第7話:沸き立つ疑念
とても道とは言えない道を下った先、王都の全貌を視界に収めることのできる見晴らしの良い場所で、彦丸はソフィアとカリーナと別れを済ませた。別れ際に教えてもらったお勧めの宿屋の位置と名称を記憶するべく、何度も脳内で反芻させながら自分もまた王都へと足を向ける。近づくにつれ、冒険者ギルドや噴水広場など、見覚えのある光景を目にすることができる。そのまま、更に歩くこと数十分、
「うーん……帰ってきたぁぁぁあ!」
第二の故郷とは程遠い、半日すら滞在していない場所だが、彦丸にとっては異世界初の都市。しかも公爵家姉妹との会話によれば国内一の活気と利便性を持つ王都だそうなので、彦丸は早々に"アタリ"を引くことに成功していたのだ。
気がつけば空は橙色に染まっており、太陽も沈んでいる。
空に浮かぶあの光源が太陽であるかは不確かだが、意味合いとしては何ら変わらないので、少なくとも自分の中だけならば問題なし。再び都市に入った彦丸は、まずは宿屋よりも先に、冒険者ギルドへ足を運ぶことにした。
僅か数時間前のことだというのに、その扉を開けば懐かしいものがこみ上げてくる。酒臭く、衛生面に気を遣っていないこと丸出しな冒険者ギルドの中身は、しかしどこかアットホームな雰囲気を醸し出していた。
ギルド前での公爵家救助の呼び掛けは既に消えている。人集りがなければ風に噂が流れてくることもなく、事は全て終えているような空気だった。ほんの少し前に別れた筈の二人が、公爵家の力を巧みに利用して事件終了の旨を関係者に広めていったのだろう。彼女たちがそのように手配すると言っていたこと思い出す。
ということは、恐らく彦丸の目的も達成できる。
「――ヒコマル・タナカ様ですね。報酬金を預かっております」
手回しの早さに舌を巻きながら、彦丸は受付嬢からパンパンに膨らんだ麻袋を受け取った。手渡しされる際に袋が上下し、ジャラリと貨幣の擦れる音がする。
大事にしたくないと願った二人の意志がそうしたのだろう。内密にとまではいかないが、彦丸が事件を解決したという情報は広まっていない。
ソフィアとカリーナは、お忍びという形で外に出たらしい。
学生寮に住んでいる彼女たちが学園の敷地外に出るにはかなり面倒臭い手続きが必要であることに加え、腕の立つ護衛を数人同伴せねばならない……と、なんともまあ窮屈が暮らしを強いられているのだ。二人が変装と裏道を駆使して学園を抜け出たところを、変なおっさんに誘拐されたというのが今回の事件の大まかな発端である。
「あの、ヒコマル様……」
おずおずと受付嬢が彦丸に声を掛ける。
まだ年若そうな女性だ。彦丸が冒険者登録しに来たときとは別人だが、制服や髪型が指定されているのだろう、遠目に見れば同じ人にしか見えない。
「これはその、純粋な興味でお尋ねしますが……それ、どうしたんですか?」
それと言いつつ指で差すのは彦丸の持つ麻袋。
より正確に言えば、その中に詰まっている大量の貨幣だろう。
「ふふん、教えてやろう。クラスの皆には内緒だぜ?」
「は、はい……!」
「実は――」
耳打ちするように、自分が公爵家を救ったことを教える彦丸。
それを聞いて驚愕に顔を染める受付嬢に、彦丸は満足気な笑みを浮かべた。次いで尊敬の眼差しを送られるが、ここで再度内密にと釘を刺しておく。
「さて、お次は宿屋だが……」
ギルドを出て、公爵家姉妹に教えてもらった道筋を辿る。
王都のど真ん中――城下町を下り、街の入り口付近にある来訪者や旅行客に需要を向けた宿屋。火を点ければあっという間に燃え尽きそうな木造建築であるのは変わらないが、丁寧な手入れが行き届いており立ち入りやすい外観だ。
賑わいを見せていた町並みも徐々に落ち着き始め、道行く人々は住宅街へと歩を進める。そんな中、彦丸は目の前に聳える一軒の宿屋へ入った。
「おお、意外に綺麗だ」
本音の篭った呟きを漏らすが、幸い誰も聞いていない。
丸テーブルと四つの椅子を一セットとして、それが二組あるフロント。部屋の隅には彦丸の知識にはない細長い形状をした竹のような観葉植物が置かれてある。壁に立て掛けられている武器類を除けば、旅館のような場所だった。
「一泊したいんだけど、まだ部屋余ってる?」
カウンターの向こうに立つ老婦へ声を掛ける。
宿屋に長居するつもりはない。学園への招待状が届き、入学が終えるまでの期限付きだ。何時になるかはわからないが、先程の報酬が既に用意されていたことを考えるとその手配もあまり時間がかからないだろう。それに、ソフィアが気合を入れている。
「お客さん一人かい? 食事はどうする?」
「俺一人で。食事は……そうだな、今日の夕食と明日の朝食を頼みたい」
「あいよ。千二百メルね」
銀貨が一千メルとなれば、その次に価値のありそうな銅貨が百メルか。
左手に持つ麻袋はまだ役目のときではない。後ろポケットから財布を取り出し、銀貨一枚と銅貨二枚を渡す。それを受け取った老婦から返ってきたのは、金属棒に適当な凸凹を拵えたような不細工な鍵だった。
「やっぱこの辺は、技術の差が滲み出てるよな……おっ!」
掌の上で転がる鍵が短く切った樹の枝のような、或いは少し太くなった爪楊枝のような物であることに元の世界との差を感じていると、フロントの隅にある本棚に気づいた。辞典のように重厚なものもあれば、王都ガイドブックなどもある。
