Aldebaran
読み方:アルデバラン
意味:後に続く者
しんと静まり返る室内。ミキトだけが笑っていた。ヒカルは思う。きっと、パトリックから聞いているのだろうと。そして彼女は話し出す。彼女の中に眠る『記憶』を。
「私は今から25年前に生まれた。
生まれたとき既に母親はいなかった。私と交換に彼女は無責任にもこの世から生を絶った。無責任、というと怒るかもしれない。だけど許してくれ。私は母親の暖かさだとか温もりを知らない。生まれてすぐに無機質な機械の中に閉じ込められた。だから、無責任と言っても良いだろう? 彼女は『母親』としての勤めを果たし切れていない。
父親は私に男というものを教え込んだ。学校から帰れば特別授業が待っていた。それはわたしにとって快感でも何でもない。ただの動作でしかなかったよ」
チハルが手を握ってくる。それを握り返すことなく続けた。
「ずっとそんな家庭に育ってきた私にとっては、それは日常だったんだよ。当時は語り合える仲間もいなくてね。どれが正しくて正しくないのか、わからなかったんだ。
異常だと気づいたのはそれこそ大学への進学を決めたときだった。その頃から父親は私の『父』ではなく『パパ』になっていた。わかるだろう? 金さえ払えば身体も心も買えると思っている雑魚どもだ。それもその人の生き方だから否定はしないが、私は過去のこともあってあまり良しとは思えないのだ。
そして大学に入り独りで暮らし始めた。大反対を受けたがね。押し切ったよ。卒業したら何でも言うことを聞くと言ってね」
ヒカルは笑った。最早、ミキトも笑ってはいない。ここまでの話は想像していなかったのだろう。そう思うと余計に笑えた。
「そしたら彼は言ったのさ。『ならば結婚しろ』とね。船尾に眠る婚約者は私の父なんだよ」
そして彼女は気づく。自らの頬を伝う、少し塩辛い水の存在に。