1話
痴話喧嘩を始める男女。何気ない話から始まったそれはお互いへの不満に変わった瞬間にはもう手が付けられないように見えた。話のタネが尽きた古い友人達は下らない身の上話を終えると昨今の不況について語りだす。
時刻は17時。何でもないただの酒場。幾つも並べられたテーブル、椅子があるのはカウンターだけだ。使い古されたビリヤード台は強く弾いた玉でさえ曲がり、遊んでいるのは千鳥足の客と社会への不満を漏らす青年達。
目を向けている訳では無かったが、ピーターの座るカウンターに置かれている為に音声だけは嫌でも耳に入った。
(本日は最近巷で話題の例の”少女”について、MNCのニアがその真相に迫ります)
女性ジャーナリストがかつて事件現場だった菓子工場を背に、笑っているとも真剣とも取れる表情で、マイク片手に色々と話始めていた。
あそこで何があったとか、あれは何だったとか、その全てが憶測の域を出ない小話。それを耳にした隣の客は、青臭い息を吐きながら指差して叫んだ。
「当ててやるよ。最後にこの姉ちゃんが、これからも私達は追い続けるとかなんとか言うんだろ、結局なーんもわかんねーってなるに決まってんだ! 美しい街並みをバックにしてな! そうだろ? 兄ちゃんよ」
肩を掴まれ、持っていた煙草の灰がカウンターに落ちた。
「.......ああ、俺もそう思うね」
乗せられた腕をどかし、体を向こうへと押し戻すと今度は突っ伏して鼾を始めた。店主の溜息がこちらにも聞こえて来そうだ。
(強盗、誘拐、暴行事件など、彼女が関わり、そして解決した事件は数多く存在します。そんな彼女について被害者達は口を揃えて言いました。彼女はヒーローであると)
トレードマークの真っ赤なロングコート。大きな丸メガネと目深に被ったハンチングキャップ。頬を隠す程のウェーブが掛かった金の髪。画面では、彼女を捉えた写真や映像などが幾つか提示されているが、その全てが素顔を映し出す事は叶わなかったようだ。
(彼女が、”特殊な何か”で多くの事件を解決している。これは確かに事実です。しかし、果たして彼女は本当にヒーローなのでしょうか? 私には甚だ疑問が残ります)
武装した強盗が乗り込んだトラックの前に立つ少女。次の瞬間、彼女を轢き殺す筈だったトラックは吹き飛ばされ、周囲の建物に突っ込むと激しく損傷し、そのまま停止した。解体工事中だったビルはそのまま崩れ落ち、周囲には噴煙がまき散らされた。民間人には被害は出なかったが、肝心の犯人達は全員が重症を負い、数週間程取り調べを行う事が出来なかった。
この事件はピーターもよく覚えている。自分が担当した事件だったからという事もあるが、初めて例の少女に手柄を横取りされたモノでもあったからだった。
「..........はぁ」
陰鬱な気持ちを押し殺し、グラスを傾けるのと同時に斜め後ろを横目で見る。奥のテーブルに着いている二人の男。本格的な冬の訪れを予期させるこの季節には厚着も珍しくは無かったが、腰の膨らみには警戒した方が良さそうだ。そして恐らく二人とも武装はしているだろう。
夕方から酒を煽っているのは仕事をサボっている訳でも、ヤケになっているとかそういう訳でも無い。彼が今追っているギャング、彼らはその末端の人間である。殺人事件に関与している疑いのある彼らから情報を得る為、こうして尾行している最中だった。
(これからも私達MNCは、彼女の真相を明らかにする為の努力を惜しまない事をお約束します)
ジャーナリストがそう締めくくると、番組は次のバラエティに変わっていった。
「結局そのおじさんの言った通りになったわね」
「.........何の用だ」
止まりそうになった心臓の鼓動を知られまいと、必死に平静を装っては言葉を返す。
いつの間座ったのかも分からないが、少女はいつもと変わらぬ出で立ちで隣に座っていた。突然声を掛けるのは止めろと何度か注意したが、彼女は聞く耳を持っていなかった。
「決まってるじゃない。事件よ!」
「悪いな、こう見えて俺は仕事中..........」
「それってもしかして後ろの二人かしら?」
「........お前には関係の無い事.........」
「二人なら眠らせておいたわよ」
「は? いや、お前」
「銃を持ってたし、腕には注射痕と指の関節付近が沢山腫れてたわ。二人に外傷や服の汚れがないところを見ると喧嘩では無くて誰かを一方的にボコボコにして来たのね。だから危なそうだし眠らせておいたのよ!」
「ちょ、ちょっと待て! あのな? アイツ等は末端でっ........」
「念のために二人の携帯のデータを全部これにコピーしておいたわ。中を見てみたら取引とかのやり取りが何通か入ってるみたいなんだけど、これって貴方のお役に立つかしら?」
小型のカードを指先で摘まみながら、彼女はニコリと微笑んだ。
周囲の人間が彼女を見て何かひそひそと話し始めている。目立つ格好ではあるがまさかご本人とは思っていないのだろう。おかげで大きな騒ぎにはなっていないようだ。
ピーターには沢山の言いたい事があったの筈だったが、不思議なもので今では言える事が無い。
「.........とりあえず出るか。..........もう用も無くなっちゃったし」
とりあえずはこの場を離れる事にした。
店を出る時、どうやったのかは分からないが、ピーターが追っていた二人の男が床に座り込んでいるのが見えた。傍から見れば酔いつぶれているようにしか見えないのがせめてもの救いか。
「え、もう仕事が終わったの? 流石ピーター! やり手ね!」
「.............」
彼女はこの街のヒーローだ。そんな街の人気者とタダの刑事の俺が、色々あって今はこうしてコンビを組んでいる。彼女が何故俺と組んでいるのかは分からない。
どうして彼女がヒーローになったのか、彼女の名前さえ、俺は知らなかった。