第3話:冒険者の仲間入り
焦げ茶色の椅子にどっかりと座り、酒の入ったグラスで乾杯する男ども。掲示板の前で乱雑に張られた用紙を指さし、真剣な面構えで相談するグラマラスな女たち。冒険者ギルドは活気と言うよりも、喧しさと陽気さが目立っていた。
僅かに反った板の床は歩く度に軋んだが、どこか風情を感じさせる。
幾つかの視線に晒されながらも、彦丸は酒臭い空気の中を突っ切った。
「こんにちは、ご用件をどうぞ」
「登録をしたいんだけど……」
「畏まりました。それでは、こちらの用紙に書いてある各項目にお答え下さい」
受付嬢から一枚の用紙を手渡された彦丸は、ふと疑問に思う。
そう言えば、どうしてこの国の文字は日本語なのだろう。いや、それどころか、こうして会話している言語も日本語だ。駄女神がそう仕組んだのか、或いは人類最強の力にそのようなオプションが入っているのかもしれない。
ふむふむ、と一丁前に熟読してみせる彦丸。
父は他界し、母は息子よりも保育園の園児たちに夢中。そのような環境下で長年生きてきた彦丸にとって、書類に経歴を記すのは手慣れたものだ。箇条書きにされた複数の項目に一つずつ、可能な限りは真実の、たまに嘘の回答を記述する。
名前……は、本名で良いだろう。この世界風ならば、ヒコマル・タナカとなる。
年齢も問題ない。迷うこと無く「十五」と書く。性別は勿論「男」だ。
次の出身だが、これは偽らざるを得ないだろう。国名や地名がわからないため、その他の記述欄に「祖父と二人で森に暮らしていました」と記す。
種族を問われるが、ここは「人間」と書いておく。
もしかしたらこの世界では人間を人間と呼ばないのかもしれないが、これだけ言語翻訳が行き届いているのだから、きっと通じる筈だ。
「よし、書けたぞ」
「ええと……ヒコマル・タナカ様。珍しい名前ですね」
「森に住んでたからよくわからん」
然りげ無く世間知らずをアピールしておく。
珍しくはあるが、前例がないわけではないのだろう。受付嬢はそれ以上彦丸の個人的な事情に踏み込むことなく、用紙を受け取ると同時に別の用紙を手渡してきた。
「こちらを読み終えた後、同意のサインをお願いします」
二枚目は、具体的な契約内容についてだった。
まずは登録者にとって利用可能なサービスの説明から始まり、次に互いの立ち位置、特に金のやり取りについては懇切丁寧に書かれている。冒険者ギルドは仕事の斡旋所であり、彼らは仲介料として依頼の報酬金額から数割程度の金を収入としている。そのための協力義務が生じることは勿論、依頼を請けるだけ請けて放棄されたら困るので、受注する際には契約金の支払いも義務付けられているようだ。
読み進めている彦丸の視線が、用紙の一番下で止まる。
万一、事故によって怪我が生じたり死亡してしまったとしても、ギルド側は一切の責任を取りません――早い話、「死んでも文句言うなよ?」と聞かれているのだ。
生粋の日本人である彦丸はこの物騒な契約内容に物珍しさを感じるが、臆したわけではない。なにせ、自分には人類最強の力がある。彦丸が死ぬ程の脅威ということは、ほぼ全ての人類が同じ道を辿るであろう状況だ。それは運が悪いとしか言い様がない。
最後にもう一度全体を見直した後、フルネームでサインを記して受付嬢に渡す。
「それでは、ギルドカードをお渡しします。こちらは冒険者ギルドの加入者であることを証明する他に、身分証明にも役立つので大切に保管して頂くようお願いします。念のため、間違いがないかご確認下さい」
日本でも良く見る、一般的なカード型の物を渡される。
薄くて軽いが、どうやら金属で出来ているようだ。表面に記された文字は彫られたものだろう。更新するときはどうするのだろうか? なんて疑問に思う。
記されている内容は、先程彦丸が書いた一枚目の用紙の答えだ。
特にミスは見当たらないので、顔を上げる。
「冒険者ギルドの利用方法については口頭か紙媒体によって説明が可能です。前者はメモの用意を、後者は千メル支払う必要があります」
「メル? ……ああ、貨幣の単位か」
メモも金も用意していないが、どのみち今はあまりのんびりしていられない。
後でもう一度訪れよう……そう思った彦丸だが、その前にズボンの裏ポケットに入れておいた黒い財布を取り出した。記憶が正しければ、中には二枚の千円札と五百円もない小銭が入っていた筈だが、それらは日本円。この場で通用する通貨単位ではない。
しかし、彦丸が開いた財布の中には、見たことのない貨幣が詰まっていた。
「……見直したぞ、駄女神」
代わりに本来入っていたはずの金は消えているが、最早そんなものは無用だ。
