光の巫女やってるけど、マジ勇者様イケメン
深青の鎧が暖かな太陽の光を浴びて燦々と輝き、豊かな黒色の髪が風に揺れる。
嗚呼、と嘆いてしまう我が身の浅ましさはなんと救い難い事なのでしょう。
「お帰りをお待ちしております、勇者様」
魔王との戦いに赴く勇者様に、こんな浅ましい嘆きを見せるわけにはいきません。
能面のような無愛想な顔は、にこりと笑顔の一つも浮かべる事が出来ず。
愛しい人に朗らかな笑顔を贈る町娘のように出来れば、きっとほんの僅かでも勇者様の愁いを払えたのでしょうに。
ただ祈る事しか出来ない、愚かな私をお許しください。
「行ってくるよ、光の巫女様」
そんな私をお許しくださったかのように、勇者様はにこりと微笑み、背を向けたのでした。
私が勇者様をお慕いしている、と気付いたのはいつの頃だったのか。
ただひたすらに世界の調和を司る光のクリスタルへ祈る事が、私の使命だ。
純潔を尊ぶ光のクリスタルの巫女へと、男性が近付く事は絶対にあり得ず、私の世界は女性の神官と光のクリスタルだけが全てだった。
だからこそ唯一情報が入ってくる勇者様に興味を持ってしまったのだ。
幼い子供を助けるため、恐ろしい魔物の前に立ちはだかる勇者様。 生け贄にされた娘を助けるため、ドラゴンの住む山に挑む勇者様。 魔王との戦いを前に、我が光のクリスタルに祈りを捧げにきた勇者様。
生れてこの方、初めて見た男性である勇者に私の心は奪われた。
あの雄々しい腕に抱きしめられたい、凛々しい眼差しで貫かれたい、甘やかな声で私を呼んで欲しい。
そして、貴方と愛し合いたい。
しかし、純潔でなければいけない光の巫女である以上、私が勇者様と結ばれる事は絶対にあってはならない事だ。
王は王の仕事が、平民は平民の仕事が、勇者様には勇者様の仕事が、私には私の仕事が。
だからこそ世界の調和は保たれ、運営され続けるのだ。
だけれど、私は愛を知った。
身を焦がすような炎であり、闇を祓うような光であり――勇者様の歩く道が、どうか暖かな光射す道でありますように。
私は、それだけを祈り続ける。
勇者様と暖かな陽射しの下、一緒に歩けたのならどれほど素晴らしい事だろう。
そんな事を閨の中で考えるくらいは、きっと私にも許されるはずだ。
「勇者を殺すのだ」
「……なんですって?」
ある日、男子禁制であるはずの光の神殿に王がやってきた。
確かに身に纏う物こそ輝く美しい物だが、老いばさらえた肌は醜く弛み、目には強い猜疑の光が爛々と輝いている。
勇者様と同じ男性のはずなのに、どうしてここまで違うのだろう。
「勇者は必ず魔王を殺すだろう。 しかし、その力が次は儂らに向かぬとは限らないのだ」
王だけでなく、大臣達は唾を飛ばしながら、口々に喚き散らす。
曰く強すぎる力は災いしか生まぬ、だから勇者は死ななければならない。
まともに戦っても魔王を殺した勇者には勝てない、だからお前がやるのだと。
気を許した私になら、勇者は必ずや隙を見せるはずだと。
これは弱き民のためだ、世界のためだと。
王には王の仕事がある。
王の仕事とは、このような醜い騙し討ちをする事なのか。
平民には平民の仕事がある。
命を賭け、勇敢に戦った勇者様の屍の上でしか平民は生きられないとでも言うのか。
勇者様には勇者様の仕事がある。
老いた猟犬のように、用済みになったら打ち殺されるのが役割だとでも言うのか。
私には私の仕事がある。
私にこの手を汚せというのか、他ならぬ勇者様の血で。
光のクリスタルは、勇者様の血で穢れた私を拒絶するだろう。
私はきっと光の巫女ではいられなくなる。
でも、
「勅命承りました、王よ」
許せる事ではない。
私はにっこりと笑い、王に答えた。
強大な魔王を倒すには、勇者様だけの力では足りない。
光、闇、火、水、風、土。 六つのクリスタルを平行に励起させ、魔王と戦う勇者様に送り込む必要がある。
今日はその予定された日時、きっと今頃は勇者様が世界の未来を守るために戦っているのだろう。
何という美しい献身、何という無様な人間達。
世界が救われる瞬間を一目見ようと、決して普段は足を踏み入れる事は許されない神殿の中に、数えきれない民衆の姿。
あの日見た勇者様の凛々しいお姿には到底及ばない、怠惰な豚のような連中だ。
お前達は一体、何をしていたというの?
