セシルの帰宅
理沙は、Mr.サイトウにはまだ完全なる信頼はしていないけれども、この人は安全だと確信した。血も何時も通り提供した。Mr.サイトウは採血には手を出さず、理沙が自ら注射器を手に取った。
そして、一週間後。Mr.サイトウに慣れて来た私は、彼の事を「斉藤さん」と呼ぶ事にした。彼も、何時迄も「Mr.サイトウ」と呼ばれるのは嫌らしい。
斉藤さんも優しかった。同じような状況にあった自分に同情し、片時も離れずに一緒に居てくれた。彼からは、本当の兄のような感覚がした。
斉藤さんは本当に頭が良い。雑学、文学、数学、理科、地理、歴史、音楽ーーなどのたくさんの知識が頭の中に詰め込まれていた。
理沙は、ーー薫には負けたがーー同学年の中ではかなり頭がよく、「雑学」知識は大人以上のはずだったが、斉藤さんには敵わなかった。
彼と居るのは楽しかった。自然と笑顔で出る。今まで鈍っていた「喜怒哀楽」の「喜」と「楽」が戻って来ていた。今なら、誰とでも話せそうな気がする。
理沙が斉藤さんによって、新しい知識を蓄えていると、部屋のドアがノックされた。
「一体誰だ?」
斉藤さんは顔をしかめると、ふかふかのベッドに座る私の隣から立ち上がって、ドアの方へ向かった。ドアの開閉音が聞こえたかと思うと、懐かしい声が聞こえて来た。
「リサ! ただいま!!」
「セシル?!」
そう、理沙の大好きなお兄ちゃんだった。
理沙は斉藤さんなんか気にせず、ダッシュでセシルの腕に飛び込んだ。斉藤さんは少々驚いた顔をした。
「おかえり...」
「リサ、元気にしてた? ごめんね、勝手に出張なんか行って...」
「大丈夫!」
理沙は、可愛い顔をパッと上げると、ドアを開けたまま呆然とする斉藤さんを見た。
「斉藤さんが、ずっと私の側に居てくれたから、寂しくなかったよ」
「斉藤さん?」
セシルは、理沙の視線を追って斉藤さんを見つけた。
「リサをありがとうございました」
「こちらこそ、楽しかった。じゃあ、もう私は帰るとするか」
「え? もう帰っちゃうんですか...?」
「彼が戻って来たからな。私の役目は、彼が戻るまで君の相手をする事。残念ながらな。だが、また来ても良いなら...ご好意に甘えるが?」
「良いですよ! いつでも来てください!!」
理沙は笑顔で答えた。セシルは驚いた。理沙がこんな笑顔を見せた事がなかったからだ。もちろん、今までも笑ってはいたが、笑うべき時に笑っていたような気がする。自然な笑みは、理沙の可愛さを一層増させた。
「じゃあ、そうしよう」
斉藤さんは微笑むと、部屋から出て行った。もう彼が居ないのをキチンと確認すると、理沙は言った。
「...実はね、私、寂しかったんだよ? セシルがいなかったから」
「え?」
「セシルは、私のお兄ちゃんだから...もう何処にも行かないで...」
「あ...リサ...」
理沙は、セシルの胸の中に顔を埋めた。彼はそれに答えるかのようにギュッと抱きしめた。
正直、彼女は寂しかった。斉藤さんは居たけれど、それは大好きなお兄ちゃんではない。楽しい話はいっぱいしてくれたけど、それはセシルと一緒に居る時間に比べたら何ともない。
理沙は、多少涙目で顔を上げてセシルを見た。
「約束...して?」
「うん、分かった。約束。もう二度と、何処にも行かないって誓うよ。約束」