Procyon
読み方:プロキオン
意味:先立つ者
2人が帰って来て一段落し、パトリックが話し出したのはヒカルの予想に付かず離れずな事だった。1つはリン・シャオの話。そしてもう1つがチャールズ・べリオンの話だった。
「2人の話をする前に、まずは昔話でも1つ、どうかね?」
そう言って話し出したのは、彼の若かれし頃の話だった。
パトリック・ジョーンズが生まれたのは合衆国の外れにある田舎町だった。地図の上に名前があるのかすら危ぶまれるような辺境の地。そんな中で彼は育ってきた。そしてチャールズもまた、その中の1人だった。
子供の少ないその町で、パトリックとチャールズは親友であり好敵手であり、そして家族だった。何時間という時間を共に過ごし、何十年という月日を共に築き上げてきた。そして、そんな2人の夢は『ニューヨークへ行くこと』だった。
チャールズは町の中でも数少ない金貸し屋の息子だった。高い利息を付け金を貸し、儲ける。そのやり口は批判を多く買ったが、生きていくためには仕方のないことだった。
反対にパトリックは貧乏な農家の生まれだった。学校に行く金すらなかった彼は実は8歳まで文字が書けなかったのだ。だが、商売根性だろうか。計算だけは誰よりも早かった。3桁の掛け算までは空で答えられたし、それ以上も算盤を使ってしまえば朝飯前だった。そして彼は特に口がうまかった。どんな商品でさえも、彼の手にかかればたちまち売り切れてしまう。
そんな彼らがニューヨークの地に降り立ち、ましてやパトリックが大統領、チャールズが財務大臣になるなど、誰が考え付いただろう?実際、本人達もそんなこと思っても見なかった。
パトリックが「大統領選挙に出ようと思う」と言った夜、チャールズは「まさか」と一言だけ返した。そしてパトリックの目を見つめ「わかったよ」と答えた。町の住人は、皆、パトリックの出馬を応援した。そして次第に合衆国中の住人が彼の言葉の虜になった。出馬を表明していた元大臣達でさえ、彼に王座を譲った。
それから、もう10年あまりの月日が経とうとしている。長い大統領任務の最後にパトリックとチャールズは大仕事に挑んだ。
SSTO・JOURNEYへの搭乗だ。
発表当時、合衆国は荒れた。「国民を捨てる極悪非道な大統領」、「保身のために生きる田舎者」という言葉が飛び交っていた。だが「生命を懸けて全人類に告ぐ。私は希望だ」という言葉に反論を言う者はいなくなった。
そして彼らはSSTO・JOURNEYに乗り、2度と戻ることはないであろう地球に別れを告げる。いつか、2人で帰る、という叶う筈のない願いを込めながら。
そして。
「そして、あの日。リン・シャオが命の灯火を消した」
あの日からだ、とパトリックは呟いた。
チャールズとリンは両想いであった。何1つ邪魔はなく、穏便に2人の日々は過ぎていった。なのに。
リンを失ったチャールズはまるで人形のようだった。生きるために食事をし、排泄をし、睡眠をとる。それ以外のことは何もしようとはしなかった。
段々と骨っぽくなるチャールズを見るのが彼には耐えられなかった。
「暫し、休暇をとると良い」
それが最期の会話になった。
部屋から溢れる異臭に気づき、ドアを無理矢理にあける。
排泄物が所々に染み付き、その上に重ねて血の池ができていた。そしてその真ん中に大の字に なるようにしてチャールズが横たわっていた。身体中の血液や水分が抜けきった干物のようだったのを覚えている。
アンリが「ご臨終です」と言ったときの放心状態のパトリックを、ヒカルは今までに見たことがなかった。そしてこれからもないだろう。