未来のため
赤く旋律が染まった。
人生の歯車は何時狂ったのか。人生という名の旋律に、何時の間にか真っ赤な血が飛び散っていた。拭き取ろうと足掻いても、乾いた血が取れる事はない。
黒く鍵盤が染まった。
人としての心は何時狂ったのか。心という名の鍵盤に、何時の間にか真っ黒なインクがぶちまけられていた。拭き取ろうと足掻いても、乾いたインクは中々落ちない。
白く楽譜が染まった。
未来は何時見えなくなったのか。未来という名の楽譜が、何時の間にか真っ白に消されていた。音の示されていない楽譜を渡されても、何も弾けやしない。どうにか書き直そうと足掻いても、紙に滴るインクは水の中に溶け込んで行くかのように消えていく。
人生、心、未来ーー見えなくなり、全てが狂った。どれだけ足掻いても、伸ばされた手は掴む事は出来ない。
全てが狂うと、周りの人間まで狂わせてしまう。周りの人間の人生、心、未来を曇らせてしまうーーー
*
彼女の運命の歯車は、壊れかけていた。しかしそれでも、ゆっくり、確実に回っていた。幸せな未来を勝ち取るために、彼女は回る事を止めなかった。ある日誰かが油をさしてくれた。錆びて動きが鈍る度に、何度も何度も助けてくれた。
今彼女の歯車は、飽きるほどゆっくりではあるが、正常に回っていた。これが彼女の人生なのだ。いつ終わるかも分からない永遠の兆し。いつ途切れるか分からない輝く光。全てが怖くて苦しくて。でも、あの人がいたから彼女は生きる事を思い出したのだ。
死というのは不可思議で、その後どうなるのかも分からない。ただ理沙は、そんな事を考える意味がない。死ぬ事など、ないのだから。
セシルのおかげで、理沙は自傷行為を止めた。元の部屋まで戻ったわけだが、理沙の笑顔は見る事は出来なかった。細胞の効力も下がってしまい、国際連合は頭を抱えていた。すると、セシルはある事を連合に提案した。
「ねぇリサ、リサは勉強好き?」
「好きだけど…それがどうかしたの?」
「学校、行ってみない? 日本で言えば、『中学校』になるね」
セシルのアイデアは、至って単純なモノだった。ただ、理沙を学校に通わせ、友達や思い出を作る事で元気にさせようというだけだ。簡単にも思えるが、そのためには多大な資金と人員が必要になってしまう。理沙が学校に行くという事は、生徒から教師までの身体検査、周辺の警備ーーと面倒な事がたくさんあるのだ。
しかし、それでも連合は細胞の効力を上げたかった。故に、セシルは理沙を学校へ通わせるように仕向けろと命令されたのだった。
「うーん…あんまり人と会いたくない」
「でも、たくさん友達ができるよ。勉強も」
「…私はセシルがいれば幸せだし、勉強は本とかで学べるし…」
理沙がコミュ障だという事を忘れないでほしい。「私と貴方は友達よッ」みたいなベタな台詞は言えない。優しくゆっくりでも良いから話を聞いてくれれば、戸惑いなく友達になれる。でも、ティーンエイジャーが人の話をそんな風に聞くとは思わない。正直仲良くなれるか心配だ。
そして、現在理沙は14歳。中々のお年頃であるが、人嫌いというステータスが新たに追加されてしまったため、友人が出来ない自信が誰よりもある。
「ぼっち嫌」
「あッ…うん、そこは僕が何とかするから」
「それに、セシルとずっと一緒にいられなくなるのも嫌」
「そっか…僕と離れたくない?」
理沙は大きく頷いた。自分を何度も救ってくれたセシルに、彼女は酷く依存しているのだ。一緒にいなければ、不安で心が飲まれてしまう。もしセシルがいなくなったら、理沙は永遠に心を閉ざしてしまうだろう。
理沙は涙声になってセシルに抱きついた。まだ子供なのだ。細胞の影響か、容姿は一切変化せず、体格も変わらなかった。
「うん、離れたくない」
「じゃあ、僕と一緒だったら学校行っても良い?」
「セシルと一緒なら良いよ。でも、犬飼さん許さないだろうね…」
「彼からも許可は取ってるから。安心してリサ」
セシルは神様のような笑みを浮かべて、理沙の頭を優しく撫でた。理沙は全く笑顔を見せなかったが、セシルは彼女がうれしそうに笑っているように思えた。ただ、笑い方を忘れてしまったようなーー
理沙はただ首をコトンと傾げ、セシルの顔を見ながらこれから何が起こるのかを空想していた。
さて、問題はこれからだ。理沙は学校に通う事になる。しかし、セシルがどうやって一緒にいるのかが問題だった。護衛としてずっと教室の後ろにいては、怪しまれるし邪魔だ。それならどうするべきか? 犬飼さんに相談した所、自分で考えろと言われてしまった。
理沙が学校に通えるのは、二週間後。何だかんだ言って、彼女もその日を楽しみにしていた。
*
「制服って、ないんだね」
アメリカの中学制度はよく知らないが、留年だとか飛び級だとかがある事はある程度把握している。英語は完璧なので言語的には問題ないだろうが、本題は勉強に関してだ。連合の研究員に匹敵するほどの才能と知性を持っているが、日本とは違うやり方についていけるか彼女は自信がなかった。一応、最初の方は苦労しそうだ。
「セシル、私は学校では本名名乗っても良いの?」
「良いよ、リサ・サイトウ…日本の超大手企業の社長令嬢、アメリカに留学しました☆みたいな設定だから」
「設定…でも、社長令嬢ってだけで学校の警備が厳重になりすぎるっていうのも…」
「実はIQが2000越えの天才!」
「冗談だよね…?」
「いや、本当」
とんでもない設定は放っておいて、今日は学校へ行く日だった。通うのは、公立名門の「ウォターリス校」。聞いた話によれば、国連はその学校を周辺の土地毎買い取ったようで、完全にフル装備中学となってしまった。こんなので中学生活が楽しめるのか不安だ。ちなみに、理沙は中学三年生だ。
曰く、アメリカの学校には制服はなく服装も髪型も基本自由。宿題は多いらしいけど。アメリカの制度についてはよく分からないが、良い勉強になるかもしれない。
「さぁ、行こうか」
楽しめるのなら、国なんて大した問題ではない…か。