1-2巨大な卵
それが一目で卵だと分かったのは、鳥類の卵特有の、あの片方の尖った長楕円球をしていたからである。いわゆる卵形だ。
だが、その大きさは桁違いだ。身長百七十メルチの俺が背伸びをしても、到底よじ登れそうもない高さ。
繁みの中に、でん、と据えられたその真っ白な卵は、まるで季節外れの雪の山のように見えた。
「すごいだろう? これだけでかい卵があれば、ドングリなんか食わなくても冬が越せるぜ!!」
お調子者のグラーは、すっかり得意になって、卵に片手をかけて、妙に格好つけたポーズをとっている。
「いや。ダメだな」
俺が冷静に言い放つと同時に、卵に掛けた右手をすべらせてグラーがずっこけた。
まったくおめでたいヤツだ。コイツのおつむの出来はどうなっているのか。
「な……ななな何でだよ!? お前、卵嫌いなのか?」
「バカ。こんなもの、どうやって保存しておくんだよ。いったん割っちまったら、すぐ腐っちまう。卵だぞ? どんなふうに調理したって、長持ちしねえだろうが。」
「だがよ……こんなの二人じゃいっぺんに食いきれねえし……どうする」
「ったく。少しは頭使えよ。コイツを料理すりゃあ、相当な量のカステラが出来るだろ? そいつをヴェアバールやシュヴァインに売りつけるんだよ。代金は、クリだ。」
「そっか。やっぱグーリは頭いいな。でも、どうやって売りつける?」
「ヤツら頭は悪いが、嗅覚だけは発達してるからな。調理すれば、臭いで寄ってくるだろ」
俺達は、卵を運ぼうと画策し始めた。
だが、これだけの巨大な卵である。運ぶ手段は、容易には思いつかなかった。
最初は手で持ち上げようとしてみたが、当然、持ち上がるはずもない。
コロを敷いて引き摺って行こうにも、卵の形状ではうまく丸太に乗らない。もっこで持ち上げて担ごうにも、どうにも大きすぎ、そして重すぎた。
「もういいよ。グーリ、このまんま転がしていこうぜ?」
「バカ。途中で何かにぶつかって割れちまったら、元も子もねえだろが!!」
「……そんじゃあ、ここで調理始めちまうってのはどうだ? 調理道具は持ってくりゃいい」
「お前、死にたいのか?」
俺は少し大げさに溜息をついて見せた。グラーには今の状況がまったく分かっていないらしい。
俺達は一刻も早く、卵をこの場から運び出す必要があるのだ。
こんな場所に、ぽん、と卵だけが落ちているわけがない。鳥は卵を巣に産むもの。つまり、おそらくは、ここが巣なのだ。
親鳥はラルギュースなのかギャイオスなのかは分からない。俺も、こんな卵を見るのは初めてなのだ。卵の形状から見て、少なくとも、爬虫類型のラドゥーンのものでないことだけは、間違いないだろう。
巨大鳥ってのは、俺の知る限りでは三種しかいないが、どれも繁殖力は低い。
飛ぶために体を軽くする必要でもあるのか、一度に一個か二個しか卵を産まないのだ。つまりこの卵は、その巨大鳥の産んだ唯一の卵と見て、まず間違いないだろう。
通常は高い山の岩棚に、石で囲いを作って卵を産むと聞くが、種類によっては、こうした平地の繁みに、そのまま卵を産むものもいるのかも知れない。
そして、鳥類は内生恒温動物だ。親鳥が、必ず卵をあたために戻るに違いない。
しかも巨大鳥類は、例外なく肉食なのだ。
自分の巣に帰ってみれば、大切な今シーズン唯一の卵を、いつも捕食しているフェルドラッテが勝手に調理していたとしたら、どうするのか?
