機械仕掛けの御伽噺
ほんの少しだけ未来の物語――。
てててててっ……。
老人ホーム“ヴィラ松風”の談話室に軽快な足音が鳴り響く。
床で毛づくろいをしていた三毛模様の機械猫が、耳をぴんと立て、慌てて椅子の下に逃げ込んだ。
「希於ちゃん、どうしたの?」
「走っちゃ危ないわよぅ」
肘掛け椅子で雑談を楽しんでいた二人の老婦人が、足音の主である小さな男の子に声をかけた。
「和代おばあちゃん、春子おばあちゃん!」
にこっとすると男の子の頬に笑窪ができる。子犬のように元気な希於に、老婦人たちは思わず目を細めた。
母親の美希によると四歳になったばかりだそうで、このくらいの子供は無条件に可愛いと言われる年頃である。
「あれ、ミケちゃんは?」
「希於ちゃんがびっくりさせるから隠れちゃったわよぅ」
ころころと笑いながら春子が手招きすると、機械猫はすぐにやって来て主の膝の上に納まった。そして、甘えるように頬をすり寄せ、喉を鳴らした。
機械猫――機械動物とは、生き物を飼いたくても飼えない場合にしばしば代用とされる、本物の動物にそっくりの人形である。発売当初は賛否両論、色々とあったが徐々に人気を集め、需要の高まりと共に低コストで増産可能になったため、次第に社会に浸透していった。ご多分に漏れず、このホームでも多くの入居者が愛玩していた。
「ミケちゃん、良くなったんだね!」
希於は目を輝かせ、春子の膝に顔を寄せた。
「あら、ミケの具合が悪かったの?」
事情を知らない和代が声を上げる。
「そうなのよぅ。この子も古いから、もう駄目だと思ったのよぅ。でもねぇ、いくらお人形でも悲しくてねぇ……。そしたら希於ちゃんが吉岡さんに相談するといいよ、ってねぇ」
「宏おじいちゃん、凄いでしょう?」
仲介役の希於は自分のことのように鼻高々に胸を張り、満面の笑顔を浮かべた。
「ええ!? あの吉岡さんが治してくれたの?」
和代は素っ頓狂な声を出して目を丸くした。
件の人物は偏屈で有名なのだ。特に親しい者もなければ、訪問客もいない。たいていは部屋に籠もっていて、老眼鏡を片手にPCに向かっている。ホームのスタッフが声をかけてもぶっきらぼうに受け答えするだけで、住む世界が違う人種だと誰もが敬遠していた。
「吉岡さんは昔、機械動物の会社の技術者だったそうなのよぅ」
春子は意味もなく手をぱたぱたさせながらミケの治療の様子を語った。和代が大袈裟なくらいに相槌を打って、話は尾ひれをつけて広がっていく。
希於は春子の肘掛け椅子に頬杖を付き、ミケの喉を撫でていた。時折、頭上で交わされる会話に頷いて、ミケに同意を求めるように笑いかけながら――。
「吉岡さん、喋ってみたら意外にいい人だったわぁ」
「あら、そうなの?」
「そうだよ! お話しすると大好きになれるんだよ!」
がばっと希於は立ち上がった。驚いたミケが春子の膝から飛び降り、椅子の下に隠れてしまう。希於は「あ」と口元を押さえ、春子を見上げた。
春子は笑いながら希於の頭を優しく撫でた。
「そうねぇ、希於ちゃん。ありがとう。お礼に飴あげるわねぇ」
「えええっ! ムシバイキンが来る~!!」
希於は一メートルほど飛び退った。彼は母親に厳しく躾けられているらしく、決して老人たちからお菓子を貰わない。この歳の子供なら好きだろうに「ムシバイキンが来るから要らない」が決まり文句なのだ。ムシバイキンとは虫歯の菌のことらしい。
「宏おじいちゃんとこ、お礼に行ってくるね! またね!」
子犬のように走っていく希於を、老婦人たちは「可愛いわねぇ」と目尻を下げて見送った。
――希於はついこの間、清掃職員として雇われた美希の息子である。本来なら保育園に入れるべきなのであるが、園に空きがないため仕方なくここで生活することになった。
初めは迷惑になるのではないかと心配された彼だったが、いつの間にか老人たちの人気者になっていた。
「宏おじいちゃん!」
ノックもなく希於は宏の部屋に飛び込んだ。
「何の用だ?」
PC机に向かっていた宏は軽く目線を扉に向け、すぐにまたディスプレイに戻した。眉間に刻まれた皺は老いためか、生来のものか。
希於は宏の無愛想な声を気にすることなく、とことこと近づく。左脇からひょこっと顔を出して、斜め下から宏の顔を覗き込んだ。
「ミケちゃんを治してくれてありがとう!」
「ふん、俺の専門は頭脳だ。駆動部の修理は専門外だ。……ったく、直ったから良かったが――」
「おじいちゃん、大好き!」
