00 プロローグ
「ごめん。同じ部署の人間とは付き合わないようにしているんだ」
それは真実だ。
だが 樋口いずみは退かなかった。
「じゃあ、じゃあ……同じ部署じゃなかったら考えてくれたって言うことですか?」
勿論。──うまそうな獲物は大歓迎だ。
「いくらかはね。──でも、やっぱり断ったと思う。まだ別れて2週間だからね」
「…………前の彼女さん、素敵な方だったんですね」
「そうだね」極上の味だった。
「分かりました。──今は無理だっていうことは」
その言い方に諦めは感じられ無かった。しかし樋口いずみは、こちらに背を向けて保管室の扉へと戻っていく。
──諦めないのなら、ここで摘み取った方がいいのか……
「樋口さん」
彼女を呼びとめた。
毎日顔を合わせるような人間と付き合うと、別れたあとが面倒だった。周囲にも原因を探られることもある。
踏み出して彼女との距離を詰める。
まださほどの飢餓感に蝕まれてはいない。が、喰えないことはない。
振り返ってこちらを見ている彼女の瞳が期待と不安に揺れている。息が感じられる程に近づき、彼女のその瞳を見下ろす。その体に手を回そうと──
ガチャリ
と後ろで扉の開く音がした。──邪魔が入った。
「ここにいたのか夜岸係長! 住由工房サンもう来てる」
同期の川和田が顔をドアから覗かせて言う。その時、もう樋口いずみとの間の距離は充分とっていた。
「13時半だったよな? 早くないか?」
私は川和田に尋ねた。彼はうなずいて
「まだ13時10分だ──けど、来ちまったんだよ」
と ぶっきらぼうな口調で言った。
ヤレヤレ……と足速に私は保管室を出て、応接室に向かった。
応接室のドアを、形だけのノックをする。
「入ります。失礼します」
告げて開けると、中には20代後半くらいのグレイのスーツの女性がいた。────女か。
「夜岸です。お待たせして申し訳ありません」
深く頭を下げて名刺を差し出す。ロングヘアを一つにまとめたその女性は両手で名刺を受け取り
「すみません! 実はこちらが勘違いしていたんです。13時だと思い込んで入って来てしまいました。13時半って……さっきメモを確認したら書いてあって…………」
そして、言葉は不自然に途切れた。
沈黙の長さから何があったのかと女性を覗きこむ。名刺を見つめていた彼女は顔をあげ──
「夜岸……連……くん?」
と問うように私の名前を読んだ。
何人もの女性達の記憶が巡ったが……分からない。素直に認めようと思った。
「すみません。分からなくて。──お名前をいいですか?」
彼女が心底おかしそうな笑顔を浮かべた。その顔すらも記憶にない気がする。
「分からなくて当然だわ。私変わったの。コンタクトレンズになったし、顎の整形もしたの。私──八ツ柳修子です」
"八ツ柳修子"
聞いた名前にハッとする──思い出した。
自分が何なのかようやく自覚し、"狩り"もなっていなかった頃だった。……無理もないが。まだ中学生だったから。
「綺麗になったね。八ツ柳さん」
心からそう告げて 優しく微笑む
────この"恋心を食す者"の 最初の恋人 に