俺が親鳥なら、間違いなくそいつを食い殺す。
つまり、いつ親鳥の帰ってくるか分からないここは、のんきにカステラなぞ焼いているべき場所ではないのだ。
その辺のことを、俺は、まだピンと来ていない様子の脳天気なグラーに、懇切丁寧に教えてやった。
「だだ……だけどよう……持って帰れなかったら、ここで作るしかねえじゃねえか……」
「だから!! 親鳥が帰ってきたらどうすんだって言ってんだよ!!」
「だってよぉ……現に今、帰ってきてねえじゃねえかよ。ここで帰ってくるかどうか見張っててさ、次に親鳥が出てったらすぐに調理にかかれば、その間に、カステラにして持ち出せるんじゃねえか?」
「…………なるほど。悪くない作戦だな」
たしかにグラーの言う通り、親鳥は何故か帰って来ない。
普通なら、雌雄交替で常時あたためるか、仮に巣を離れたとしても、十分と置かずに舞い戻ってくるはずなのに、である。大抵は、夫婦で卵を抱くはずの巨大鳥だが、もしかすると、雄か雌の片方が死ぬか何かして、いなくなったのかも知れない。
そういえば、死んだ親父に聞いたことがある。鳥の片方の親が死んだ場合、天敵の多い種類は、親は巣を離れない。
片親が卵を抱きっ放しになって、結局自分も衰弱死するか、自分の命を優先して卵を放棄するか、ってことになるらしい。だが、巨大鳥の巣を襲おうなどという、命知らずはほとんどいない。だから、卵が冷えない程度の時間、餌を採りに出かけてしまうことがあるのだ、という話であった。
「親父の話が本当なら……少なくとも親鳥は一日のうち、三時間は巣を空ける。狙うならその時だな……」
「え? え? どうすんだよ? グーリ?」
ぶつぶつと呟きながら作戦を練る俺に、グラーが目を白黒させながら問いかけてくる。
「今日はここで夜を明かす」
「ハァ!? こんなとこで!? 寒いし、親鳥が帰ってきたら食われちまうよ!!」
「バカ。親を待つってのは、お前が言い出した作戦だろが。大丈夫だ。あの繁みの中に穴を掘って隠れるんだ。俺達の毛皮なら、身動きさえしなければ親鳥には見つからない。」
「に……ににに……臭いで見つかるだろ!! 村が壊滅したのはそのせいだって、お前、言ってたじゃねえか!?」
たしかに、ひっそりと暮らしていた俺達の村が、ラルギュースに見つかったのは臭いのせいだった。だが、俺達の体臭のせいではない。
木の実が主食の俺達が、珍しく魚を捕らえたのが間違いだった。
干上がった沼にいた、巨大なムリュチ。
倒木を模してカムフラージュしていた村に、引き摺り上げ、村の全員で食った。
目立つし、危険なことは分かっていたんだが、これまでにも何回かやったことではあった。まさかラルギュースが、そのムリュチに目を付けていて、沼地から臭いを頼りに追ってくるとは思ってもいなかったのだ。
俺はこれまで何回も説明した、村が襲われた理由を、もう一度グラーに最初から教える羽目になった。
「分かったか? だから俺達が潜んでいても、親鳥には見つからねえんだ。今年の冬を、苦いドングリじゃなく、旨いクリの砂糖煮で越したいなら、言うことを聞け」
「う……わ……分かった……」
戸惑ったような顔で、何度も頷くグラー。本当に分かってるのかコイツは……
俺は苦虫を噛みつぶしながら、この後の作戦について頭を巡らせ始めた。
*** *** *** ***
俺達は、腹の底から震えるような、凄まじい叫び声と羽ばたきの音で目を覚ました。
一瞬遅れて、羽ばたきが巻き起こしたらしい突風が、俺達の潜んでいる繁みを激しく揺らす。
「親が帰ってきたのか?」
「あ……ああ。どうやらラルギュースらしい。なんか、卵を嘴でひっくり返してるよ。」
俺は、グラーがそうしているように、繁みから顔が出ないよう、そっと葉のすき間を大きくして外を窺った。
確かにラルギュースだ。あの特徴的な鶏冠と肉垂れ、体の割には小さな翼。村を襲った、地上性傾向の強い巨大鳥に、間違いない。
ただ、その羽色は見たことのない色彩ではあったが。
あれから五時間が経過していた。
長い。卵のあたため方から考えるに、おそらく、俺達が卵を見つけたのは親が立ち去った直後だったのだろう。もう数分早く巣に辿り着いていたら、親鳥が巣にいたに違いない。
そうなっていたら、俺もグラーも、今頃生きてはいなかったろう。知らないうちに命拾いしてたんだな……そう思うと、俺の背中を冷たい汗が滴った。
それにしても、このラルギュースの羽毛は、見れば見るほど美しい。
俺達の村を襲ったのは、味も素っ気もない茶色と白の羽毛を持つ個体だった。
だが、コイツは体の下半分が深い緑で、翼と頭は綺麗な模様の入った紅葉色だ。
それが卵の上に座り込むと、この森の色合いにとけ込んで、遠目ではそこに巨大鳥がいるとは見えない。
俺は、こんな体色のラルギュースがいるとは、聞いたこともなかった。