ただ助けという餌を口に放りこんでもらうのを待っているだけじゃない。
その最前列には王と姫、勇者様が帰還した暁には勇者様と姫は結婚すると発表されている。
そんなつもりもないくせに。
そして何より私は知っている。
彼女はすでに純潔を捨てていた。
どこの馬の骨とまぐわったのかは知らないが、光の神殿に高い金を払って処女証明書を発行しているのだ。
本当に処女であるのなら、そんな事をする必要はあるまい。
何て狡猾でずる賢い雌狐なのだろう。 勇者様には相応しくない。
こんな見苦しい獣しかいない悪しき世界は、勇者様には相応しくないのだ。
「――――! ――、―――――!」
何やら王という名の餓狼が騒ぎ立て、豚の民衆が楽しげに笑っている。
何が楽しいというのか。 私の心は太陽の消え失せた冬の夜のように冷え込んでいく。
光のクリスタルはいよいよ臨界を迎え、眩い光を放ち始める。
同期が始まったのだ。
何時もなら万物の影響を一切受けないクリスタルも、勇者様をお助けするためには無防備となる。
高まり続ける力は光のクリスタルの一番脆い所を露にし、これまでの生でクリスタルを見続けてきた光の巫女たる私はその一点を見抜く。
勇者様を穢れた世界に投げ込むのであれば、私はこのままクリスタルの側に侍り続けているだけでいい。
世界の力を扱うなど人の身には不可能だ。
最初の切っ掛けを作る事で、あとは勝手にクリスタルは動きだす。
もう光の巫女として、私のする事はない。
だから、私はもう光の巫女である事をやめた。
「さようなら、光のクリスタル」
それでも私の感傷は、口付けという形を選ばせていた。
こんな下らない人間のために捧げ尽くしてくれた光のクリスタルに感謝と、言葉にし尽くせぬほどの懺悔を込めて。
人間という肉に潜む原罪と、私の憎悪と苦しみが一切の穢れを許さないクリスタルに触れる。
驚くほどにあっさりと、クリスタルはパリンと割れた。
「――――………………」
沈黙。
熱狂が支配していた場は、何が何やらわからないという困惑に支配され、沢山の人達がぽかんと間抜け面を晒しているのが、腹を抱えて笑いたくなるほどに愉快だった。
一秒なのか、数分なのか。 どれほど時間がたったのだろう。
「――――!? ――――――、――――!」
王が騒ぎ立てると共に、力が辺りに流れ込んでくる。
平行に励起していたクリスタルが、力場を均等にしようと力を送り込んできたのだ。
しかし、もはや砕け散ったクリスタルは力を受け取る事はない。
五つのクリスタルの力は混ざり合い、もはや何色でもないただの無色、ならば私が取り込むのに不都合はなく。
「くたばりなさい、ケダモノども」
魔王は死んだ、私が殺した。
王家は死んだ、私が殺した。
巫女は死んだ、私が殺した。
民衆は死んだ、私が殺した。
クリスタルの力を奪い尽くした私は、目に付く全てを殺し尽くした。
降り注ぐ光が人間のいる場所を教えてくれる。 残り一万と八十三人。
風は貴方達から音を奪い、火を失った貴方達は暖かな安らぎを得る事はない。
土はもはや何も生まず、ただ沈黙する。
私は貴方達にほんの僅かな水を与えましょう、だけどそれは慈悲ではないの。
浅ましく朝露にも満たない水を奪うために、貴方達は醜く争うのでしょう。
さあ、勇者様を求めなさい。
勇者様の歩く所には麦を生やしましょう。
勇者様の歩く所には清らかな水が沸き上がるでしょう。
燃え盛る炎が、貴方達を暖かく癒してくれるでしょう。
貴方達の救いはただ一人、勇者様だけなのだと、その愚かな魂に刻むのです。
そして、勇者様は悪を倒します。
世界を滅ぼし、罪なき人々を殺した私を。
かくして救世主である勇者様の言葉こそが真実となり、勇者様の元に新たな清らかな世界が生まれるのです。
これこそが理想郷、これこそが最後の救い。
ああ、なんて素晴らしい世界なんだろう。
だから、
「早く、私を殺しに来てくださいませ、勇者様」
誰もいない神殿で、私は夢見る心地で呟いた。