宏の仏頂面を気にすることなく希於が抱きつくと、座っていた回転椅子が、ぎぎいと軋んだ。宏はまだ介護の必要がなく自立した生活を送っているが、七十をいくつか超えた痩せぎすの体もまた、ぎぎいと音が鳴りそうだった。彼は眉根を寄せたが、しかし何も言わなかった。
希於はちゃっかりと宏の膝に納まると、宏を見上げて、にこりと笑う。
「ねぇ、おじいちゃん、お話して!」
「他をあたれ。ここは暇人ばかりだから大歓迎だろう」
「おじいちゃんがいい! おじいちゃん、彰の話をして!」
頬を紅潮させてせがむ希於に、宏は少しだけ困惑した表情を向けた。
彰は宏の一人息子である。妻に先立たれた宏にとっては、たった一人の身内であるが、もう十数年も音信不通だ。ゲーム会社を興して一旗上げてやると大見得切ったものの、あっという間に倒産させ、行方をくらませたままなのだ。そろそろ四十に手が届く歳になるというのに、一向に連絡を寄越す気配もない。
希於は彰の子供時代――とくに自分と同じくらいの歳の頃――の話を好んで聞きたがった。
しばらくぶつぶつと言っていた宏であるが、やがていつものように、わざとらしく大きなため息をついた。
「また彰の馬鹿話、かぁ? ダブルクリックが出来なくて悔し泣きしてたとか? 電脳ペットの犬に『いぬ』と名付けてたとか?」
「聞きたい、聞きたい!」
希於が身を乗り出して叫んだとき、部屋の扉がノックされた。宏が誰何すると美希だとの返事が来た。
「すみません。希於がまたお邪魔して」
三角巾の頭を深々と下げた。薄化粧で地味な印象の美希は、三十半ばという実年齢より少し老けて見える。お迎えが来てしまった希於はむくれつつも、とことこと美希のもとへと行った。
宏は美希を見て、微妙に口元を綻ばせた。
「希於は老いぼれども相手に、いい仕事してるな」
美希は一瞬、目を見開き、それから戸惑いがちに愛想笑いをした。希於は首をかしげて美希と宏を見比べ、困ったような顔をしてからにこりとした。
会釈して部屋を出ようとする美希に、宏が声をかけた。
「美希さん、チョコ持って行かねぇか? 俺一人じゃ食いきらねぇし、溶けかけたのをいつまで置いとくのもなんだからな」
サイドテーブルを指差す。そこに飾られた写真の前にチョコが積まれていた。一口サイズのチョコがキャンディのように一つずつ包装された、一口チョコと呼ばれるものである。
宏はそれらを無造作にビニール袋に突っ込むと、美希に押し付けた。
「奥様はチョコがお好きだったのですか?」
「ありゃ、気違いだったな。妻は職場の元同僚だったんだが、開発に行き詰ると一口チョコをガリガリやるんだわ。直接、手で触らなくていいからキーボードを汚さずにすむ、とお気に入りだった」
吐き出すように宏は言う。
「で、不摂生がたたって俺より先に死にやがった……」
美希は何とも言えない顔で相槌を打った。
希於を伴い退出する美希の後ろ姿に「ま、美希さんもチョコの食いすぎには注意しろよ」と笑いながら宏は言った。
ぱたん。
閉じられた扉に向かって宏は小さく独りごつ。
「……希於はチョコを食えんだろうからな」
元の静寂を取り戻した無機質な部屋で、宏はチョコの消えたサイドテーブルに目をやった。
ぽっちゃり眼鏡で童顔の妻、恵が、小さな枠の中から笑いかけていた。
『あなたって、喋らないわよね。それじゃ、誰もあなたのことを理解してくれないわよ』
遥か昔。話があると仕事帰りに誘われた飯屋で、彼女は言った。
『別に理解してくれなくていいさ』
なかなか本題に入らない恵に、尖った声を返してしまったように記憶している。
『もったいないわね。人は喋る生き物だから、複雑な意思伝達が出来るのよ』
『言いたいことはそれだけか?』
恵は視線を逸らせた。皿に残った焼き魚の尻尾を見つめている。
しばらくして、店員が皿を下げていった。勘定書きだけが残されて、やっと彼女は顔を上げた。
『私、転職することにしたの。PINO社よ。あの研究をやらせてくれるって』
『……そうか。良かったな』
口先だけで宏はそう言った。口の中が乾いていて、水を下げられてしまったことが悔やまれた。
『だから、残念だけど、これで――』
恵は再び視線を落として、口ごもる。
『……お前が傍にいないのはつまらねぇな』
追加注文する気など毛頭ないが、壁のお品書きを眺めながら宏は呟いた。
見えない左半身のほうから、恵の慌てふためく息遣いが伝わってきた。
『言葉が足りない人ね!』