もしかすると、別の地域から渡ってきた別種なのかも知れない。
親鳥はどうやら、俺達には気づいていない様子だ。とりあえずはこれで作戦の第一段階は終わった。あとは、この親鳥が飛び立つのを待って、急いで卵を調理するだけだ。
などと思いながら見ていると、遠くから枯れ葉を踏みしめる音が響いてきた。
「お……おい、誰か来る……」
「しっ!! 静かにしろ。黙って見てるんだ!」
足音に気づいてしゃべりかけたグラーを、俺は声を潜めて制した。ラルギュースは視覚や嗅覚ほど、聴覚は発達していないが、それでも感づかれる恐れはある。
彼等は、真っ直ぐこちらに近づいてくるようだ。
昼をだいぶ回っているが、まだ日は高い。何者かは分からないが、おそらく、森に収穫に来た、別の種族のヤツらだろう。
そう思って見ていると、案の定、姿を現したのは、山歩き姿のヴェアバール三人組だった。
腰に下げた布袋は、ドングリか何かの収穫物で一杯になっている。
ヴェアバールは、体の大きな雑食の獣人だ。
主食は木の実や果物だが、肉や魚も食う。時には俺達フェルドラッテも襲って食う野蛮な連中だ。真っ黒な毛皮に、胸のあたりにだけ三日月型の模様が入り、その形や大きさは個体によって違う。
ヤツらはそんなところに巨大鳥がいるなどとは、想像もしていない風で、何か冗談を言い合いながら、和やかに歩いてくる。
足音が聞こえ始めたあたりから、ラルギュースはまるで石にでもなったかのように動きを止めていた。
実に見事な擬態だ。
もはや背景の林と見分けが付かない。なるほど、相手が自分より強ければ、そのままやり過ごし、食べられそうな相手なら襲いかかる、というわけだ。
ヴェアバールは筋肉質で、俺達よりずっと体格が良い一族だが、それでもラルギュースにとっては餌でしかなかったらしい。
前を行く二匹がラルギュースの横を通り過ぎ、少し遅れて一匹が通りかかったその時。
一瞬、ラルギュースの首が動いたような気がした、と思ったときにはもう、最後尾のヴェアバールの姿は無かった。
悲鳴も物音もない。呑み込んだ気配すら感じさせず、ラルギュースは元の姿勢に戻った。
そして口から、ぺっと何かを吐き出した。行き過ぎようとしていた二匹のヴェアバールは、背後に何かが落ちる音を聞いて、足を止めた。
「? おい、ジャック!? どこへ行ったんだ?」
振り向いた二番目のヴェアバールが、仲間の姿が見えない事に気づいて、二、三歩後戻りをした。
ラルギュースが吐き出した物の場所まで行くと、それを拾い上げ、しげしげと眺めている。
「ジャックの山刀じゃねえか……なんでこれだけ?」
「何やってんだ。置いてくぞ? いつもあいつは―――」
呆れたように腕組みをして振り向いた、先頭のヴェアバールの言葉はそこで途切れた。
最初の個体……ジャックと同じように、一閃したラルギュースの嘴に捕らえられたのだ。
「おい? ビーン? どこだ? お前まで消えちまったってのか? おい――――」
二番目を歩いていたヴェアバールは、きょろきょろと辺りを見回した。
間近でそれだけのことをしても、背景に完全にとけ込んだラルギュースの姿は、そのヴェアバールには見えないのだ。
「――――――――!!」
次に起きる惨劇は誰にでも予想できた。
思わず身を乗り出し、声を出しそうになっているグラーの口を俺は慌てて塞ぐ。
ここで声を出せば、俺達も餌食だ。
何も気づかないまま、うろうろと周囲を探し始めた最後のヴェアバールもまた、一瞬で消えた。おそらく、自分に何が起こったか分からないうちに、ラルギュースの胃袋に収まったに違いない。
「ひ……ひでえよ……グーリ、何で教えてやらねえんだよ?」
ひそひそと声を潜めて、グラーが怒りの声を上げた。
時には俺達を捕食する連中を、救おうってんだから、まったくグラーは度を超えたお人好しだ。俺は、呆れたように溜息をついて言った。
「バカか。お前もああやって食われてえのかよ?」
「そりゃあ……イヤだけどよ……だけど、あんなヤツ、初めて見たぜ? 本当にラルギュースなのか?」
「分からねえ。ただ、ハッキリしてんのは、アイツがこの森を餌場に決めて、繁殖しようとしてるってことだ。そして、あんなヤツが住み着いたら、俺達は安心して木の実拾いが出来なくなる。だけど、あの卵を俺達が盗ることで、アイツはこの森からいなくなるかも知れねえ。少なくとも、アイツの次の世代をつぶせることは間違いない」
「そっか。じゃあ、卵を盗ることは、森のみんなのためにもなるんだな?」
グラーは、感心したような顔で何度も頷いた。
「そんなもん知ったことかよ。俺達が、安全に暮らすためにはなる。それだけで充分だ。」
その夜、俺達は月明かりに照らされて眠るラルギュースを見つめながら、まんじりともせずに朝まで過ごした。