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2 まるで無いもののように

 学校のある最寄り駅は希の住む町よりはいくらか賑やかで人口の多い街中にある。

 朝は通勤通学に利用する人々で賑わい、時間に追われる忙しなさを感じる。改札を抜けると希は路面電車に乗るために西口に歩いていく。敬は在来線に乗り換えの為、線路沿いの少し離れたホームに向かう。ここから学校までは共に10分程度というところだろう。進路を決める際に敬の学校も見学に行ったことがあるので希の記憶に間違いはない。

 県内でも有数の歴史の深い伝統校は今も尚地元民に注目されている。同じ街にあるどの高校と比べてみても違いは明らかで、敬の制服は信用が置ける名刺変わりになる。名門と言われる学校に通うだけで世間の見る目は変わることをこの街に来て思い知らされた。新設された歴史の浅い希の通う学校とは違う。そんな高校に推薦入学を果たした敬は自慢の兄だ。本当なら胸を張って友達に紹介したいところだが、本人はそれを望んでいないことも知っている。

 気軽に声を掛け氷のような冷たい目で一掃された中学時代が蘇る。

 新調したセーラー服を纏うと少しばかり大人に近付いた気持ちになり、敬に追いつけるような思い上がりがあった。最高学年の敬は家族には見せない真面目さで学校生活を送り、先生や下級生から信頼され、責任感の強い青年に成長していた。生徒会長なんて誰もがなれる役ではないだろう。佐藤なんて何処にでもある苗字で顔立ちが瓜二つと言えない敬と希を兄弟と知る生徒は少ない。学年も違えば校内ですれ違う事も滅多にない。そんな時たまたま職員室の前のローカで敬を見かけた希は何の気なしに敬に声を掛けた。


「敬ちゃん」

 敬を呼び止めてなにがしたかったわけでもない。軽く頷いてくれるだけでよかったのだ。けれど予想した反応は返ってこない。驚いたようにこちらを見る上級生に混じって敬は無言のまま立ち尽くしている。希の中で不安だけが大きくなっていく。


「敬の知り合い?」


「……いいや、知らない。行こう」


「……」

 希は信じられない思いだった。

 敬に無視された事、友達に堂々と嘘をついたこと。あれはけんかの延長の意地悪で取った行動ではない。

 敬は心から希が声を掛けたことを嫌悪していた。

 それは希の中で忘れられない傷を残した。冷たい雨に打たれるような寒々とした悲しみが心の中を渦巻いていく。


「学校で俺に話しかけないでくれ。友だちに希と兄弟だと知られたくないんだ」


「---わかった」

 それ以来希は敬の言いつけ通り、外で敬を見掛けても声も掛けないし近付くこともしない。悲しい思いをしなくていいように敬に言われたルールを守っている。

 あの時何と言えば良かったのだろう。

 どうしてと、理由を聞けば答えてくれたのだろうか。それでも兄弟だから、何か困った時は敬は味方になってくれるはずだ。自分にそう言い聞かせて冷たい仕打ちも我慢して来た。けれどそれがいつになるのか教えてくれる人は今だ現れない。

 運動が苦手な希は文系の部活に専念している。高校に入学してからは文芸部なんて緩い部に所属して普段は授業が終われば真っ直ぐ帰宅している。今日は週一で部活動の日にあたり少し帰宅が遅くなってしまった。活動と言っても図書館で好きな小説を読むだけなのだが、集中していたら結構な時間になってしまったのだ。改札口で電車の時間を確認して暫し時間を持て余していると突然声を掛けられる。


「何してるの。ひとり?」

 見たこともない男子だった。ブレザーの制服を着崩し、ツンと立たせた髪を遊ばせて親し気に笑みをこぼしている。


「今からちょっと付き合わない? おごるよ」


「いいです。私は急いでるので」


「電車の時間何時? それまで暇でしょう」


「もうすぐ来るので大丈夫です」


「じゃあさ、連絡先教えてよ。そしたら今日は諦める」


「でも、困ります」


「いいでしょうそれくらい」

 しつこい。

 こちらがひとりだと思って制止しても勝手に話し掛けてくる。回りから見れば知り合いの高校生同士仲良く話しているとしか思わないだろう。大きな声を出して怒鳴るなんて希には出来ない。そんな気弱さをこの男子学生は見抜いているに違いない。オロオロと回りを気にする希の目に今朝も見かけた制服が飛び込んでくる。

 敬だ。

 敬がひとりで歩いてくる。藁にも縋る思いで敬を見つめる希は近付く敬に声を掛けた。


「敬ちゃんっ」

 果たして希の声は敬に届いただろうか。

 雑踏にかき消されて誰の耳にも聞こえなかったとしても、希は確かに敬を呼んだのだ。

 それが希に出来る精一杯のSOSだった。

 それなのに敬は振り返ることもなく通り過ぎていく。


「……っ」

 何を期待していたんだろう。

 今までだって散々無視されてきたというのに、まだ心の何処かで敬に見放されていないことを願っていたなんて、自分の甘さに呆れてしまう。

 ナンパされて困っている希を置き去りに消えていく敬の後ろ姿が遠ざかる。

 残されたのは希の絶望だけだ。

 あの時と同じだ。

 敬は希と関わることを拒んでいる。

 敬の心に希の居場所は何処にもない。


 そのことにひどく動揺する自分がたまらなく悲しい希だった。

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