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名と役割のはざまで~覇道総裁中華財閥ロマンス~  作者: Furi0804
第1章 出会い

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第1章(18)選択/除夕の朝


### 昊天視点


春節休暇明け。

菲菲が資料を置き、一礼して下がろうとしたとき——

昊天が、ふと視線を上げる。


「……菲菲」


呼び止められ、彼女は足を止めた。


「祝宴の件だが」


短い沈黙。

昊天は書類から目を離さないまま、低く続ける。


「あれは……おまえの指図だろう?」


菲菲の表情は変わらない。

ほんの一瞬、まばたきが一度あっただけ。


「恐れながら。

 使用人と執事たちが、自然にそう動いただけでございます」


昊天は書類に目を落としつつ小さく息をつく。


「……そうは見えなかった」


ペンを置き、椅子にもたれる。

言い淀むような間があってから、


「正直に言え。

 俺は……助かった」


その言葉は、命令でも評価でもない。

ただの事実だった。


菲菲は一歩下がり、静かに頭を下げる。


「李家屋敷は、すべて昊天さまの繁栄をお支えするために存在してございます」


昊天は、わずかに眉を寄せる。


「……俺の?」


「はい」


即答だった。


「昊天さまが、誰を主と定め、誰の隣に立つか。

それを、屋敷は見誤らなかっただけでございます」


一瞬、昊天の脳裏に

李家のシンボルをまとう女の姿がよぎる。


「……そうか」


それ以上は問わない。

菲菲も、それ以上は語らない。


「下がれ」


「失礼いたします」


扉が閉まったあと、

昊天はしばらく、何もない空間を見つめていた。


(……俺は何もしていないつもりだったが)


そう思いかけて、

小さく、否定するように息を吐く。


(違うな)


——隣に立つと、決めただけだ。



---


扉が閉まる音が、静かに消える。


昊天は椅子に深く腰を沈め、無意識に片手で額を押さえた。


——除夕の前日、シンガポールから帰国した夜。


妻は何かを話したそうだったが、久々の再会に気が急いて、

「細かい話はあとにしろ」と強引に組み敷いた。


翌朝、陽の低い時間。

窓から差し込む淡い光と、

前夜から活けられたままの深紅の薔薇。


昊天の腕の中で目覚めた妻が、ぽつりと言った。


「……私、間違っているのかなって」


昊天は何も言わず、妻を見つめる。


「李家の女主人だって、あのとき言ってくれたでしょう。

なのに……春節のこと、何ひとつ任されなくて」


責める口調ではない。

けれど、哀しみのようなあきらめの混じった声。


「屋敷に招き入れられないのは、

 私がまだ……足りないからなのかなって」


「でも、それでも、いいとも思っていました」


昊天の眉が、わずかに動く。


「あなたが忙しいのは、知っていますし……

 わたしは、あなたの足を引っ張りたくなかった」


「ずっと、少し怖かったんです」


その瞬間、昊天は“守らなければならない”と思った。


——いや。


思い返して、昊天は小さく眉を寄せる。


(違う)


あのとき、彼女はすでに

立つ準備ができていた。

それなのに、


「……俺は」


昊天は、あの朝の自分の声を思い出す。


「お前が足りないと思ったことは、一度もない」


それは慰めではなく、事実だった。


「俺が判断を遅らせた。

 それだけだ」


妻は驚いたように目を上げ、

それから、ほんの少しだけ笑った。


「……じゃあ、今日は私もお連れくださいますか」


願いではなく、確認。


昊天は答えを考えなかった。


「当たり前だ」


——あの瞬間。


守ったのか。

守られたのか。


昊天は、今もはっきりとは言えない。


ただひとつ確かなのは、


(あの朝、俺は“当主”としてではなく)


(夫として、選んだ)


