第1章番外 お見合い(妻ver)
(承前)高級ホテルの個室は、静かすぎて息苦しかった。
午後の陽が白いカーテンを透かし、テーブルに柔らかな影を落としている。
私は向かいの席に座る李昊天総裁を、静かに見つめた。
37歳。龍騰グループの覇道総裁。
写真で見た通り、端正で冷たい容貌。
でも、実際の彼はもっと……遠い。
挨拶の言葉を交わした瞬間、総裁の目は私を一瞬だけ捉えた。
「よろしくお願いいたします。」
私は微笑んで頭を下げた。
返事は小さく、「こちらこそ。」
それきり。
会話はすぐに両家の代理人へ移り、資産配分、グループの将来、子どもの可能性……すべてが数字と条件のように並べられた。
私は頷きながら、時折総裁の横顔を見た。
表情は変わらない。
まるで、ここにいないみたい。
(この人は、何を考えているのだろう)
留学時代、恋をしたことはあった。
優しい言葉をかけてくれた人もいた。
でも、結局「結婚と恋愛は別」と自分で決めた。
両親のように、冷え切った関係になるくらいなら、
契約として割り切ったほうが、傷つかずに済むと思った。
姉たちだって、そうしている。
それなのに、なぜか胸が少し痛む。
総裁の視線が、私を通り越して窓の外の上海の街並みに向いている。
まるで、私という人間を「見る」ことすら、避けているように。
(……嫌われている? それとも、ただ興味がないだけ?)
代理人が「では、これで合意とさせていただきます」と言う頃には、
私はもう、笑顔を保つのに精一杯だった。
総裁が立ち上がった。
「これでよろしいか。」
声は低く、無感情。
私は立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
総裁は振り返りもせず、部屋を出て行った。
背中が遠ざかるのを、ただ見送るしかなかった。
部屋に残された私は、ゆっくり息を吐いた。
代理人が「三娘、お疲れ様でした」と声をかけてくる。
私は微笑んで「ありがとうございます」と答えた。
でも、心の中では、別の言葉が浮かんでいた。
(……この結婚で、私は幸せになれるのだろうか)
総裁は、私を「妻」として見てくれないかもしれない。
それでも、私は決めたのだ。
私は窓辺に立ち、上海の空を見上げた。
形式だけの午後が、静かに終わった。
でも、私の「始まり」は、ここからだと思った。




