第17話:魔法式
「……今日はやけに、機嫌が良いわね」
公爵家の次女様と二人っきりの勉強会で、教師役を務めるカリーナは怪訝な視線を彦丸に寄越した。既に薄暮と呼べる時間帯、彦丸は向けられた言葉に対して曖昧に返事を濁しつつ、思い出し笑いをする。数時間前のブレージとの応酬は、彦丸にとっては予想以上に面白いものだった。
「ま、集中できてるならそれで良いわ」
カリーナの指が教科書のページをめくる。
同じものを手にとる彦丸は、普段以上に意識を集中させていた。
以前の歴史に関するものとは違い、今日は彦丸の意思で他のことを学んでいる。
「ヒコマルは魔法について、どこまで知ってるの?」
「さっぱり」
カリーナの問いに対し、彦丸は両手を広げることで答える。
最初こそ知識不足を誤魔化そうとしていたが、教科書の中身を一通り読んで考えを改めた。流石にこの量、この複雑さは、騙しきれるものではない。
眼下にある魔法に関する教科書は他の教科のそれと比べても二倍近く分厚く、内容も簡単には理解できないものだった。
本日の授業科目は、魔法座学。
恐らく、彦丸が最も興味を持つ分野だ。
「魔法はまず、燃料となる魔力を消費することによって発動される」
定番の設定に大きく首を縦に振る彦丸。
この辺りは独学でも容易いし、意味も簡単に捉えることができる。要は、魔力と呼ばれる不可思議な力の塊に、一定の指向性を持たせることで行き先を与えているのだ。車のガソリンや導線を辿る電気など、幾らでも例えようはある。
「そして、魔力に与える指向性には幾つかの種類があるの」
「それが所謂、属性と系統ってやつだな」
「ええ」
大別して四系統。
更に分別して三属性。
計十二種類もの指向性を、この世界の住人は魔力に与えることができる。
「空、海、冥、魔の四系統を中心に、そこから先はそれぞれ三つずつ属性を保持する。例えば、空系統は雷属性、星属性、そして光属性の三種類が存在するわ」
全てを言うのは疲れるからそれで確認して、とカリーナは彦丸の持つ教科書に視線をやる。カリーナの表情が若干退屈そうなのは、この知識がそれだけ当たり前だからだろう。それでも中等部三年の教科書の最初のページに大きく書かれているのだから、これらがこの世界において非常に大切であることはわかる。
表形式で系統と属性を纏めた一覧に注目し、彦丸は「へぇ」と声を漏らす。
空系統の雷のように、他の系統にも水や地、炎など想像しやすい属性が存在している。中には門や幻など、少し他とは毛色の違うものもあった。ファンタジー要素たんまりなゲームをやり尽くした彦丸にとっては、まだ馴染みやすい範囲だ。
「問題は、この次の……」
ペラリと教科書を捲り、次のページを開く。
そこに記載されている内容を見て、カリーナは彦丸の言葉に続いた。
「魔法式。つまり、どういった特色を持つ魔法か、ね」
存外、この世界は魔法という神秘を科学的な思考と表現で検討している節がある。
得体の知れないものならば、それを正しく認識できるまでひたすら分類してみればいい。系統、属性、その上に加わる術者のイメージによる効能。これらを瞬時に理解するのは不可能に等しく、故にこの世界はそれらをカテゴライズした。
読んでみて、と言われ、時間を作られる。
言われた通りに視線を落とし、魔法式について記述されたページをざっと読んでいる内に、彦丸はすっかり熱中した。
「まずは、戦闘魔法……オーゲル式と、ディオル式ね」
比較的戦闘に活用できる二種類の魔法式が、このオーゲル式とディオル式だ。
たったの二種類しか分類が完成していない分、そこには明確な区切りがある。
相違点となるのは、魔法の媒体。
