プロローグ
「君を助けられて良かったよ。」
僕は森に遊びに来ていた。いつものように木に登ったり、川で遊んで家に帰るつもりだった。
いつもと違うことがあった。何か動くものが視界の端を横切った。うさぎが木々の間を駆けていく。僕はこの時初めてうさぎというもの見た。
幼いころは何にでも興味を持つ。見たことのなかった生き物を追いかけ、走り出した。
なかなか捕まらないうさぎを必死に追いかける。
どれだけの時間追いかけたかわからないが、うさぎが完全に見えなくなった。この時はうさぎを捕まえることができなかったことを悔しがっていた。
うさぎという目標がなくなり冷静になった僕はあたりを見回した。
当り暗くなり始め、知らない場所にいた。暗く、知らない場所に不安を覚えていた。
僕は来た道を慌てて戻るが、夢中になっていたせいで道はほとんど覚えていない。僕はお父さんの名前を呼びながら必死に走った。しかし、どれだけ走ろうとも、叫ぼうとも、知っている場所にはならず、助けもこなかった。
気づけば泣き出していた。うさぎを追いかけてるときに転んだキズが今さら痛む。
その時、
「ガアアアアーー。」
突然耳に届いた到底声とは思えない音。さらに人が歩いただけでは鳴らない音がだんだん近づいてくる。幼い僕にですら、ヤバイと思わせる状況だったが僕は動かなかった。いや、動けなかった。疲れや、痛みによってではなく恐怖によって。
ついにそれは姿をあらわした。魔獣。人を襲う、小さい自分を簡単に殺すことができる、お父さんに幾度となく教えられていた魔獣。
自分の身長の3倍ほどある巨体に全身を覆う体毛、鋭いキバに爪。何より自分を見る目が恐怖を増幅させる。
声は出なかった。つい数分前まで出ていたはずの声が出ない。
魔獣が足を止めこちらを見ている。
目があった。
――来る!!
そう感じた。前兆があったわけでも、それを感じ取れるほどの経験もない。ただそう感じた。
本能が僕の足を動かした。恐怖で動かなかったはずの足が動かされる。うさぎを追いかけた時以上に必死に走った。後ろを振り返る余裕はないが、あの足音が聞こえる。さっきまでの獲物を探すときより音の間隔が狭い。あの、恐ろしいうなり声が聞こえる。
追われている、捕まえられる、殺される。
走る!走る!走る!走る!走る!
呼吸をすることを忘れ、体力が切れることを考えず走った。幸いなことに魔獣はそんなにはやくはなかった。幼い子供と距離が詰まらず、開かずといった速さだった。
しかし、迫力ある足音に追われる僕はそんなことを考えられなかった。ただ、この化け物から逃れ、生き残ることに必死だった。それがいけなかった。焦りからか、疲れのせいなのか転んでしまった。
起き上がり、もう一度走り出すころには追いつかれてしまう。幼いながらに感じ取ってしまった結末。死が近づく感覚。一度止まってしまった足はもう走り出すことはなかった。
グングンと魔獣が近づいてくる。
「動いて――」
すぐそこに近づかれた。そして、太い腕を振り下ろされる、僕を狙った一撃。
「――動いてよ!!」
その渾身の叫びに体が、脳が反応する。横に飛び退く。体を投げ出すように。その直後に魔獣の腕が地面に直撃する。
爆音。そして、爆風。
体が飛ばされる。そのまま地面に体を打ちつけられ、体の至るところに傷ができ、血が流れる。右腕が動かなかった。地面に打ち付けられた時に骨折したのだろう。攻撃が直撃しなくて、この状態。絶望的な情報ばかりが増えていく。
魔獣は本気で振り下ろしたのだろう、すぐには次の動作に移れなかった。だが、僕も動けなかった。今度は恐怖ではなく、疲労、そして痛みによって。横っ飛びが力を振り絞った、最後のあがきだったのだと知る。魔獣がこちらに向かって動き出す。かなり吹っ飛ばされたせいか、魔獣とそれなりの距離がある。
しかし、魔獣はゆっくりと近づいてくる。焦らずとも僕が逃げられないのをわかったように歩いてくる。
――ああ、死ぬんだ。
声も涙も出ない。ただ近づいてくる魔獣をみていることしかできない。
僕の短い人生の終わりがだんだん近づいてくる。
魔獣が次の一歩を踏み出そうとした時、それが妨害された。
――ドォン!!
魔獣の顔に炎の球が直撃する。
何が起こったか分かっていない僕と魔獣は炎の球が飛んできた方を向くと、そこには手のひらを魔獣に向けた人が立っていた。
そこからはあっという間だった。攻撃された魔獣はターゲットを僕からその人に変え襲いかかった。その人は炎の槍を作り出し、魔獣に向けて放った。炎の槍は魔獣の腹に穴をあけ消えていった。腹に穴を開けられた魔獣は倒れ、動き出すことはなかった。
僕は呆然としていた。開いた口がふさがらなかった。言葉を失っていた。
そんな僕にその人は近づいてきてこう声をかけてきた。
「君を助けられて良かったよ。」
その言葉に僕は助かったという事実を受け入れた。急に涙がでてきた。
泣き始めた僕を見てその人は少しオロオロしていたが、僕の頭を無造作になでながら、
「男がそんな簡単になくなよ。あれぐらい倒せるような立派な男になれよ。」
と、優しい声音で僕にいった。
僕の涙は止まっており、その言葉が脳をゆらし、心臓を打った。
――僕はこの人みたいに強く、かっこよく、困っている人を助けられるような人になろう!!
気づけばそう心に誓っていた。