3.降下
《アナ?
アナ!どうした応答しろ》
俺は無線で呼び掛けたが回答はなかった。
《ハンナ、アナのバイタルはどうなってる?》
《……正常よ。
気圧、酸素、気密服に異常なし。
少し脈拍は早いけど正常値。血圧も大丈夫よ》
左腕のインフォメーションディスプレイを位置情報画面に切り替える。緑色の四角いマークが俺たちの位置を示している。四角の右肩の数字が俺たち一人一人のマーキングだ。俺は1、アナは2。画面には1と3の四角しかなかった。
(くそっ)
俺は焦る気持ちを抑えて画面の縮尺を一つ大きくする。
画面の上の方に2の添字がついた四角が現れた。
円柱沿いに右に回ったところだ。知らない間に結構遠くに行っている。
《アナ!聞こえるか、アナ。返事をしてくれ》
俺は叫びながらアナのいる方向に向かって走る。相変わらず、アナからの返事はなかった。
地面のあちこちに転がっている大振りの玄武岩を避けながら俺は、懸命にアナの元へと急ぐ。
《……うっ……いたた》
呻くような声が小さく聞こえてきた。アナの声だ。
《アナ!大丈夫か?なにがあった》
《背中、思いっきり打った。いたた》
《今どこだ?》
位置情報ではかなり近くまで来ていたが、何故かアナの姿は見えなかった。
《う~ん、暗くてよく分からない。地面が崩れてどこかに落ちたみたい……》
《地面が崩れた?》
俺は足を止め、冷静になって辺りを見回す。少し窪んだようなところがあった。近づいてみると地面に大きな穴が空いていた。
《はい、久しぶり!》
穴をライトで照らすと少し恥ずかしそうに笑うアナが手を振ってきた。
アナいわく、調べていたら突然地面が崩れたとのことだった。幸いアナに怪我はなかった。
俺たちは、今、アナが落ちた穴を調べていた。
穴は人一人が立って入られるほど高かった。幅も二人ならんで歩けるぐらいはある。そんな坑道のようなものが延々と続いていた。
《かなり大きい。先がどうなっているのか分からない》
俺はライトをかざしてみたが終りは見えなかった。
《どうするの?
この坑道と円柱に何か関係があるかどうかも分からないのよ》
アナの指摘ももっともだ。むしろ自然でできたただの洞窟である可能性の方が高い。
《少し探ってみて関係なさそうなら打ち切ろう》
サイドワインダーを半分に分離して地上班と洞窟探査班に分けることにした。
洞窟を調べるのは自分とアナだ。
《サーシャは外で待機。
そのまま円柱のデータ収集も頼む》
ジョイスティクをゆっくりと前に倒すと、サイドワインダーはゆっくりと前進を開始する。
この手の狭い洞窟はサイドワインダーの独壇場だ。人間より余程器用に進んでいける。
《マッピング開始》
サイドワインダーの最後尾に座っているアナの事務的な声が静かにヘルメット内に響く。
《この洞窟、曲がってるわ。
緩やかな螺旋を描きながら地下に降りていってる。1m当たり4mmぐらい降下してるわ。
入り口から50mの位置だからもう2mは降下したことになる》
アナの言葉に俺は洞窟の天井を見上げる。
《地上の円柱との位置関係を出してもらえないか?》
《了解》
ディスプレイ示されたマッピングを見て俺は息をのんだ。洞窟は円柱の外周に時計方向に沿うように続いてた。
俺は右手の壁を見る。
土の壁があるが、その数m先は例の円柱が埋まっているのだ。
《入り口から大体100m。ちょうど円柱を一周すしたわ》
アナの言葉に俺はサイドワインダーを止める。
《どうしたの止めるの?》
《いや。止める気はないが、このまま闇雲に進むのも危険だと思う。
先はかなり深そうだから、ドローンに先行させてマッピングをした方が良さそうだ》
《了解。じゃあ、準備するわ》
サイドワインダーに搭載したラックからドローンを引き出すアナの後ろ姿を、俺はぼうっと見ていた。
《洞窟の探索の前に15分ほど休憩を入れよう》
ドローンを抱えて振り返ったアナに、俺は無言で自分の首もとに手をやるゼスチャーを見せた。
アナは、一瞬怪訝そうな表情をしたが、個人通話に切り替えてくれた。これで俺とアナの会話は他の者には聞こえない。
〈なに、ケン。どうかしたの?〉
〈あ、ああ。休憩しよう。少し話がしたいんだ〉
俺の言葉にアナは少し小首を傾げただけで、なにも言わなかった。少し気まずい沈黙が流れる。
〈……俺は来年、地球に戻ろうと思っている。
申請は既に出した〉
〈……〉
〈……驚かないのか?〉
〈う~ん、半々かな。
ケンが火星の入植に懐疑的なのは知ってたし、それに申請を出したのを知ってるから〉
〈えっ!なんで知ってるんだ〉
〈あなたの部屋でタブレットにあったのを見たから……
偶然、偶然よ!