横目でちらりと様子を伺うと、彼女はさっき食べた茹蛸のように顔を真っ赤にして頬を膨らませていた。
そして――。
転職しても、恵は宏の傍にいた。
昼下がりの談話室を紙飛行機が舞う。
もとは折り込み広告だったものが命を得たかのように、ゆっくりと優雅に飛び、部屋の端にあった観葉植物の上に着陸した。
「すごい、すごい!」
希於が大はしゃぎで紙飛行機を取りに行った。しかし観葉植物は背が高く、小さな希於には届かない。
爪先立ちする希於の背中に、車椅子の老人がきこきこと近づいた。彼は「どっこいしょ」という気合いと共に立ち上がり紙飛行機を取ると、希於の手にふわりと乗せた。
「征司おじいちゃん、ありがとう!」
「なに、希於坊のためならな」
にかっと笑う征司は、いつも「今日は調子が悪い」と歩行訓練をさぼる常習犯である。
そんなやり取りを少し離れたところで聞きながら、箒を片手に美希は深いため息をついた。
「希於の奴、すっかり人気者だな」
背後からの突然の声に美希は思わず、びくっと肩を上げた。振り向くと宏がいた。
「浮かない顔だな。……良心の呵責か?」
美希は、宏の顔を穴が開くほど凝視した。
「Cchio――機械人形か。名前の付け方が単純なんだよ。電脳犬に『いぬ』と名付けるような奴だから、仕方ないか」
宏は、ため息とも笑いともとれる息を吐いた。
「吉岡さん……?」
「学会誌を読んだよ。彰と美希さんの共著者で論文を投稿してたな。所属はPINO社。恵のいたとこだな」
宏は「場所を変えるか」と言うと、美希の返事を待つことなく自室へと向かった。美希は箒を握り締めたまま、黙ってついていった。
「……いつから、ご存知だったんですか」
勧められた椅子に座るなり、控えめに、しかし心持ち強い口調で美希は尋ねた。
「初めから、かね? 彰がPINO社に入ったとき、恵の元部下が連絡をくれたからな」
「何もかも、お見通しだったんですね」
美希は落胆したようにため息をついた。
「飯も食わない、便所も行かない。いつもにこにこ笑っている。そんな四歳児がいるわけねぇだろ。子供ってのは、もっと傍若無人で、うざったくて、ぎゃあぎゃあ泣くもんだ。……小さい頃の彰のように、な」
宏はちらりと恵の写真を見る。小さかった彰に二人とも振り回され、怒って、泣いて、笑って……。なんでこんな糞ガキのために苦労しなければならないのだろうと当時は思ったものだが、今は懐かしい。自然と頬が緩む。
「Cchioは、『夢』です。純粋で、何もかもが『大好き』と素直に言える、人間ではありえない存在です。人に好かれるように作られているから、人に好かれて当然――」
そこで、美希は一度、言葉を切った。そして、思いつめたように吐き出す。
「――ここにいる皆さんは、希於が本当の子供だと信じているから、優しくして下さるんですよね。……皆さんを騙しているんですよね」
希於が設計通りに好かれるほど、罪悪感を感じる。成功しているはずなのに、嬉しくない。矛盾した感情を美希はもてあましていた。
「さてな」と言いながら、宏はかつて自分が手がけた機械動物たちに思いを馳せる。それから、つい最近、壊れた機械猫を持ってきた老婦人がいたことを――。
「希於が人形と知ったら態度を変える奴は当然いるだろうが、俺は楽しいと思った。――Cchioの発想は会話による意思伝達だろ。言葉が足りん奴は世の中にごまんといるから、希於みたいな無邪気なお喋り人形がいてもいいんじゃねぇか」
「でも……」
「確かに希於も機械動物も作り物さ。奴らに心はない。奴らは仕様通りにしか動かない。けど、その仕様は、作った設計者の願いなんだ。希於の人間ではありえない純真さは、人は人に対してそうあって欲しいという……恵の願いだろ?」
機械動物シリーズが成功を収めたあと、恵は会話可能な機械人形の製作を提案した。可愛い仕草によって人を癒す動物たちに続き、会話によって人を癒す無邪気な子供の人形を考案したのだ。しかし会社は、役に立たない子供ではなく、人に代わって仕事をこなせる有能な秘書人形の企画を通した。失望した恵は、夢を求めて転職した。結局、在職中に完成を見ることはできなかったのだが――。
『機械人形より、人間の子供を作るほうが簡単ね』
いつだったか、苦笑しながらそう言う母親の恵を、小さな彰はきょとんと見つめていた。
宏はサイドテーブルを見やった。そこには新たに用意した一口チョコが積んであった。
