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5 差し伸べられた手

 駅前に並ぶ商店街がすっかり寂れてしまってどれくらいになるだろう。

 今ではシャッターの降りた店屋は七割近い。残りの三割は後を継ぐ者がいない店で、年老いた店主が常連さんとの縁を守るように細々と営業を続けている。

 履物屋。和菓子屋。レコード店。寝具店。

 若い世代の興味は引かない店ばかりだ。この地で商売を成り立たせることは難儀に違いない。

 賑わっていた頃は七夕の季節には露天が並び、提灯の飾り付けをしてお客を呼び込んでいたのに何年も前から中止されている。

 大型の店舗が南駅口にオープンして以来北口は寂れていく一方だ。町の個人店は消えていくばかりで、有名なチェーン店が入れ替わり立ち替わりオープンして行く。駅の風景は何処の町とも大して変わりなくなっている。栄えていた商店街に人並みが消え去り新しい通りに人が流れていく。アイドルに群がるファンのように、人の気持ちは留まらないものだ。

 興味がなくなれば見向きもされない。

 努力なしには人を引き付けられないが、それでも希はこの寂れた商店街の方に愛着を感じている。


 希は改札を抜けると駐輪場に自転車を取りに向かった。

 線路沿いの駐輪場は十分なスペースがあり、欄干の下なので雨避けにもなっており、通学に利用する学生たちは大概ここに置き場所を決めている。

 自転車のキーを外したとき、希はすぐ隣に人の気配を感じた。


「やあ、今学校からの帰りかい?」

 30代後半か、40代前後の男性がにこやかに話しかけてくる。背広を着て、身なりはちゃんとした大人だ。物乞いや勧誘とも違う柔らかい言い方に一瞬昔からの知り合いのような錯覚を覚える。


「……」


「この後、何か予定はあるの? ないならちょっとお茶でも飲まないかい?」


「すみません。母が心配するのでこのまま帰ります」


「ほんの少しでいいんだよ。何でもご馳走するから……駄目かな」


「すみません」

 不審者が、一見して怪しい外見をしていたら誰もが気が付くだろう。

 見た目で騙されてはいけない。

 こんな良識のありそうな人物こそが一番危険で厄介なのだ。

 しつこく言い寄るこの男性をどうあしらえばいいのか考えあぐねる。人生経験の浅い希に出来ることはせいぜい大きな声を上げる事くらいだろう。しかし、その大声を出す事でさえどんなに勇気のいることか、緊張で震える喉から言葉はなかなか出てこない。一歩また一歩と男性が距離を縮めてくる。腕を捕まれそうになった時、希の背後で止まった足音が砂を蹴った。


「おっさん、ふざけるのも大概にしとけよ。そんなに女子高生が好きならコスプレ風俗にでも行きなよ」


「嫌、そんな、僕は別に……」


「帰るぞ希。ほら、早く!」


「……うん」


「ったく、ロクな大人がいないな」

 敬の勢いに押されて男性は立ち去っていく。

 緊張が一気に解かれて希は強張った体が脱力していくのを感じた。

 敬が目の前にいる。

 希を心配してあの男を追い払ってくれたのだ。


「なんだよ」


「敬ちゃん、ナンパされた時は助けてくれなかったのに」


「だって、あいつは絶対エッチ目的だろう! ナンパとかと次元が違う。犯罪だよ」


「ありがとう敬ちゃん」


「礼なんて言うな」

 ぶっきらぼうで素っ気ない言葉はそれでも十分に希の心に届いた。 


 敬はいつだって希のヒーローだった。


 風の強く吹く雨の日にお気に入りの傘が飛ばされても「希、僕の傘持ってて」そういって自分が濡れるのも気にしないで田んぼの中を追いかけて拾って来てくれた。新しくおろした運動靴は泥だらけで家に帰れば母親に大目玉をくらったのに希に文句のひとつも零さない。

 給食に出た嫌いなナッツの小袋を隠し持って帰れば「それ、僕に頂戴」そう言って帰りの道で頬張って食べてくれた。

 運動会では全校生徒参加の帽子取りで、逃げる希を追いかけながら他の生徒から希を守ってくれた。


 全部、ちゃんと分かっている。

 敬はやさしい。

 そのやさしさに甘えているのは自分なんだと希は痛いほど感じている。黙って自転車を漕ぐ敬の後ろ姿は少しも遠去からない。一定の距離を保って走り続ける。

 ただひたすらにその後姿を見ていると視界が薄く霞んでいく。今にも降りそうなくせに雨が降ってくることはなさそうだ。

 雨が降ってくれたら思いっきり泣けたのに、今は我慢するしかない。

 唇を噛み締めて希はベダルを踏みしめた。



 それから数日後。

 ドアを開けるとカランコロンと取り付けたベルの音が鳴る。想像した通り昭和の匂いがする店内はコーヒー色に染まってみえる。

 寂れた商店街の喫茶店で希は飲みたくもないメロンソーダを注文した。長年使い古したグラスに艶は失われ、磨き傷が幾重にも重なっている。毛糸の帽子を被った店主は背を向けて店内に流れるラジオに聞き入っている。店主自身がこの店のアンティークの置物のようだ。他に客はいないので少しは売上に貢献出来ただろうか。一日でも長く店が続きますように、そんな事が頭の中を過る。炭酸が弾けて気泡を作り、グラスの中にひしめいている様をじっとみていると、天井にぶら下がる明かりを何かが遮り、テーブルに影がさす。

 それは待ち人が現れた合図で、退屈な時間からようやく開放される瞬間だった。


「来てくれてうれしいよ。希ちゃん」


「……こんにちは」

 希が待ち合わせていたのは先日駅で待ち伏せしていたあの男性だった。


「今日は良い返事を聞かせてくれるかな」

 男性が向かいの席に座っても希は顔を上げようとはしなかった。

 考えていたのは敬のことだ。

 敬が知ったらどんなに怒るだろう。

 先日はあんなに必死になって希を守ってくれたのに、今、希はこの男と対峙している。


 悩みや迷いを抱えているのは敬だけじゃない。

 敬が抱える苦しみを自分だけで解決しようとしているように、希も誰にも告げられない秘密を抱えている。

 きつく拳を握りながら希は心の中で許しを請う。


(ごめんね、敬ちゃん)


 ごめんね---敬ちゃん。

 希に言えることはそれだけだった。

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