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名と役割のはざまで~覇道総裁中華財閥ロマンス~  作者: Furi0804
第2章 株価防衛戦

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第2章(10)帰る場所

古めかしい門構えの邸宅に黒い影が滑り込む。


ロールスロイス・ファントム。


運転席を降りた男がドアを開ける。

続いて後部座席から昊天が降りてきた。


スーツは朝の会見のまま。

ネクタイも、外していない。


使用人から昊天の来訪を知らされ、主人夫妻と長女が足早に玄関先へ現れた。


「李総裁……!」


「ご心配をおかけした」


静かな声。


「事の経緯は先ほど会見でご説明した通りだ。

……妻の、安全を確保していただき感謝申し上げる」


昊天は軽く頭を下げ、あっけにとられている人々の横をすり抜けた。


「李総裁!娘はもう……!」


騒ぎを聞きつけ、奥の部屋から駆け出してきた小猫は、あやうく廊下で昊天とぶつかるところだった。


「……旦那さま……」


昊天は小猫をまっすぐ見下ろし、


「案内しろ」


小猫は、その名の通り子猫のようなはずむ足取りで先頭に立つ。

きしむ音をたて、ドアをあける。


「……迎えに来た」


それだけだった。


家の者が何か言おうとするより早く、

昊天は私のほうへ一歩近づく。


「行くぞ」


昊天は私の手を取り、立ち上がらせた。

私は、何も言えずに頷いた。


その後ろで、小猫が一瞬ためらい、

慌てて私のピラティス用のバッグを抱え直す。


「お嬢様……」


「大丈夫」


そう言った声が、自分でも驚くほど落ち着いていた。


---


屋敷は、思ったより静かだった。


ロールスロイスの後部座席に昊天と並んで座る。

距離は近いのに、触れない。


小猫は車の外でどうすべきか迷っている。


運転手が手招きし、助手席を指差した。


小猫は一瞬こちらを見る。

昊天は、ちらりと視線をやっただけで、何も言わない。


それで十分だった。


小猫は小さく頭を下げ、助手席に滑り込む。


ドアが閉まり、

車は、音もなく走り出した。


私は、昊天の横顔を見る余裕すらなかった。

胸の奥が、ずっとざわついている。


——無事だった。

——でも、何が終わって、何が始まったのか、わからない。


昊天は、窓の外を見たまま、ぽつりと言った。


「遅くなった。すまない」


それだけ。


謝罪でも、説明でもない。

ただの事実の報告。


でも、それで十分だった。


---


ペントハウスに着くと、

私はようやく現実に戻る。


「……あの」


昊天が靴を脱ぐ手を止める。


「小猫は、実家に戻したほうが……。

あなた、自宅に人を入れるの、お嫌でしょう」


一瞬の沈黙。


昊天は、こちらを見た。


「おまえは、ここにいろ」


小猫が、びくっと肩を揺らす。


「俺は不在がちで、最近なにかと物騒だ」


淡々と、事務的に。


「向こうの家には、話をつける。

 菲菲に任せる」


それで話は終わり、という口調だった。


小猫は、慌てて深く頭を下げる。


「……ありがとうございます」


昊天は、もう見ていない。

ネクタイを外しながら、リビングへ向かう。


小さな猫が増えたところで、

もう神経が乱れるような状態ではない。


——それくらい、

彼はすでに、いくつもの修羅場を越えてきている。


私は、その背中を見ながら思った。


昊天が振り返った。


「小猫。俺が在宅している間、二階はパントリー以外立ち入るな。

俺はまだリモートで片付けなければならない案件がある。……お前らは、ゆっくりしてろ」


「はい!」


小猫が明るい声で返事した。


---


夜の9時を少し過ぎた頃だった。

リビングの照明は落とされていて、上海の夜景だけが窓の向こうで静かに広がっている。


階下のメイドルームのひとつを小猫用に整え、早めに休ませた。

昊天は書斎のデスクに座り、ノートPCの画面を睨んでいる。

会見後の残務処理——当局への追加資料確認、菲菲への追加指示、株価安定のためのIR草案。

まだ終わっていない。妻はパントリーで、湯を沸かしていた。


カップを二つ並べて、あたたかい紅茶にミルクを少しだけ入れて、そっと書斎のドアをノックした。

「……入っていい?」

昊天は画面から目を上げ、「入れ」と短く答える。

妻がカップをトレイに載せて入ってきた。

昊天の隣のソファに腰を下ろし、

カップを一つ彼のデスクに置く。

もう一つは自分の手元に。昊天は画面を一瞬止めて、紅茶に視線を落とした。

「少し休憩するとしよう」


昊天は少し困惑した顔でカップを手に取り、一口飲んでから、

「……熱いな」と呟いた。

妻は思わず笑ってしまう。

「淹れたてですもの」

昊天は軽く口角を上げ、

「悪くない」


それからまた画面に戻る。

キーボードを叩く音が、静かに響く。妻は隣で膝を抱えて、夜景を見ていた。

上海の灯りが、遠くで瞬いている。


「ありがとう」

何を言えばいいのか、自分でもわからない。

ただ、胸の奥に溜まっていたものが、少しずつ溶けていく感じがする。


「ありがとう。迎えに来てくれて……小猫も、連れてきてくれて」


昊天は画面を閉じ、椅子を少し回して妻の方を向いた。


「お前が待っててくれたからだ」

妻は目を伏せる。

「私、何もできなかったのに」

昊天は小さく息を吐いて、

「待つって、結構大変だろう」


妻は驚いて顔を上げる。

「今まで、ひとりで待たせすぎた」

昊天は手を伸ばして、妻の髪をそっと撫でた。

触れる指先は、意外に温かい。


昊天は再び画面を開き、

「あと30分で終わる」


妻は頷いて、ソファに深く寄りかかった。夜景が、静かに二人を包む。

書斎のランプの灯りと、紅茶の湯気が、

小さな温かさを灯している。

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