2-11 病院
病室に入るとシャルが寝ていた。起こすのも可哀想なので丸椅子に座って寝顔を眺める。可愛いよな、しかし具体的な病名を聞いていないんだけど、何が悪くて入院しているんだろう。こちらからあんまり踏み込んだ話はしない方が良いだろうと思って、あえて確認していない。本当なら外で遊んだりしたいだろうに。
とんとん、とんとん。 ん? なんだ、朝か?
「おはようイチロー」
「ん、あ、おはようシャル」
どうやらベットを枕にして寝てたようだ。何もすることが無かったからついウトウトしちゃってた。一時間程話をしていたら、エマが入って来た。
「あっいらっしゃいイチロー」
椅子から立ちあがって近づき、軽く手を広げるとエマが更に近寄り頬を合わせる。ちょっと緊張したけど、エマとは普通に接する事が出来た。今度あったら普通に接しようと身構えていたので自然と行動が出来たと思う。でもどうやら私の気にしすぎらしい。そうだよね、気にしすぎだよね。
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「ふぁー」
眠たくなったのか、欠伸をして、もう瞼が重くて仕方がないといった様子のシャル。
「少し寝た方がいいんじゃない」
「やだ、もう…少し…」
こっくりこっくりしては、ハッとして、またこっくりしている。これは寝かした方が良いだろう、背中を優しく叩きながら、子守歌を歌う。
「睡眠、睡眠、睡眠、睡眠、睡眠、睡眠、睡眠、睡眠…」
シャルが上半身を起こしたまま、すやすやと寝息を立てたので、そっとベットに寝かしつける。
「今の何? 子守歌? 催眠術かと思ったわ。日本の子守歌は要点しか言わないのね」
日本の歌じゃ無いんだけどね。しかし、エマは寝なかったな。子供限定で発動する? 距離が関係する? 触れている事が条件? 何らかの条件で抵抗される? 事例が少ないから分からないな。エマに掛かるかやってみようかな。
「エマ、ちょっと…」
一歩進んで立ち止まる。ちょっと待て、エマを眠らせるためにまずはどうすればいい? 近づくとしても今エマは座っている。その横に私が立つ? なんか変な想像しちゃうけど、顔の位置とかちょっと不味くないか?
エマがどうしたのって感じでこちらを見たので、手でちょっと待ってと示して、体の向きを窓側に向けて考える。
じゃあ立ってもらうか、立って貰った上で横に立つ、それなら問題なさそう。でも待てよ、仮に寝ちゃったらどうする? 床に倒れちゃうかも知れない、そうしたら怪我をするかも。
じゃあどうしよう、やっぱり座って貰うか? いやいや座っていても頭から倒れた怪我をするぞ、だめだろ。うーん、ベットの上に座ってもらう? それなら倒れても危なくないな。
あっ駄目だシャルが寝てる。女性でも大人が倒れこんで来たら重いだろうし、折角寝たのに起こしちゃ可哀想だろ。となると、誰も寝て居ないベットに座ってもらう? そんなベット無いよな。それにそんな状況で寝ちゃったらやばいよな、ベットに女性を強制的に寝かせるなんて犯罪だろ。
二人っきりの部屋でベットへ強制的に寝かしつけたエマを想像して顔が真っ赤になる。なんてことを考えたんだ、そんなことを望んでいる訳では無いのに。
「なんでも無いです」
チキンな私は無難を選ぶ。
「ちょっと気になるじゃない、あんなに考えて。何だったの? 良いから言ってみなさいよ。遠慮しないでいいから」
いやいや良いですと断っても、いいからいいからと促してくる、うむむ。
「実は今の子守歌が大人にも効くかなって気になっちゃって」
「はあ? はぁー…良いわよ歌っても」
「いやいや良いです良いです。危険なんで。え? あー仮に寝ちゃって床に倒れでもしたら危ないなって」
「というか寝ないわよ。さっきの歌じゃ寝ないわよ、大丈夫だって。んーじゃあ、倒れても大丈夫なように支えたら良いんじゃない?」
いやいやいやいや恥ずかしいです。しかし試していいと誘ってくる。じゃっじゃあしちゃおかなっと、だって断ったんもね、それでもやっていいってエマが言ったんだもんね。大人にも効くのか好奇心が勝ってしまった。
エマは椅子に座ったままの状態で、すぐ横に椅子を持って行き、若干斜め後ろに私が座る。私の股の間にエマが入る様な体制になって、そして背中を右手で触れる。
「?」
「ああ、子守歌を歌うんなら背中を軽く叩くのが効果的かなって」
「ああ、そうね」
凄く近いのでエマから匂いがする、凄く良い匂いだ。いつもハグする時に嗅いでいる匂い、香水の種類なんて知らないけど、きっとお高いんでしょうね。
「じゃあ、支えますね。失礼して」