見慣れない貨幣は主に三種類に分けられており、それぞれ大きさは似ているが、材質は異なっている。最も多いのが灰色の石であり、次点では銅の円盤。そして数こそ少ないが、明らかに異色の輝きを放っている銀の円盤。
「ええと、これでいいのか?」
足りなかったら恥をかくだけなので、最も価値が高そうな銀色の貨幣を渡す。
ちなみに紙幣は入っていない。というかそもそも、この見慣れない物体が金なのか自体不明なのだが、態々財布の中に入っていたくらいだ。金と見て間違いないだろう。
「はい、丁度千メル頂きました。少々お待ちください」
事務的な返事をする受付嬢に、「あれ、おかしいな」と我に返る彦丸。
目的を完全に間違えている。今は貨幣の確認をするのではなく、公爵家の令嬢を助けるための手立てを入手する方が優先だ。とは言え、既にこの場を去っている受付嬢に今更そのようなことを言うのも申し訳ない。
「お待たせしました」
思ったよりも薄い冊子が手渡される。相場は理解していないが、それにしても手帳サイズの紙五枚で千メルとは些か高過ぎではないだろうか。この世界において、紙媒体は希少価値のある物なのかもしれない。
「依頼を請ける際には、あちらの掲示板からお選び下さい」
「了解。ちなみにここはいつまで開いてるんだ?」
「年中無休、いつでも開いてますよ」
「……お疲れさん。また来るよ」
ほんの一瞬、受付嬢が疲れた顔になったのを彦丸は見逃さなかった。
最後に受付嬢に礼を言ってから、彦丸は冒険者ギルドを出る。外の喧騒はまだ続いているから、募集は継続されているだろう。
「はいはい、立候補します! ギルドカードはこれ」
「協力感謝します。名前は、ええと……ヒコマル・タナカと。珍しいですね」
「それさっきも言われた」
兵士がペンで羊皮紙に彦丸の個人情報を書き写す。
「では、あちらの馬車にお乗り下さい。質問等はそちらの兵士へどうぞ」
返却されたギルドカードをポケットに突っ込み、少し離れた位置にある幌馬車の前へ向かう。世界史の教科書でしか見たことがなかった馬車だが、思ったよりも……普通だ。そう言えば、ここに来る途中に犬らしき動物を連れる老夫婦も目撃したし、ひょっとすると地球もこの世界も動物に関しては全く共通しているのかもしれない。
「馬車を出発させます! 準備を終えた方々はこちらへどうぞ!」
後方から別の馬車が来たところで、兵士が指示を出す。
どうやら丁度良いタイミングで来たようだ。
屈強な男や怪しげな女の間に挟まれながら、彦丸も馬車の荷台へ乗車する。
椅子もなく、薄い壁に小窓が一つといった狭いスペースだが、詰めれば十人は入れるだろう。全員が乗車し終えると、馬車が動き出し、荷台が小さく揺れた。蹄鉄が石畳を叩く度に心地よい震動が生じ、幌馬車特有のアーチ状の屋根が風に波打つ。
目的地に辿り着くまで暇なので、彦丸は状況を整理する。
今回の依頼は公爵家の長女、次女の救助だ。ギルドを介した緊急依頼とのことなので、勿論報酬は存在するが、金額は不明。しかし公爵家が直々に払うことは決まっているらしい。仮にタダ働きだとしても、それはそれで公爵家に借りを作ることができる。
しかし、報酬金や公爵家への借りよりも、もっと重要なものがある。
ぶっちゃけた話、彦丸は公爵家の長女と次女に個人的な興味があった。なにせ、貴族の御令嬢と関係を持つのはファンタジーのド定番。勇者が村人で、ヒロインは一国のお姫様で……なんて話、数え切れないくらい存在するのだ。
取り敢えず一目みたい。そしてあわよくば、お友達になりたい。
下心に満ちた思いが表情筋を刺激し、彦丸は「ふへへ」とだらし無く笑った。
「坊主、随分と楽しそうじゃねぇか」
突然隣の男に話しかけられ、吃驚する彦丸。
脳内を満たしていた妄想は霧散し、狼狽しながらも口を開く。
「あー……わかる?」
「そりゃお前、あれだけ気味悪い笑み浮かべてたらな」
「げ、顔に出てたか……」
「気づいてなかったのかよ……」
男が笑いながら足を組み替える。
人間にしては巨体の部類に入るだろう。スポーツ刈りと厳つい顔つきは見事なまでにマッチングしており、威圧感を与える。袖のない服から伸びる腕は太く、筋肉が盛り上がっているのが見える。戦いを生業にした、まさに「戦士」を彷彿とさせる風貌だ。
ただ、豪快な格好をしている割にはどことなく清潔感も窺える。
剃り残しのない髭はその最たる例だ。
「やっぱりお前も、好感度を上げようって魂胆か?」
「うぇえっ!?」
まるで見透かされたかのような男の言葉に、彦丸が変な声を出す。
確かに、彦丸の頭の中には公爵家の御令嬢に対して好感度を稼ぎたいという希望がある。そして、やがてはその好感度を元にしてどんどん交流を深め、ゆくゆくはキャッキャウフフしてみたいとまで考えている。まだ顔も名も知らぬ相手なのにそこまで妄想を膨らませれるのは、これこそが彦丸のライフワークだからだ。
