第1章(6)すれ違い
### 昊天 & 妻視点
朝5時。
タワーマンションの最上階はまだ薄暗い。
昊天は、
寝室で深く息を吐いた。
隣では——
妻が静かに眠っている。
昨夜、自分の腕の中で。
(……これ以上、距離を近づけるのは危険だ)
触れた。
抱き寄せてしまった。
ひとつに溶け合うその温度を思い出すだけで、
胸の奥がざわつく。
(壊す。あれを続けたら……俺は必ず壊す)
“壊す”という言葉が、
昊天の頭から離れなかった。
父の死、母の死、裏切り。
自分に近づいた者ほど失ってきた人生。
だから——
(離れなければならない)
昊天はそっと妻の頬にふれる。
穏やかで、柔らかくて、無防備な寝顔。
(……すまない)
謝罪は声にならないまま、
昊天は音を立てずに部屋を出た。
朝7時。
妻は目を覚ました。
昨夜の温度がまだ腕に残っているような気がした。
胸の奥がふわりと温かかった。
ついに、
“夫婦になれた”。
そう思った。
けれど、隣には誰もいなかった。
枕に残る微かな温もりだけが、
昊天が確かにいた証だった。
妻はゆっくり起き上がり、
リビングに出る。
静かだ。
あまりに静かな空気。
昨日情熱にまかせて脱ぎ捨てたドレスはどこにも見当たらない。
メモが1枚置いてある。
「急な出張が入った。
しばらく帰れない」
几帳面な字。
説明も、理由もない。
妻は紙を持つ手を震わせた。
(……また、逃げたの?)
怒りではない。
悲しみでもない。
ただ、胸の奥の温度がすぅ、と静かに冷えていく。
昨夜の温もりを信じていたからこそ、
落差が痛かった。
——上海浦東空港。
昊天はプライベート機に乗り込む前に、
タブレットに目を落とした。
出張スケジュール。
会議。
報告。
全部、必要以上に詰め込んだ。
“仕事”という壁に逃げ込むために。
(……あのまま家にいたら、
俺はきっと、あのまま甘えてしまう)
甘えたら終わりだ。
弱さを見せたら戻れない。
自分は総裁だ。
人を守る側の人間だ。
妻は——
守られるべき側の人だ。
(俺の弱さに巻き込んではいけない)
昊天は自分に言い聞かせるように、
席に深く座った。
だが、胸の奥は痛かった。
彼の耳には、
昨夜の妻の囁きがまだ残っている。
——「離れなくていい」
拳を握る。
(……離れなければいけないんだ)
その頃。
妻はソファに座り、
昊天の帰らない空間を見つめていた。
カーテン越しに差し込む朝の光が、
やけに遠い。
昨夜、抱かれた腕の強さを思い返す。
唇に触れた、短い温度。
“おあいこ”と笑った自分。
とけあうような肌のぬくもり。
(あれは……夢だったの?)
いや、違う。
確かに触れた。
抱かれた。
昊天は“近づいてくれた”。
その事実は消えない。
けれど、
その一歩が昊天を怯えさせたことも、
妻は誰よりよく理解していた。
(時間が必要なんだ……
きっと、怖いんだよね。
ひとりで抱えてきたものが、あまりに重くて)
妻はゆっくりと息を吸い、
テーブルのメモをもう一度見つめた。
「しばらく帰れない。」
その言葉の裏に、
昊天の苦しさが混じっている気がしてならなかった。




