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すれ違いデート

どう、似合う?と紳士物のハットを目深に被ってウインクしてくる明日夏に、凄く似合ってる、思わず見惚れるくらいに。とお決まりの定型文を返して涼は綺麗な笑顔を取り繕った。

ブランド物のショップにもカジュアルな雑貨を扱う店舗にも明日夏は問題なく溶け込んで、しかもそれでいて人々の目を引いた。


「す、素敵です。お客様!」


興奮気味に目を輝かせて寄ってきた店員の態度にも頷ける。

どうせ誰かに売りつけるのなら、商品が映える客に買って欲しいと思うのは当然の心理だ。

それに連れ歩かれる装飾品だってきっと、その価値を認識して、気に入ってくれた相手に輝きを添えたいに決まっているだろう。

まるで自分の事のように漠然とそんなことを考えていた涼の視界が不意に、翳る。


「?」


涼が視覚に意識を戻すと、先ほどまで明日夏の頭部を飾っていたハットが涼の視界を滑り、頭にぽす、と被さってきた。


「涼も似合うな。うん、悪くない」


顎に手を当てて見定めるように視線を寄越す明日夏。

あー、これは今までにも何度も向けられてきた顔だ。と最早思考ではなく本能で理解して、涼は反射行動の如く笑顔で言葉を返す。


「明日夏はこういうのが好みなんだ?」

「いや、別に好みって程ではないよ。ただ似合うってだけ」

「…、は?」


なら俺、次からこういう格好にしようかな。と続けるはずだった言葉を涼はすんでのところで引っ込めた。

今までの女どもが涼に何らかの施しを与える場合、それは往々にして相手が自分の趣味や希望で涼を染めようとするサインだった。

それに対し快い承諾と共に、俺もこういうの好きだし、などという適当な一言でも付け加えておけば、大抵の女は簡単に喜んだものだが。


「ああ、もしかして気に入った?涼が使うなら買ってあげるよ」

「え、…や、俺も…別に」


歯切れ悪く返す涼に、そう?と一度首を傾げてから、涼に被らせたハットを棚に戻す明日夏。

涼がオススメしたケーキ屋への道すがらにあるこの複合商業施設に寄ろうと言い出したのは、明日夏の方だった。

勿論、涼に断る理由などなかったし、酒を飲みに行く以外では初めての明日夏との外出であり涼のヒモとしての大切な活躍の場でもあるわけだったので、涼は喜んで了承した。


のだけれども。


「それ美味いよな。俺も飲んだことある」


立ち寄ったワインのセレクトショップで記憶にあるエチケットに惹かれて視線を止めていた涼に歩み寄り、明日夏が言う。


「でも涼は家にボトル置いとくと浴びる程飲むからなぁ」


茶化すように笑う、明日夏の楽しげな声が涼の耳を通過した。

明日夏は腕を組んでこない。いや、男同士なのだからそれで自然だろうと頭ではわかっているが。

だから、なのかもしれないけれど、今までの女相手の外出の時と比べると、並んで歩く時の距離感が心なしか遠いように涼には感じられた。

店に入ればお互い別々に商品を見るし、レジに男二人で並ぶのも変な気がして、結局は店内をウロウロしながら待つことになる。

それだとどうにも、明日夏のアクセサリーとして連れ歩かれている気があまりしなかった。

折角明日夏が好みだと言ってくれた自分の顔も、これでは大して役に立たないのではないかと涼の中で焦りと不安が募る。


以前に、涼を連れてると安っぽい男に声を掛けられないから外を歩くのが楽だわ。と女に言われたことがあったが、流石に明日夏をナンパしようなんて男はそうそう現れないだろうし。

そんなことを涼がぼんやり思っていると。


「あの、お一人ですか?」


二人組の女が、そう言って涼に近寄ってきた。


「良ければ私達とお茶しませんか?」

「近くに美味しい紅茶の飲めるお店知ってるので」


少し高めの、いかにも男受けの良さそうな声音で誘ってくる女たち。

その華やかな可愛さにちょっぴり女の色香を覗かせる外見よりも、その服装や身につけている装飾品の価格帯から相手の資産を先に考えてしまうのは、長年ヒモとして生計を立ててきた涼の残念な性である。