オーゲル式は自らや他者の肉体である一方、ディオル式は杖や魔導書といった、道具を用いるのが基本だ。媒体が身近である分、前者の方が扱いやすいが、同時にリスクも物理的、または精神的に近くなる。そのため、オーゲル式は近接戦闘や個人戦で真価を発揮できるものの、術者に深い集中力と、センスを求める。特に、他者の肉体を媒体にした魔法には一際繊細な操作が必要だ。
しかし道具ではなく肉体を媒体にしているため、戦況に応じて臨機応変な調整が可能。資本となる肉体を鍛えれば鍛える程、その力も上昇する。
ディオル式に関しては、かえって器用な操作は不要となる形式である。
遠距離間の戦闘を前提におくこの魔法式は、媒体が道具であることも相まって、暴発などのリスクをあまり考慮していない。なので毎回の如く全力全開で魔法を構築することが可能であり、当然威力も派手さも増す。
だが、その性質ゆえ、一発一発の予備動作が長い。
それを補うための低威力高効率な魔法も存在するが、それだと遠距離間ではあまり効果を発揮できない。速度を高めるにしろ、威力を高めるにしろ、何かを優先すれば何かを劣らせてしまう欠点を持つのがディオル式の難点だ。
「次に、特殊な二つ……クラフト式と、アステナ式」
特殊ゆえに、双方とも俗っぽい通称がある魔法式だ。
便利魔法と呼ばれるクラフト式の場合、大それた真似こそできないが、小さなことならばほぼ何でもできるという、万能という特徴を持っている。その具体例を挙げればキリがないのだが、特に日常生活の助けになっている場合が多いようだ。
飲水の生成から、異なる言語の翻訳。その気になれば、魔物を対象とした簡易的な罠を作ることもできるし、それを仕掛ける環境まで用意することができる。
とは言え、万能を手に入れるにはそれ相応の技術力が必須。
クラフト式は複数の属性を併用するものが多いため、会得難易度は高いらしい。
そして、アステナ式。こちらの通称は屁理屈魔法だ。
何ともまあ不名誉な通称を頂いているようだが、これにはわけがある。
何せこの魔法式、効果が「わけわからん」のだ。
世の中の全てを理屈で捉える思考の上で成り立つこの魔法は、その過程でとにかく机上の空論を並べる必要がある。水は空気に含まれているなら、その空気を常に吸っている私の喉が乾く筈がない、なんてわけのわからない主張をし、そしてそれを成立させてしまうのがこのアステナ式だ。実際そこには「水ではなく水素」だとか「水の量が少なすぎる」という否定の要素が存在するのだが、どうやらこのアステナ式は、そのような拒絶要素を排斥する効果を持つらしい。
勿論、こんな魔法を使える術者は、どいつもこいつも屁理屈者でしかない。
強力な個性を持つ魔法式だが、会得難易度はクラフト式同様、厳しそうだ。
「大体、私たちは目的が被らないように習得する魔法式を選択するわ。戦闘魔法なんてどちらか一つでいいし、屁理屈魔法は戦闘に転用できる場合もあるから、上手くいけば一つの魔法式に集中することができる」
「なるほど。得手不得手だけが全てってわけじゃないんだな」
「ええ。それじゃ、次のページに進むわよ」
指示通りページを捲り、そして現れた文章に彦丸の視線が釘付けになる。
「ウェヌス式……?」
「そう。存在する五つの魔法式の内、最も簡単なものよ」
ウェヌス式と呼ばれるそれについて書かれた文章は、他の四つと比べて最も少ない。数秒で全てを読み終えた彦丸は、カリーナの言葉が正しいことを理解した。
会得難易度も、使い方も、何もかもが簡単だ。
思い浮かべたイメージをそのまま貼り付けるだけで発動するという、お手軽な魔法式。故に年端の行かない子供ですら容易に扱うことが可能であり、大体の教育機関はまずこのウェヌス式を用いて人々に魔法を親しませるカリキュラムを採用しているらしい。魔力さえあれば、誰にでも行使できる。
