事が出来たのか、そもそも聞き込みはその恰好で行ったのか、それとも素顔を晒して行ったのか、いろいろと聞きたい事はあったが、何よりも優先して気になる事がある。
「......それで? 何故お前が他殺だと言い切れるのかを聞きたいんだが」
「ああ、とっても簡単な仕掛けよ」
なんだか気の抜けたような声が返って来たのは、彼にとって予想外だった。