これは無いな。と涼の脳が判定を下すより、少しだけ早く。


「ごめんね。俺たちこれから行くとこあるから」


言って、するりと伸びてきた長い腕が涼の肩をぐいと抱き寄せた。

涼の視界に飛び込んできたのは、とても人好きしそうな優しげな明日夏の笑顔で。


「悪いけど、他当たってくれる?」


決して威圧的ではない、けれど有無を言わせない拘束力を持った明日夏の言葉に、頬を染めた女たちはこくりと頷いて立ち去った。


「本当、涼は隙だらけだよな。気付いたら誘拐とかされてそうだ」

「されるわけないだろう。それに、あれくらいなら自分で断れる」

「どうだか」


笑っていう明日夏に少しムッとして不服げに目を細める涼。


「俺だって相手は選ぶ」


ムキになって言い返した涼の言葉に、明日夏はふーん、と意味ありげに笑みを強めて。


「なら俺は、涼に選ばれたのかな?」

「は?」


並んで歩いていた明日夏がそう囁くように言い、妖しく細めた瞳で涼の視線を絡め取る。

涼の心の奥底に蓋をして押し込めたはずの何かが、クプリ…と一瞬だけ微かな熱を溢れさせたけれど。


明日夏の目に留まり、コレクションとして金で買われたのは寧ろ俺の方だろう?