「彰は俺たちに希於を見せに来たんだろう? 試験運用を兼ねて、な」
美希は黙って肯いた。
「……ったく、自分で見せに来いよ、馬鹿息子が」
「彰さんも、言葉の足りない人なんですよ」
「ふん」と言いながら、宏は皺の多い顔を更にくしゃっと皺だらけにした。
とん……とん。
遠慮がちなノックの音が響く。宏が扉を開けてやると、予想通りの姿があった。
希於は、もじもじと両手の指を絡ませていた。学習機能が働いているのだろう。ここに来たばかりの頃より人間臭い行動をとる。
なかなか部屋に入らない希於の手を引き、椅子に座らせた。希於は叱られた子犬のように俯いたまま、小さな声で呟く。
「……おじいちゃん、知ってたんだね」
「まぁな」
「美希、ここの仕事を辞めて、会社に戻るって。予定よりちょっと早いけど……」
ある意味、目的を果たしたからだろう。それで良かったのか悪かったのか。複雑な思いが宏の胸中を渦巻き、「淋しくなるな」と、自然に言葉が口をついて出た。
「彰に伝えてくれ。『いい加減、顔を出しやがれ』って、な」
希於は、こくんと頷いた。おそらく、そのまま伝えてくれるのだろう。宏は苦笑いをした。
しかし、次の瞬間、息を呑むことになる。
「彰は美希が好きなんだ」
宏は、まじまじと希於を見た。
彰の性格から考えて、美希に好意を抱いているのは予測していた。だが、それを希於が言い出すとは信じられなかった。心のない人形が、人の想いを感じ取るとは――。
「そうだろうと思ってたよ」
平静を保ちながら宏は答える。
「美希も彰が好きなんだ」
「それは……良かったな」
「でも、二人とも何も言わないんだ……」
希於は悲しげに宏を見上げた。
「なんで、お話しないんだろう? お話しすると、もっと大好きになれるのに」
真剣な眼差しを向ける希於に、宏は思わず破顔した。
「そんな、言葉の足りない奴の手助けをするのが、お前の役目だろ?」
その言葉を聞いた途端、希於は目を輝かせた。「うん、そうだね!」と、椅子から跳ねるように立ち上がり、宏に抱きついた。満面の笑顔を浮かべ、興奮したように続ける。
「そのうち二人は結婚するよね! そしたら、おじいちゃんのところに、ちゃんとチョコを食べられる孫が遊びに来るね! そうなったら、おじいちゃん、淋しくないよね!!」
宏は皺だらけの手で希於の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「お前が傍にいないのはつまらねぇな。……また、遊びに来いよ」
宏がそう言うと、希於は――……。
――希於は……宏を見上げ、目を見開いたまま、動きを止めた。
「な……?」
呆然と希於を見つめた。
Cchioの処理能力からすれば、これほど応答時間を要することはありえない。
停止か、異常終了か。
何にせよ、美希を呼んでこなければなるまい。
宏は足早に部屋を出ようとした。
そのとき――。
「おじいちゃん……」
擦れたような、しかし小さくとも力強い声に、宏は足を止めた。
振り返ると希於が顔をくしゃくしゃにしていた。
宏は初め、その表情の意味が分からなかった。否、直感的に感じ取ることができたのだが、それはCchioにはないはずの機能だと否定した。
希於は歯を食いしばるようにして、自分の服を握っていた。ぎゅっと目を瞑り、喉から小さな呻き声が漏れ出していた。小刻みに体を震わせ、全身で宏に訴えている。
「希於……」
宏は首を振った。
自分の直感は正しい。
ゆっくり希於に近づき、その小さな体を抱きしめた。
認めてやらなければ――。
これは希於がCchioの処理能力の限界まで引き出して作り上げた――涙こそ流れていないものの――泣き顔であると。
「……おじいちゃん、大好き!!」
希於は力いっぱい、宏にしがみついた。
ふん、と鼻を鳴らして宏は応える。
「俺も、お前が大好きだよ」
サイドボードの写真の中から、恵が二人に向かって笑いかけている。
『人は喋る生き物だから、複雑な意思伝達が出来るのよ』
何が複雑だよ。
宏は思う。
至極、単純なことじゃねぇかよ。……ったく。
恵に向かって宏は微笑する。
希於もまた、輝くような笑顔を浮かべていた。
――これは、ほんの少しだけ未来の御伽噺。
無邪気な機械人形が贈る……機械仕掛けの御伽噺――。
空想科学祭2011参加作品です。
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