第2章(1)市場の拒絶
###第2章 登場人物
◎李昊天
龍騰グループの3代目。覇道総裁と評判のやり手。一方、李家の当主として一族の血やしがらみに抑圧されて生きてきた。そのトラウマで「人を幸せにできない男」と思い込み、感情を閉ざす。
◎妻
名家の三女として生まれた。留学経験あり、それなりに恋愛もしたが「結婚と恋愛は別」と覇道総裁の妻になった。 両親の仲が冷え切っており、あたたかい家庭への憧れがある。 優しいが他人に踏み込むことも、踏み込ませることもない。 昊天のトラウマに気づきながらも、静かに信じて待つ強さを持つ。
◎昊明
昊天より2歳年下のいとこ(父の妹の子) チャラい見た目・口調だが、根は情に厚い。 昊天とはスイスのボーディングスクールで一緒に青春を過ごした。常に「昊天兄さん」呼び。 龍騰ではリスク管理担当。昊天と対立する叔父派の監視が裏の役割。3人の子がいるイクメン。
◎菲菲
昊天の秘書兼ボディガード。冷静沈着、武道の達人。実は昊天が好き。 昊天の結婚を機に思いを完全封印し、あるじとして仕え続けることを決めるが、心は揺れる。
◎小猫
妻のお付きメイド。妻の実家の使用人で、結婚まで姉妹のように近しい関係だった。しかし、身の回りに人を増やしたくないという昊天の意向で、新居には着いていかなかった。
### 昊天視点
春節の華やいだ喧騒が過ぎ去った頃。
龍騰大厦、最上階。
朝の市況レポートは、いつも通り淡々と読み上げられるはずだった。
スクリーンに映る数字が、その前提を裏切る。
「——下げ止まりません」
誰かが言った。
それが誰だったか、昊天は覚えていない。
海外ファンドが動いた、という速報はすでに把握していた。
だが、市場の反応は想定よりもはるかに冷酷だった。
「……また【李家で内紛】か」
どこかのアナリストのコメントが、モニターの片隅に流れる。
それだけで十分だった。
海外ファンドが株を集めたからではない。
創業家が自分たちの会社を制御できていない
——その印象が、投資家を遠ざけた。
機関投資家がポジションを落とし、
個人が不安に駆られて投げる。
結果として、株価は滑るように落ちていった。
昊天は、誰にともなく呟いた。
「会社ではないな」
市場は、龍騰を見ていない。李家という物語を見ている。
それが、何より腹立たしかった。
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### 妻視点/日常の歪み
いつものジム。
いつものピラティス。
身体を伸ばし、呼吸を整える。
それだけのはずなのに、今日は妙に落ち着かなかった。
——視線。
直接向けられることはない。
だが、鏡越しに、何度も感じる。
「……ねえ、あの人」
「ほら、龍騰の……」
言葉は聞こえない。
聞こえなくていい。
着替えを終え、ロッカールームを出た瞬間、
胸の奥に、理由のわからないざわめきが広がった。
昊天。
——なにか、あった?
外に出た瞬間、
答えは用意されていた。
実家の車。
見慣れた運転手が、静かにドアを開ける。
「……三娘。ご帰宅を」
嫌な予感は、的中するものだ。
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### 昊天視点/銀行団
会議室は、空気が重かった。
数字の説明はできる。
リスクの構造も、今後の選択肢も。
それでも、最後に残るのは——
信用だった。
「総裁」
メインバンクの常務が、もったいぶるように口を開く。
「率直に申し上げますが……
業容拡大を、少し急ぎすぎたのでは?」
続く言葉は、予想通りだ。
「それに……お家騒動が続いている印象も強い」
「市場は、安定を好みます」
「外部の風を入れ、コンプライアンス体制を——」
昊天は、黙って聞いた。
彼らが会社を心配しているふりをして、
自分たちの債権しか見ていないことも、理解している。
だからこそ、最後の一言だけ、抑えきれなかった。
「——融資を求めて、三顧の礼で来たのは、あなた方だ」
一瞬、空気が止まる。
「本日のところは、以上です」
昊天は立ち上がり、会議を終わらせた。
背中に突き刺さる視線を感じながら。
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### 妻視点/実家
応接間の空気は、冷たかった。
総領娘として実権を握る長姉が、当然のように中央に座っている。
「……正直に言うわ」
姉は、ためらいもなく言った。
「あなたの結婚で、家格は下がった」
「あんな成り上がりと結婚するなんて」
父と母も頷く。
「——」
「しかも、もう終わりでしょう。龍騰は」
話は、すでに離婚を前提に進んでいる。
妻は、深く息を吸った。
「……私は」
初めて、声が震えた。
「私は、自分で選びました。夫を愛しています」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、
頬に、衝撃。
「愛だのなんだの、寝言はやめなさい」
姉の声は、冷たい。
「ここでは、あなたは“娘”でしかない」
その日から、部屋を出ることは許されなくなった。
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### 昊天視点/折れかける心
役員会は、続いた。
誰もが慎重な言葉を選びながら、
昊天の“統治能力”を測っている。
数字は出してきた。
会社も拡大させた。
それでも。
——結局、李家か。
深夜。
ようやく帰宅する。
照明の落ちたリビング。
「……?」
返事がない。
寝室も、書斎も、
妻の気配がない。
胸が、嫌な音を立てた。
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### 昊天視点/妻がいない
「菲菲」
電話口で、菲菲――秘書の声が一瞬詰まる。
「……実は」
運転手からの報告。
実家の車。
「なぜ、言わなかった」
責める声にならない。
代わりに滲んだのは、焦りだった。
迎えに行く。
今すぐに。
——いや。
思いとどまる。
今、自分が動けば、
妻は“弱点”になる。
逆恨み。
襲撃。
人質。
守るために、動かないほうが賢明か。
「……菲菲。昊明を呼べ」
電話を切ったあと、昊天はしばらく、その場に立ち尽くした。
会社も。
家も。
同時に、崩れかけている。
だが。
——選ぶ。
その夜、
覇道総裁・李昊天の反撃が、静かに始まった。