涼の、染み付いたヒモとしての習性が、浮かんだ疑問符に対し、短絡的にそう結論を結ばせようとする。

そうしてそんな涼の心の動きは明日夏の目に、恐らく涼が自覚しているよりも正確に、機微を伝えた。


「明日夏、それは?」


考えること自体を放棄した涼の脳が、明日夏の手元に下げられた紙袋に気づいて適当な言葉を紡ぐ。

その涼の変わり身の早さに、手強いなぁ、と内心で苦笑して、明日夏は紙袋の中身を涼に見せた。

簡易包装のワインボトルが二本、その内の一本はさっき涼が立ち止まって眺めていたあの赤ワインだった。

これから行くケーキ屋の、涼が明日夏に勧めようと考えていたブルーチーズのチーズケーキに合いそうだとぼんやり思って眺めていたまさにその。


「ほら、涼がチーズケーキにしようと思ってるって言ってたからさ。合うかなって」

「…」


薄く開いた涼の唇を、吐息が小さく震わせる。

別に絶対これでなければというほどの強い希望ではなかったし、ハーブティとかでいいかと思っていたのは嘘ではないのだ。

けれど。

クプリ…とまた、何かが溢れてくる。

嬉しいような、切ないような、そしてどこか、擽ったいような。

明日夏が自分と同じことを考えてそれを選んだのかと思えばただそれだけのことで、涼の中に不思議な感覚がじわりと広がりそうになって。


「俺が持つから。それ、重いだろ?」


だから涼は、努めて意識的に、丁寧に、笑みを整えた。

明日夏のお気に入りのその顔で、装飾品として落ち度のない完璧な笑顔を。


「言ってくれればレジまで運ぶのも俺がしたのに」


他にも寄りたい店とかあれば言って?全部付き合う。とにこやかに微笑んで紙袋を持つ明日夏の手に自らの手を重ねる涼。

そうしてその持ち手を捕まえようとした涼を、明日夏はするりとかわした。

柔らかく細められた明日夏の漆黒の瞳に、穏やかでない鋭さが一瞬だけ閃いて消える。


「駄目。涼に持たせるとここで飲み出しそうだから」


冗談めかした口調で言った明日夏の顔は、もう完全に優しいだけのいつもの笑顔だった。


「いや、流石に飲まないし。オープナーだって持ってないだろ?」

「でも駄目」

「何故?」


詰め寄る涼を微笑で流し、明日夏が緩めていた歩みを速める。


「ほら、涼。ぼんやりしてるとはぐれるよ?」

「ッはぐれない」


出遅れた涼はそう言って小走りに明日夏の後を追った。




***




「凄い雨だな」


赤信号で停止した明日夏が、そう言ってフロントガラスを叩く大粒の雨を眺める。

バックミラーに映る後部座席にはケーキにワイン、それからスーパーの買い物袋が三つほど。

長時間ぶらぶらした割には大して余分な買い物はないまま終了したけれど、明日夏はそこそこ満足していた。

助手席に座ってだんまりしている涼は多分に不満足げであったが。


「絶対に俺が持つからな」


最後に寄ったケーキ屋で、会計をする明日夏の隣に並んだ涼は凄むようにそう告げた。


あの後結局、涼はワインを最後まで持たせてもらえないままだった。

スーパーの買い物袋はなんとか二つ明日夏から奪い取ったけれど、そのせいで両手の塞がった涼をエスコートでもするように店の扉も車のドアも明日夏が当然のように先に開けて待っていてくれて。

そもそもそれ以前にナンパされて庇われたり、買い物の前に寄ったカフェで眺めのいい席をさらりと譲られたりするのはヒモの役目じゃないだろ、と不甲斐ない今日の自分を振り返っては落ち込んでいた涼は、だからこそ。


「絶対だから」


ここが最後の砦だと意気込んで入店し既に取り繕うべきお綺麗な微笑のことも忘れ、そう明日夏に念を押して、店員が箱に詰めているケーキを物凄い形相で凝視していた。

いいよ。と可笑しそうに含み笑う明日夏の声を聞いたところで、店員が手提げのビニール袋に入れたそれを会計台に運んでくる。

涼はそれに飛びつくように、それでも一応は中身が崩れないよう気は使って、ケーキを入れたその袋を明日夏より先に手中に収めたのだった。

満足げな涼に明日夏が訊く。


「涼、そんなに嬉しい?」

「?当然…」


そこではたと涼は気づいた。

くすくすと笑う明日夏の揶揄うような声と、愛らしい制服を着た店員たちの涼を見つめる微妙に生暖かなその、何とも形容し難い眼差しに。

そして理解した。と同時に、涼は、愕然とした。


これでは完全に、ケーキを買って貰って大喜びの子供と同じではないか。全くもってスマートでも何でもない。

…なんて格好悪いんだ、俺は。


一瞬、耳まで真っ赤になった涼の顔が、直後、蒼白なまでに青褪める。

ヒモとしてのプライドも築き上げてきた帆純涼のイメージも、足元から一気に音を立てて崩れ去って行くのが涼には分かった。

自分という存在に、こうして連れ歩くだけの価値すらも無くなってしまったら一体何が残るというのか。

そんな問いを、どこか冷静に、遠巻きに自分を眺めている別の自分が問いかけてくる。


「帰るよ、涼」


呼吸すらも忘れかけていた涼を呼び戻した明日夏の声。

涼が虚ろな視線を何とか持ち上げると、明日夏はもう店の扉に手をかけて待っていた。


「涼」


優しく促されれば涼にはもう歩き出す他に選択肢などなくて。


「ああ、降り出してきたか」


外に出るとそこは、アスファルトを濡らす雨の、降り始めの埃っぽい匂いで満たされていた。

それでも構わず進もうとしていた涼の体を、伸びてきた明日夏の腕が優しく静止する。


「車回してくるから、涼はここで待ってて」

「え、いや、別に走ればすぐだし」

「いいから。ほら、ケーキが濡れたら困る」


明日夏はそう言うと、小さな子供をあやすみたいに涼の頭をひと撫でして雨の中に駆け出していった。


「涼、疲れた?」


感情のない瞳で進行方向を見つめていた涼に、運転席の明日夏がそう問いかけてくる。

呼ばれた涼は人形のように無表情だったその顔に笑顔を乗せて、明日夏の方に視線を向けた。


「いや、少しぼんやりしてただけだ。明日夏こそ、一日運転して疲れたんじゃないか?」

「俺は大丈夫だよ。運転するのは嫌いじゃないからさ」


薄っぺらい会話を舌先で紡ぎ、口角を引き上げる練習でもするように笑う涼。

回して貰った車に乗り込んだ時には濡れていた明日夏の髪も手も、もうすっかり乾いているようだった。

ギアを入れ替えた明日夏の左手の、その手首に輝く金色が涼を見上げてくすりと笑う。


あなたは明日夏にとって、どんな価値があるのかしら。


キラキラと光を散らすゴールドが、涼にそう問いかけているようだった。

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