兄妹の再会
今日はセシルが居ない。出張だと言っていた。一週間は戻って来ないそうだ。詳しくは聞いていないが、犬飼さんに呼ばれたらしい。
「…やっぱり、セシルが居ないと寂しいな…」
理沙は、テラスに座り込み、外の景色を眺めていた。もの凄く高いビルなので、最初は高い所が怖かったが、今はもう慣れて来た。この間も飛び降りようとしていたぐらいだ。
風が吹き、髪がなびいた。一思いに、下を覗いてみる。
人が黒い小さな点で見える。ホテルだから、前にはタクシーやリムジンが停まっている。周りにはーー此処には及ばないがビルがたくさんある。
「凄いなぁ」
何処かの何とか石を欲していた男の人の言葉を借りるなら、「ハッハッハ! 人がゴミのようだ!!」なのだが、生憎理沙はそういうキャラじゃない。
「セシル、何処行ったんだろう…というか、出張なら犬飼さんがすれば良いのに。私のお兄ちゃんをあんまり無理させないでほしい…!!」
ーーそう、セシルは私の大好きなお兄ちゃんなんだ! あの人だけなのに…私の事を心配してくれるのは…。
途端、部屋のドアがノックされた。それは、優しく軽い音だったので、犬飼さんではないと確信した。彼なら、「入るぞ『SR』」と言ってノックせずに入って来る。
「…どうぞ」
とりあえず、犬飼さんでなければ良い。犬飼さんでなければとりあえず大丈夫。部屋に入る前は、必ず外ドアの脇に居る黒スーツの男達に「金属探知機」で調べられたり、「身体検査」もされる。それに、関係者以外はこの最上階にも入る事すら出来ないので、「悪人」ではない事は確かだった。
「失礼する」
凜とした声と共に、ドアが開いた。そこには、眉目秀麗な男性が居た。白衣を着て、黒い髪を持っている。日本人だ。
男性は、しばらく辺りを見回した後、テラスに座り込む私を見つけた。
「では、『SR』というのはお前か」
「…」
「ん? …まぁ良い。私は斉藤 謙次。国際連合の研究者だ」
彼の名前に理沙は少し反応を示したが、何処かで聞いた事のある名前だったからだ。だが、「斉藤」なんてそこら中にある名前だ。大して珍しくない。
彼は、ゆっくりとこちらに近づいて来る。
「それで、君は『SR』なのだろう?」
「…」
「もしかして、そう呼ばれるのは嫌か?」
「…当たり前じゃない」
理沙は小さな声で言った。だが、彼の目が見れない。欲望に満ちた目を見るのが怖いのだ。
「どうした。大丈夫か?」
理沙が膝に顔を埋めた事で、Mr.サイトウの心配そうな声が響く。その声はとても澄んでいて、何処にも汚れはなかった。
「…斉藤 理沙です」
「え?」
「私の名前は、斉藤 理沙です」
「…斉藤 理沙?」
Mr.サイトウは顔をしかめた。それは、彼の妹の名前と同姓同名だった。あの犬飼さんに頼んでまで「消息」を聞きたがった大切な妹。今どんな子になっているかは知らないが、きっと元気で暮らしているはずだ。暮らしている、はずだーー。
「…まさか、ありえない」
「え?」
「君、兄は居るか?」
「…兄?」
ーーそういえば、孤児院の人がお兄ちゃんがどうのこうの言っていたような気がする。「良い人に引き取られた」とか。
「多分、居ます。でも、詳しくは知りません。誰も教えてくれなかったので」
家族については、孤児院の人は教えてくれなかった。兄弟姉妹が居たかさえも分からない。いや、孤児院の人達の反応から見て、本当は知っているけれど、教えられないーーもしくは口止めされているーーようだった。
セシルは兄のように慕っているーーいや、兄だと思っているが、よく知らぬ相手にそんな事を教えるのはヤボだ。
「そうか…」
Mr.サイトウは、実は14歳の時に、孤児院に来た犬飼さんに引き取られた。あれから12年は立っているはずなのに、犬飼さんはあの若々しさも顔も性格も全く変わっていない。正直、あの人が何歳なのか誰にも分からない。