そして屋敷は、

その選択を、誰よりも早く理解した。


昊天は、ゆっくりと息を吐いた。


「……助かったのは」


俺だ。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


### 妻視点


こういう生活には慣れている。

龍騰グループ総裁として多忙な昊天は連日朝早くから出かけ、夕食をともにすることもまれ。

深夜に帰宅すればよいほうで、海外出張に出て、数日帰らないこともざらだ。

家事は通いのメイドがすべてやり、妻が手出しすることは何もない。


昼間はヨガやジムで体を整え、気になる展示会や映画があれば鑑賞する。

学生時代の友人と会うこともあるが、30代にもなればライフステージがそれぞれ異なり

予定を合わせることも難しくなった。

とくに、「覇道総裁の妻」となった今、友人たちの興味津々の問いにさらされるのは気が重い。


淡々と過ごす日常だが、名家の三女に生まれた女には、これが人生そのものだった。


小さいころから勉強はそこそこ。

将来ひとかどのキャリアを積みたいという志はなくーーいや、持つことは周囲にも望まれず。

名家の令嬢が多く通う中高を卒業し、周囲にあわせてオーストラリアに留学。

留学時代はラクロスに打ち込み、それなりに恋もした。


卒業後はふたたび「名家の三女」の日常に戻り、日々淡々と過ごした。

その間に、長姉は家付き娘として親の選んだ人と結婚。次姉も家格の釣り合った家に嫁いだ。

30代になり、名家の娘としては「嫁きおくれ」とやゆされる年頃になったころ。

降って湧いた「覇道総裁」との縁談。


家門に誇りをもつ両親は李家のような実業家を成り上がりと見下していたが、

威勢を放つ龍騰グループと縁続きになるのは家格の維持にプラスと判断したようだった。


そしてまた、上海のスカイラインを見渡す豪華なペントハウスで、


私は、淡々と日常を送る。


「あの方……李総裁の奥様では」


上流階級の妻たちが多く通う会員制のジム。

ピラティスのレッスンを終えると、そんなささやき声が聞こえた。


「あれほどのお家なら、いまは春節のご準備でお忙しいでしょうに、ずいぶん余裕がおあり」

「だってあの方、本宅にはいらしてないのでしょ」

「内向きは使用人任せで、別宅でのんびりお暮らしとはうらやましいこと。

私なんかこのところ、春節の宴の差配でてんてこ舞い、今日は2週間ぶりのレッスンよ」

「総裁も、愛妻には苦労をかけたくないのね」

「奥様も名家のご出身なのに、現代的なご夫婦なのね」


声のするほうをちらと見やると、噂話はふと消えた。


上流階級の家庭の妻がこの時期どれほど忙しいかなんて、言われずとも知っている。

両親の仲は冷え切っていたが、正妻としての体面を保つため、母は内向きの監督には力を入れていた。


春節は1年で最も重要な行事だ。


献立づくりや食材の吟味、贈り物や紅包を準備し、邸内を隅々まで磨き上げ、赤や金の装飾で彩る。

そうした新年の仕度はすべて女主人たる母の指揮の下で進められていた。


昊天は、私に本宅へ顔を出せとは言わない……。


年が明けたころ、週末にいきなり百貨店へ連れていかれた時は驚いた。

しかし、「李家の女主人にふさわしい装いを選べ」と言われ納得した。


しかしその後、一度も春節の話題が出たことはない。

そもそも結婚してから、李家屋敷を訪れたのは昊天に伴われて3度ほど。

昊天が海外出張のいま、ひとりでしゃしゃりでるような真似はすべきではない。


私は、周囲に望まれた女主人ではないのかもしれない。



——除夕の前日、昊天がシンガポールから帰国した夜。


春節はもう明日からはじまる。切り出すなら、今日しかない。

しかし、久しぶりに会った夫は焦れったそうに「細かい話はあとにしろ」と告げ、妻の唇をふさいだ。


翌朝、陽の低い時間。

窓から差し込む淡い光で目覚めると、こちらを覗き込んでいる昊天と目が合った。

流石に除夕の今日は、朝早くから出かける案件はないらしい。


その優しい眼差しの向こうには、先日贈られた大輪の薔薇が活けられている。

その紅い花が目に入ったとたん、なんだか涙が出そうになり、ぽつりと本音が出た。


「……私、間違っているのかなって」


昊天は何も言わずに妻を見つめる。


「李家の女主人だって、あのとき言ってくれたでしょう。

なのに……春節のこと、何ひとつ任されなくて」


責めるわけではない。

けれど、哀しみのようなあきらめの混じったような空虚な気持ちだった。

シンガポールにいるはずの昊天から花束が届いたとき。

離れていても見守られている、そう確信できた。

昨夜の情熱も、愛されていると実感するには充分だった。

でも。


「屋敷に招き入れられないのは、

 私がまだ……足りないからなのかなって」


何を言っているのか、自分でもわからない。

結婚と恋愛は別。政略結婚のお飾り妻でも構わないと選んだ道ではなかったか。


「でも、それでも、いいとも思っていました」


昊天の眉が、わずかに動く。


「あなたが忙しいのは、知っていますし……

 私は、あなたの足を引っ張りたくなかった」


わがままと思われて、真面目なこの人を困らせたくはない。


「ずっと、少し怖かったんです」


昊天はやや目を逸らし、考え込むようだった。

そして、


「……俺は」


ゆっくりと言葉を選ぶ。


「お前が足りないと思ったことは、一度もない」


きっぱりと。


「俺が判断を遅らせた。

 それだけだ」


妻は驚いて、目を上げた。


私を守ろうとしてくれていたのか。

さまざまな思惑が渦巻く、古い屋敷から。


「……じゃあ、今日は私もお連れくださいますか」


これは願いではなく、確認。


昊天は間を置かず答える。


「当たり前だ」


——あの瞬間。


私は、この人の隣に立とう。

この人が選んでくれた、あの華やかな鎧を身に着けて。


なにかを選びとることのない人生だった。

しかし今、私は、この人の隣という位置を選び取りたい。

そう、強く願った。



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