第2章(2)「家」の論理
龍騰大厦・最上階。
早朝の会議室は、まだ夜の名残を引きずっていた。
窓の外には黄浦江。だが、今日それを眺める者はいない。
「——以上が、今朝6時時点の状況です」
スクリーンに映し出された数字が、静かに場を凍らせる。
・海外ファンド三社
・名義を分散させた香港市場からの大量取得
・直近三営業日で、発行済株式の12.8%
「……完全に仕掛けてきましたね」
CFOが低く言った。
「市場では“叔父派が裏で糸を引いている”という観測が、すでに出回っています。
メインバンクのうち一行が、融資枠の再検討を示唆しました」
「噂の回りが、早すぎる」
昊天は、書類から視線を上げない。
数字を追っているようでいて、
彼の意識は“構造”を見ていた。
(取得のテンポが不自然だ。
単なる投機筋ではない。
——出口を、最初から決めている)
「株価は?」
「寄り付きで7%下落。
SNSと経済紙が煽っています。
“龍騰神話の終わり”と」
誰かが、舌打ちをした。
だが昊天は、表情一つ変えない。
「想定内だ」
淡々とした声。
「彼らは、支配権を取りたいわけじゃない。
“こちらが慌ててミスをする瞬間”を待っている」
会議室の空気が、少し変わる。
「——つまり?」
「自社株買いを打てば“防衛”、
第三者割当をすれば“縁故”、
どちらに転んでも、世論は叩ける」
彼はようやく顔を上げ、役員たちを見渡した。
「だから、今は何もしない」
一瞬の沈黙。
「……何もしない、ですか?」
「正確には、“彼らが想定している行動を、しない”」
昊天は立ち上がり、スクリーンの前に立つ。
「取得主体を洗え。
最終受益者、裏の裏までだ。
特に——」
指先が一点を示す。
「このファンド。
表向きは中東系だが、資金の流れが不自然だ」
CIOが即座に反応する。
「叔父派と繋がっている可能性が?」
「可能性ではない。
——確率の問題だ」
昊天は、冷静だった。
怒りも、焦りも、見せない。
ただ、相手を“盤上の駒”として正確に捉えている目。
「市場にはこう流せ。
“龍騰は、事業に集中する”」
「防衛策は?」
「必要になった瞬間に、最短で打つ。
それまでは——」
彼は一拍置いて、言った。
「こちらが“弱っている”と思わせておけ」
役員たちは、その意味を理解した。
これは防戦ではない。
「誘い」だ。
会議が終わり、全員が退出したあと。
扉が閉まる。
昊天は、ひとりになった会議室で、
もう一度スクリーンの数字を見た。
(「家」の論理を優先させた俺の過ちだ)
龍騰は、まだ倒れていない。
倒れる“ふり”をしているだけだ。