彦丸の理解できる文字で書かれたそれらの内、ふと目に入るものがあった。
「すんませーん」
「はいはい、何の用だい?」
「ここにある本、部屋に持って行ってもいいか?」
「好きにしな」
正式に許可が下りたので、彦丸は一冊の本を手に持って階段を上がった。
鍵に記されている番号の部屋の前に着き、慣れない解錠の方法に手こずりながらも扉を開く。部屋の内装はシンプルであり、灰皿や冷蔵庫などはないものの、座布団や水を入れるためのグラスなどは完備されていた。全体的に、日本の旅館と比べればアメニティグッズの有無が代表的な差として現れている。
「あー……やっと、ゆっくりできた」
ベッドにダイブし、ゴロゴロと転がりながら学ランを脱いで放り捨てる。
天井を仰ぎ見ていると、自分がどれだけ張り詰めていたかを実感してしまう。異世界万歳、ハーレム最高、魔法最強、なんて盛り上がっていた自分の影には、数え切れない程の不安や疑念が渦巻いたのだ。中二病補正で予測はできても、実体験に勝るものではない。新鮮な体験は、得てして緊張なしには手に入らないものである。
あまりにも濃密過ぎる一日に、身体よりも心が疲労していた。
屋根から落っこちて死んだと思えば、駄女神と邂逅して人類最強の力と共に異世界転生を果たし、森で自然破壊をした小一時間後には冒険者登録。公爵家の救助だなんて滅多に無いであろう事件に出くわし、そこで影の立役者となった。
これら全てがたったの一日に凝縮されているのだから、頭がパンクするのも仕方ない。彦丸でなければ許容量オーバーでパニックを起こすところだ。
このまま瞼を瞑れば惰眠を貪る羽目になる。
そこで、彦丸はフロントから持ち込んだ一冊の本を読んで、睡眠欲を遠ざけるよう努力することにした。寝るのはせめて夕餉に舌鼓を打ってからにしたい。
「楽園の伝説、ねぇ……」
よっこらせ、と上半身を起こし、壁に背中を預ける。
辞典以下絵本以上の厚さであるその本の表紙を声に出して読み上げた彦丸は、ページを捲った先にある目次を飛ばして本編から目を通した。
「うまい具合に要点だけ絞られてるな」
冒頭の昔々がなければ、語り口調な地の文もない。
淡々とした説明だが、それこそが彦丸の欲しかったものだ。楽園に纏わる物語はカリーナの口から既に聞いているし、後はそれを補う知識を手に入れたい。
かつて楽園に行ったとされる一人の青年の話を元に、様々なイラストが加えられている。各ページの下部には活字による詳細な推論や検証の内容が綴られており、彦丸はそれらを上のイラストを組み合わせることで噛み砕いて飲み込んだ。
この世界の中心にある大陸――リィスエデン。
リィスエデンの更に中心部には大きな翡翠色の水晶体が存在し、それこそが楽園の入り口だと書いてある。絵によれば、成人男性の背丈程はありそうな球体状の水晶だ。
水晶体は廃墟と化した神殿の奥地にあるようで、そこへ辿り着くための扉の前に守護者が立ち塞がっている。守護者と表される魔物はあまりにも強く、恐ろしく、そして神の如き雄大さを持ちあわせており、筆者はこれを"人類が束になっても勝てないであろう最強の敵"と克明に記述していた。形状や特徴などは一切書かれておらず、まるでそれを書き綴るのが憚れるかのような筆者の心情が伝わってくる。
楽園への到達を悲願とする人類は、あれから何一つ進展していない。
どれだけ時間と生命を賭して挑もうが、守護者は未だ健在だった。
そんな悲壮感漂う事実が、隅の方に筆記されている。
しかし、絶望に彩られた文章が、次のページでは一転。
今度は楽園に対する夢を膨らませるかのように、楽園にどのようなものが存在しているかが懇切丁寧に説明されていた。十八禁のエグい内容を読み進めた直後に子供向け劇場を視聴するかのような落差に、彦丸は顔を歪ませる。
「人を乗せる鉄の馬に、全てを見通す不思議な箱。そして何よりも、この世界には我々の命を脅かす魔物が存在しない……か」
人類最強の力を持つ彦丸にとって、魔物の脅威は分かり辛い。
この世界に来て真っ先に出会ったあの狼のような魔物も、赤子の手を捻るかの如く簡単に殺してしまったものだ。そこに嫌悪感が存在しなかったのは、これまでの妄想の賜物としか言い様がない。流石に人は殺したくないが。
「……ん?」
彦丸の目が、そのページの絵を凝視する。
語り継がれた情報を綿密に整理した結果だろう、人を乗せる鉄の馬や全てを見通す不思議な箱など、それらの予想図が複数の説に基づいて描かれている。
ただ、あまりにも、その絵が――――。
「おいおい、ちょっと待て。……え? 嘘だろ?」
見知ったシルエットに、彦丸は動悸を加速させる。
得体の知れない不可思議な恐怖が身体を包み、嫌な汗が背中を垂れる。そんな筈がないと笑って済ませようと思っても、口角は上がらず、瞼は閉じてくれない。
思考回路が断絶し、彦丸の手から本が落ちる。ベッドに落ちたそれは重力と自らの重みによる反動で僅かに跳ね上がったが、すぐに掛け布団に着地する。彦丸にとっては不幸なことに、本のページは同じ場所で開かれたままだった。
「これ……車と、テレビじゃん……」