「でも、簡単であるがゆえにこの魔法式は、無限の可能性を秘めているわ」
それこそ、簡単な話である。
単純であれば単純であるほど、奥が深い。
複雑化された他の四つの魔法式が一本の木の内の一つの枝だとすれば、ウェヌス式は木の幹にあたる存在なのだ。まだ複雑化される前の、人の手の加えられる前の、原初の魔法。他の何にもなれる可能性を持つ、大本の存在。
自分好みに加工することもできれば、その場の状況に合わせて一つの魔法を作ることも可能。全ての魔法はこのウェヌス式の上で成り立っているのだから、これを極められる以上、手の届かない魔法なんて決して存在しない。
しかし、他の四つの魔法式が生まれたことにも理由はある。
ウェヌス式は燃費が悪く、実用に向いていないのだ。効率や負担を考えていないからこその無限の魔法であり、それを人間が使うとなれば、加工は必須となる。
だからこそ、ウェヌス式を使い続ける人間は珍しいどころか、皆無に等しい。
計算式で例えれば、他の魔法式は公式を用いて式を短縮できるが、ウェヌス式はそれができない。四則演算のみで全てをこなそうとするから、計算量が多くなる。
「……」
暗黙する彦丸に、カリーナは気を遣ったのか、同じく口を閉ざす。
だが、彦丸は集中なんてしていない。胸に去来したのは、抑え切れない高揚だ。
ウェヌス式の概要を読み終えて、彦丸は確信した。
恐らく、自分は四つの魔法式で唯一、ウェヌス式だけを使用することができる。
そして、自分は世界で最も、ウェヌス式を使いこなせる人間だ。
知識のない彦丸が他の四つの魔法式を使いこなすのは不可能。だとすれば、ソフィアとカリーナを救ったあのときに発動したのは、紛れも無くウェヌス式だ。彦丸はこれまでに、イメージを貼り付ける方法以外の魔法の発動を試していない。
よって彦丸は、無意識の内に、最も非効率的な魔法式を選んだことになる。
ところが実際はどうだ。公爵家姉妹の救出には成功しているし、実際に魔法を使いこなせているという自信が彦丸にはある。
その要因は間違いなく、駄女神から貰った人類最強の力。
計算量が多くなれば多くなるほど、その性能は落ちてしまう。発動速度も、効果も、何もかもが劣るだろう。しかし、それを覆す程のスペックがあれば話は別。誰もが鉛筆と紙で計算する中で、唯一、彦丸は電卓を所持しているのだ。
「今日はこのくらいにしときましょ」
「もうこんな時間か。今日は面白かったから、時間の進みが速いな」
「いつもは面白くないと?」
「あ、いや、そういうわけじゃ」
「冗談よ。大体、あんたも楽しんでる場合じゃないでしょ」
ははは、と笑って誤魔化す。
落ちこぼれを演じるなら、今はひたすら不真面目を装った方がいい。ただ、守護者討伐を避けることが目的なら、そこまで落ちぶれる必要もない筈だ。守護者討伐にどの程度の実力を要するか分からないが、学園の生徒に声がかかるとすれば、精々、上位数人といったところだろう。
その数人にさえ入らなければ、問題はない。
何より、楽しかった。
思わず真面目に学んでしまうくらいには、魅力的な内容だった。剣と魔法。これぞ異世界の醍醐味だ。期待していたものを前にして、食いつかない者などいない。
「……試してぇな」
先に図書塔を出たカリーナの背を追いつつ、呟く。
我武者羅に魔法を使っていた今までとは違う。次は、ウェヌス式というものを意識して、魔法を使ってみたい。勿論、学校では駄目だ。自分が暴れ回すのに最適な場所はどこか、考える。
結論はすぐに出た。
なんだ、あるじゃないか。お誂え向きの場所が。