第0話:噂の彼は中二病(死人)
「ねえ、聞いてる?」
時計の短針が十二と一の間を差す時間帯、教室の片隅では二人の女子生徒が会話していた。聞き役に徹する……フリをしていた倉永里見は、忙しなく動かしていた箸を止め、頬張った白米を飲み込んでから顔を上げる。
「大丈夫、ちゃんと聞いてたから。ええと、隣のクラスの山田君の話だっけ?」
「ちがーう! やっぱり聞いてないんじゃん!」
そんなことを言われても、今は昼休みだ。
学生にとっては昼食をとるための時間なのだから、正しいのは里見の方である。
「そうじゃなくって……ほら、里見の幼馴染」
「……ああ、田中のことね」
山田も田中も似たようなものだ。
机に広げた弁当からプチトマトを摘んだ里見は、甘味と酸味を味わいながらも話題の中心である、自らの幼馴染のことを思い浮かべる。
田中彦丸。自分と同じ年で、しかもクラスメイトであるその男。
付き合いだけで考えればもうかなりの期間となる。お互い引っ越したこともなく、おまけに家が隣同士なわけだから、否が応でも関わりが生まれるのだ。
「あの中二病がどうかした?」
関わりがあるとは言え、特別な関係というわけではない。
寧ろその関係はドライなもので、赤の他人以上友人未満という距離感が里美と彦丸の間にはある。幼馴染なのだから、せめて友人以上恋人未満の関係であるべきだと述べる恋愛好きの友人もいるが、それは彦丸の本性を知らないからこその言葉だ。
里見が言ったように、彦丸は中二病である。
それも末期の患者であり、長年の付き合いを持つ里見ですら時折神経を疑いたくなるような行動を起こす男だ。一日に最低一回は奇行に走る彦丸の姿を見て育ったからか、里見は何事に対しても動じない性格を身につけている。
唯一、長所と呼べる長所といえば、面倒見が良いことくらいか。
保育士である母親から受け継いだ部分だろう。馬鹿みたいな問題児だが、その振る舞いは子供に人気だ。困った人を見捨てないその性格も好印象ではあるが、妙にキザったらしくなるのがムカつくので長所には含めない。
「うーん……まあ、里見は田中のこと嫌いみたいだし、言っても大丈夫かな」
「アイツのことを嫌っているのが条件なら、十分満たしてるわね」
何せ本人の目の前で嫌いだと発言しているくらいだ。
それでも懲りずに奇行に走るというのだから、里見個人ではこれ以上の施しようがない。自分が嫌悪感を抱いているというのに物ともしないその態度は、暗に里見のことなんか眼中にないと言っているようで、それはそれで腹が立ってしまう。
実際、腹が立つだけでそれほど嫌いというわけではない。里見の気持ちを一言に集約してみれば、「心配するこっちの身にもなってみろ」となる。
「ほら、私、今日遅刻したじゃん?」
友人が教室に顔を出したのは、ほんの数分前のこと。
昼食も家で食べてきたらしい。だから彼女は弁当に箸を向ける里見の隣で、暇つぶしがてら女同士のトークに花を咲かせているのだ。
遅刻と言えば、彦丸もまた本日は教室に顔を出していない。
学校をどこぞの青春モノの舞台だと勘違いしているあの馬鹿は、成績こそ下から数えたほうが早いものの、遅刻や欠席などは一度もしなかった。皆勤賞を取るなんて意図は聞いていないが、今日に限って唐突に休む理由も見当たらない。
単純に身体の調子が悪いのかと思うも、それはないと考えを一蹴する。
彦丸が体調を崩して寝込む姿なんて、生まれてこの方見たことがない。
「で、私学校に来る途中、田中の家の前を通ったんだけどさ……なんかね、凄い人集りができてたの。しかも救急車が停まっててさ……」
「……え?」
友人の口から放たれる物騒な単語に、流石の里見も動揺する。
救急車が停まっていたということは、とにかくそういう事態になったのだ。
昔からやんちゃだった彦丸とて、救急車の世話になったことは珍しい。彦丸がベランダから里見の部屋の窓に飛び移ろうとしたところ、失敗して足を踏み外し、落下したあの日以降か。呻く彦丸に里見は涙して母親に助けを求めたが、数時間後に部屋へ訪れたのはギプスを腕に装着し、満面の笑みを浮かべた彦丸だった。里見からしてみれば、心配するだけ損をした最低最悪の記憶である。
「それで私、こっそり盗み聞きしてみたんだけど……」
過去の醜態を思い出すと、里見は多少は冷静さを取り戻していた。
あの馬鹿は無鉄砲な餓鬼そのものだが、身体は丈夫だ。
だから、あの日のようにきっと、今回も無事――。
「田中、死んだらしいよ」
里見の口元に運ばれたミートボールが、ポロリと机に転げ落ちた。