左手はエマの前から、反対の腰の付け根辺りを包むようにおく。腕にはエマの胸が当たる感触が伝わり、自分の顔がどんどんと赤くなるのが分かる。エマも意識しているのか、顔が若干赤くなっている。
「じゃあ歌いますね。睡眠、睡眠、睡眠…」
背中を優しく叩きながら歌う。しかし、歌なんてどうでもよくなってきて、あまりにもドキドキしすぎて心臓の音がエマに聞こえちゃうんじゃないか? 左腕が熱い、物凄く熱い、多分手が溶けちゃっているんじゃないか? 凄く柔らくて気持ちよくて、何でこんな事になったんだっけ、このまま強く抱きしめたい…。
「やっぱり寝なかったわね」
振り返って私に顔を向けるエマ。
「そうですね寝ませんでしたね」
恥ずかしいけど、エマから視線が外せない。左腕はドロドロに溶けてしまってエマと一体になっている感じがして、もう離せない動かすことが出来ない。そしてエマの顔の角度がちょっと変わった。私の顔も若干傾く、お互いに少しずつ近づいてく、相手の思いが同じであることを確認するため、少しずつ少しずつ近づいていく、エマの口が少し開き、目を閉じ更に近づく、そして…。
ブルブルブルブル、と胸のスマホが振るえて、びっくとしてお互いに離れる。
「ああすみません」
「いえ、いいのよ、うん全然。確認して良いわよスマホ」
思わず雰囲気に流されてしまった。柔らかい感触や良い匂いのせいで、理性ではなく欲望だけで行動しようとしてしまった。だめだめちゃんとしないと、歌手になるんだから。ラインを見ると中村さんからだった、私が病院に来ている事を知っているようで、仕事が終わったので一緒にどうですかとの事。
「誰からだったの?」
「えーと友人からのお誘いでした」
「友人ね……ねえ、イチロー、私との関係は何かな?」
ドキっする事を尋ねてくる、さっきキスをしそうにはなったけど彼女ではない。
「友人…ですよね」
「そうよね、友人よね。あっお誘いなんでしょ。シャルも寝ちゃったし今日はありがとう。それと明日からはシャルは一時帰宅するから病院には居ないんで気を付けてね。正月良かったら遊びに来て歓迎するわよ」
「了解です。もし予定が合いそうなら事前に連絡しますね。それでは失礼します」
エマと軽く抱擁して別れる。はあ、今度からもっとちゃんとしないとな。もう欲望だけでは行動しないぞ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「あれ中村さん、男性と一緒に居ない?」
「あっ本当だ。てことは、あれが例のゲス男かな?」
「回復力が尋常じゃない人じゃない?」
「あっ本当だ。回復力が尋常じゃない人だ」
病院から歩いて出て行く、二人を眺めながら看護師たちが会話をしている。
「そういえばさ、中村さんが痛み止めを飲ませ忘れた件があったじゃない?」
「ああ、あったあった」
「あれさ、あの男の人よね」
「えっそうなんだっけ? それが切欠で付き合っているという事?」
「でもさ、ゲス男でしょ。もしかして、その時の事をネタにしてさ、無理矢理やっちゃてるんじゃないの?」
「うわ、酷い! 流石ゲス男ね」
「ちょっちょっと、あの人担当していたから知っているけど、そんな酷いことをしそうな感じしないよ。それとシャルちゃんのお見舞いだって結構しているみたいだし、あの人と知り合ってからシャルちゃん徘徊が減ったし、そんなに悪い人とは思えないんだけど」
「いやもしかしたらさ。シャルちゃん狙っているんじゃないの?」
「うそっロリコンなの? いやでもシャルちゃん可愛いから分からないでもないけど」
「いやいやエマさん狙いかも知れないよ。あのオッパイだもんね」
「「ああ、わかるわー」」
「ゲス男はあの二人も狙っているんじゃないの?」
「貴方達いい加減にしないさい!」
年配の看護師が若い看護師たちを注意する。
「確たる証拠もなく、憶測だけ、勝手な思い込みだけで、そんな話をするなんて駄目ですよ」
「「「はい、すみません」」」
「貴方達本当に分かっているの? 確たる証拠もなく、勝手な思い込みだけで、そんな話をするなんて駄目ですよ」
「「はい」」 「え?」
「分かったようね、気をつけなさい」
年配の看護師が居なくなったので、また会話を再開する。
「局さん、なんで二回言ったの?」
「大事な事だからじゃ無いの?」
「何言っているのよ違うわよ、そういう意味じゃ無いんだって」
「「え? どういう事?」」
「証拠なく会話をするなって言ったのよ、証拠があれば会話をしても良いって事。それを確認しなさいよって」
「嘘でしょ!」
「こわー」
「局さん怖いわねぇ。じゃあ今度中村さんから聞き出しましょう、色々とね」