「理沙、と呼んでも良いかな?」
「…どうぞ」
見知らぬ男性に、下の名前で呼び捨ては勘弁だったが、どう断っていいかも分からなかったので、了承してしまった。
「よければ、君の話をしてくれないかい?」
「…それは、貴方の方がよくご存知ではないですか?」
「聞きたいのは血の事じゃない」
「…それなら、貴方が先に話をしてください。貴方についての」
Mr.サイトウは、驚いた顔を見せていたが、すぐに微笑んだ。そして、戸惑う様子も見せずに理沙の目の前に座った。
「じゃあ、私の家族について話そうか」
「…はい」
「私には、教師の母と警察官の父と、14歳年下の可愛い妹がいた」
Mr.サイトウは優しく笑った。理沙は、笑い返せば良いのか迷ったが、結局無表情を保った。
「でもある日、昔警察官の父が逮捕した男が、家にやってきた。
彼は改心したはずだった。一人の人間を殺めたが、それを深く悔いて、反省してた。しかし、彼は父を憎んでいたんだ。
彼は父と母を殺した。私は、まだ生まれて間もない0歳の赤ん坊の妹を連れて逃げ出した。そして交番に駆け込み、助けを求めた」
「…」
理沙は、このままこの人に辛い過去を話させて良いのかと自答をしたが、Mr.サイトウは話し続けた。
「彼はすぐに捕まったが、私と妹には親戚がおらず、引き取り手もなかった。なので、孤児院に。
私はーー自分で言うのも何だがーーとても頭が良かった。警察のデータベースをハッキングし、両親を殺した男がどうなったのかを見る事だって出来たし、大学生用の難問を簡単に解く事が出来た。
そして1年後、孤児院に彼がやってきた。彼が、私の人生を変えたんだ。理沙も会った事があるはずだ。犬飼光彦。
彼は私の能力を見かねて、私を引き取り、自分の息子にした。だけど、名字は変えなかった。それに意味があるのかは分からなかったが、今思うとただの嫌がらせだったのかもしれない。
彼はとても有能だった。国際連合の人間で、誰よりも優秀。私はそんな人の息子になれて幸せだった。だが、一つ心残りがあった。
私は、まだ幼い妹を置いて来てしまったのだ。自分の能力を発揮する絶好のチャンスだった。私は自分の欲望に溺れ、本当に大切なものを自ら手放してしまった。
とまぁ、こんな感じだな。今は、妹の安否を確認しつつ、研究者として生きている。さぁ、次は理沙の番だ」
「…何を話せば?」
「何でも良い。だが私は…今の生活についてが聞きたい。不満などがあったら全部吐き捨てて構わない。私から改善するように犬飼さんにお願いしよう」
「…分かりました」
不満、と言えば大量にある。特に犬飼さんの事犬飼さんの事犬飼さんの事ーー。
「良いですか? 贅沢言っても」
「当たり前だ。理沙は大切な存在だからな」
「そう、ですか…」
「どうかしたか?」
Mr.サイトウは心配そうな顔をした。
「そういう…物扱いが嫌なんです。犬飼さんもそうですけど、私をただの材料みたいな扱い方しないで欲しいんです。確かに私は、薬を作る為の『細胞』を持っているにすぎないのですが、そういう扱い方されると…地味に傷つくんです…」
「分かった。皆には、キチンと一人の人間として接するように伝える。他には?」
「幽閉生活は…正直キツいです。締め付けられる感じで、全てを抑えられる感じで…。危ないのは承知してますが、もっと自由に生きたいんですよ…私だって、人ですから。こんな場所に居たら、精神的にキツいです」
理沙はため息をついた。セシルが居るからまだ大丈夫だが、もしこれで一人だったら、理沙はもうとっくに気が病んでいた事だろう。
「あぁ、犬飼さんは『監禁』するべきだとか言ってたな」
「あの人、本当に性格歪んでますよね。あ、すみません…お父さんの事…」
「別に構わない。あの人は父親ではないから」
「そうですか…」
「彼には、理沙の待遇をもっと良くするように言っておこう。それと、君の兄についても…」