「ははは! 隠すことはねぇよ。俺だってお前と同じだ」
その言葉に、彦丸は驚きのあまり絶句。
励ましているつもりなのだろう。しかしそれは、彦丸に対する好敵手宣言でもある。
そしてなにより……彦丸は自らが失念していることに気づいた。
「あ、あのー……つかぬことをお聞きしますが、俺たちの救助対象者の二人って、年齢はどれくらいなんですかね?」
目の前の男は見るからに三十代に突入している。そんな彼が好感度を稼ぐ相手となれば、普通に考えると同じく三十代辺りの女性となるだろう。彦丸は救助対象者の年齢を聞いていない。自分が熟女好きと思われているのか、それともこの男がロリコンなのか……判断がつかないところだ。
「んなことも知らねぇのかよ。さてはお前、他所もんだな?」
「まあな。そんなわけで、イマイチ情報に疎いんだ」
「しょうがねぇ。親切に教えてやるよ……長女は十五、次女は十二だ」
うわぁ……この男、ロリコンだぁ……。
筋骨隆々とした外見に実はちょっとだけ憧憬していた彦丸だが、彼の性癖を理解するや否やをその念を振り払う。この世界、想像以上に危険なのかもしれない。
「ま、あの二人がいれば"楽園"もかなり近づくだろうしな」
「楽園……?」
「おうよ!」
そんな「当たり前だろ親友!」みたいな反応をされても困る。
楽園とはつまり、ハーレムのことだろうか。だとすれば、ハーレム要員が増える的な意味で捉えると男の言葉も意味が通ずる。そう考えると少しだけ親近感が湧いてきた。
「ここだけの話、俺は救助対象者の二人とちょっとした顔見知りでな」
男が耳打ちしてきた内容に、彦丸は片眉を跳ねさせる。
眼前に迫る暑苦しい岩のような強面に、彦丸はこっそりと退いた。
「他所もんのお前に一つ忠告だ。いいか? 絶対に、姉と妹を間違えるなよ?」
「それは、どういうことだ?」
「公爵家の長女はな、ドチビなんだ」
一層声を潜めた男は、続けざまに真相を伝える。
「そりゃもう、妹よりも遥かに小さい身なりでよ。いつも妹と間違われるらしいぜ。しかも気が弱いから、間違われる度に萎縮して半泣きになるんだと。すると今度は、その妹がかなりのシスコンだから、姉を悲しませたと猛攻撃してくる。坊主も気をつけな」
下手すれば救助対象者に返り討ちにされる。
物騒な妹と面倒臭い姉だな、と思いながらも彦丸は頷いてみせた。
「……と、そろそろ目的地か」
いつの間にか山道に入っていたらしい。
男がそう告げるて暫くすると、幌馬車が動きを止めて兵士がこちらに顔を向ける。
「冒険者の方々にはこの辺りを捜索してもらいます。何か重大な情報が入れば魔力弾を上に放ちますので、もう一度この場へ集合して下さい」
兵士の説明が終えると、冒険者は各々が自由に行動を開始する。
詳しい内容は一切知らされず、まるで派遣員のような扱いを受けるが、やはりプロの命令を聞いた方が正しいに決まっている。他所の逃走経路では彦丸たちとはまた別の冒険者たちが行動しているのだろう。
「しかしこれは、素人が踏み込む場所じゃないな……」
馬車二台分の幅のある山道と言えど、その左右には広大な樹海が続いている。
次々と木々の合間に姿を隠す冒険者たちの後ろ姿を、彦丸は見送った。
「坊主、お前本当に大丈夫か?」
「大丈夫って、もしかして俺のことを心配してくれているのか?」
質問を質問で返すのは礼儀のない証拠。
元から礼儀を重んじようと考えていなかったからだ。しかし、仮にこの男が出会ってばかりの彦丸の身を案じているような人間であれば、今度こそは礼儀を正そうと思う。
「まあな。王都への訪問客ってのは、大抵が舞い上がってんだ。見たところ坊主はまだ学生だろ? 無理だと判断したらすぐに捜索を打ち切れ」
「意外と優しいんだな……今までの無礼をお許し下さい」
「今更敬語なんて止せよ。ぶっちゃけ似合ってねぇぞ」
「よく言われる」
どうやら自分は、想像以上に良い人物と出会えたらしい。
スポーツ刈りをガシガシと掻いて照れ隠しする男に、彦丸は気が抜けるのを感じた。
「そう言えば、まだ自己紹介してなかったよな。俺はヒコマル・タナカだ」
「ああ、俺は……ま、別に良いか。キアラン・サバドールだ」
暑苦しい握手には互いに興味がなく、簡素な挨拶ながらも確かな仲間意識を育む。
「んじゃ、俺はそろそろ捜索に入るぜ。ヒコマルも、無茶するなよ?」
「ああ。どっちが公爵家に気に入られても、恨みっこなしだ」
「おいおい。そこはほら、友人紹介とでも偽ってだな……」
馬鹿みたいな会話を済まし、キアランは樹海へ向かって行った。
その姿を、彦丸は最後まで見届け……。
「――さて。俺も動くか」
体内で蠢く膨大な力に、手を添えた。