タネは笛にございます
昨日、メイド長の笛の演奏に聞き入っていた魔王はいつもより遅めに目覚めた。
なんだか、昨日まで彼女を解雇しようかと考えて行動していたのだが、その気はいつの間にかなくなっていた。
あの笛の音がそうさせていたのかもしれない。
考えてみれば、勇者側に潜り込ませたスパイはことごとく情報を持ってこなかった。
皆、一様に勇者の笛の音を聞いたら途端に彼女に対する敵意というたぐいのものが喪失したのだという。
ひどい場合には、それだけの内容だけを手紙に書いて魔王城へ送り姿を消すものさえいた。
となれば、何かしらの術がかけてあるのだろうかと疑ってみたが、魔力の類は一切感じれなかった。
「まったくもって不思議なものだ」
あの笛は常にメイド長の手中にあり、彼女がそれを手放すことはない。
夜中に部屋に侵入して奪い取ろうとしたところであの抜け目のないメイド長のことだ。きっと、何かしらの対策は取っているだろう。
魔王は、大きく唸り声をあげながら窓の外を見つめていた。
*
真夜中の演奏を終えたメイド長は、自室のベットに腰掛ける。
「本当にこれには助けられてばかりね」
手に持った笛は魔王が予想した通り少々特殊なものだ。
この笛はある遺跡で発見されたもので生物の本質を暴き、それに対して忠実に行動させるものなのだという。
ある古文書にはこう記されている。その笛の音を聞けばたちまち心の闇は晴れ、人間の奥深くにある本当の心をあらわにするであろうと……
今回、これを使ったのは魔王の行動にある。
たった半年しかこの城で働いていないが、何度かあの手この手で追い出されそうになっていた。
そんなときはたいてい、数日後に魔王様が自ら足を運んできて、やはりお前は必要だったと言い出すのだ。
一見、人心掌握の類に見られるがそんなことをできるレベルの魔力は使わないため結局、ただの笛だろうと判断されることが多い。
まぁ考え方次第だ。
わずかな魔力でも感知できるような人間だったらこの笛の異常性を見抜けるだろう。
しかし、それは魔王ですらできない。
勇者だからこそできる技だといっても過言ではない。
ともかく、これを使ってこの城にいられるうちは自分はこの場所で必要とされているのだ。これまで多くの仲間たちはこの笛の音を聞いた途端にいなくなった。
本当は勇者と一緒に世界をすくおうなどと本気で考えていないということだ。
別にこれなど使わずに魔王城へ攻め入ったとしても結果が変わったかどうかわからない。実際にあの戦いの激しさからして、魔王と勇者の一騎打ちに持ち込まれた気がする。
「それにしても自分のそばにいてくれなんて驚いたわね……この笛のせいかしら?」
本当に悪意のない純粋な願いだった。魔王に対して笛の効果が継続しているのがかなり驚きだったが、数多くの魔族に対しても作用していたことも考えれば意外と不自然ではないのかもしれない。
ふと窓の外を見れば、城の周りには黒い積乱雲が広がってきていた。
城の高度は基本的に一定の高さを保っている。そのためにたまに雲の中に入るのだが、いかにも荒らしを起こしそうな雲を見て人松の不安を覚える。
「失礼します」
そろそろ寝ようかと思ったその時、水色の髪に真っ赤なリボンを付けたメイドが部屋に入ってきた。
それにしてもタイミングが悪い……だが、メイド長は嫌な顔は見せずにそちらに笑いかける。
「どうしたの?」
「えっと、昨日の演奏きれいでしたのーだから、教えてほしいの! 私もあんなふうに人を感動させられるような演奏をしたいのー」
恐らく、感動したというのはあの笛の音の影響が大きいのだろうが、ここで笛の秘密がばれるのもどうかと思ってしまう。
仕方なく、メイド長は練習用の笛二つを手に取り、一方をアクアに渡す。
「ちゃんと仕事はしなさいよ」
「わかってますのー」
少し外は暗いが、メイド長の部屋からは明るい音楽が聞こえてきて周りの者を和ませていた。
今日も魔王城は平和である。