何となく、見ちゃったのよね~。
うん。確かにその時は驚いた。
なんで申請書を書く前に一言ないのかと、ショックだった〉
〈すまん〉
〈なんで? 反対されるから?〉
〈それもある。だが、言い出せなかった理由は悩んでいたからだ〉
〈悩んでいた。地球に戻ることを悩んでいるっていうこと?〉
アナの質問に俺は首を横に振る。
〈アナ!君も一緒に地球に戻らないか?
俺のパートナーとして一緒に……その、なんと言うか〉
〈私も地球に戻ってあなたの研究の手伝いをしろと?〉
〈違う。研究のパートナーじゃない。人生のパートナーだ!〉
〈えっ、はっ……そ、そっちのほう?
これって、もしかしてプロポーズ?
今、ここで?
このタイミングで?〉
あきれたような表情をしているのだろう。しかし、暗がりの気密服越しだと、アナがどんな顔をしているかよく分からなかった。
〈すまない。な、なんとなく今言わないともう言えない気がしたんで……〉
〈あきれた。
ケンらしい、と言えばらしいけど……
悩ましいわねぇ。
あなたが地球に帰ると言わないなら、"yes"と言っても良いのだけど。
言ったでしょ、私は地球には戻らないって〉
〈何故だ。何故そこまで火星に拘るんだ。
火星の入植なんて無理だぞ。何年、いや、何十年やっても上手くいかない。分からないのか?〉
〈私が地球に戻らなのは、
火星に拘るのは、それは火星が地球より優しいからよ〉
〈こんな極寒で空気もない場所が、優しいって?
俺たちはこんな気密服を着なきゃ、外にも出れない場所がどうして優しいってなるんだ。
四半世紀だぞ!
俺たち、人類は四半世紀に渡る長い時間火星に入植しようと努力して、いまだに地表に一本の草木すら生やせていない。
それどころか自給自足すら怪しいじゃないか〉
それがなんで地球より火星が優しいとなるのか、俺にはアナの考えが理解できなかった。
〈私の家族の話をしたことがあるわよね〉
『ああ』、と俺は曖昧な返事をした。
記憶していないからではない。
逆だ。それが余りに凄惨で、当事者のアナはもとより、聞いた俺もトラウマになってしまうような話だったからだ。
簡単に言えば、彼女の両親と妹は惨殺された。宗教上の権力争い。それをテロと一言で片付けるのは容易い。
だが、加害者側の主導者にアナが親しくしていた親類筋、それも学究の恩師で尊敬する研究者だった者がいたことが彼女に大きなショックを与えた。
〈地球では人と人が平気で殺しあう。
あんなに豊かなのに。
ううん、違うのかな。豊かな環境がそんな馬鹿げたことをさせる余裕を与えるのかしら。
逆に火星は環境が厳しいから、みんなで寄り添って協力していかなければ生きていけない。
火星はね、環境が優しいんじゃない、住む人が優しいのよ〉
言葉を失う俺に、アナが言葉を続けた。
〈あなたはいい人よ〉
なんとなく言い訳じみて聞こえた。つまり、そう言うことなのだろう。
〈地球に戻ろうと言わない限りは、だろ?〉
俺は、ため息をつくと回線を全員会話に戻した。
《オーケー。調査を再開しよう》
2018/09/16 初稿