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ソラスの尖塔  作者: るる
6/10

事情聴取

 ざくり、ざくり、と雪を踏みしめる音がふたつ、静かな森に響く。雪に覆われた木々の合間から、黒煉瓦の輪郭がぼんやりと浮かび上がっている。近づくにつれ、ソラスの尖塔は古い建造物というよりも、まるでこの森そのものの一部であるかのように見えた。人のために造られたはずのものが、人から忘れ去られた結果、自然に回収されてしまった。そんな印象だ。

「こんな場所に、本当に住んでいるんですか」

 低く、ややハスキーな女の声だった。ヴァーミリオンの髪を短く束ね、グリーンの布服の上から上等な革鎧を身につけたその女は、肩越しに背後を振り返る。腰には王国式の剣。動きに無駄はなく、歩き方一つとっても素人ではない。

「記録上は、な」

 応えたのは、少し後ろを歩く初老の男だった。灰色が混じった茶髪に丸眼鏡。外套の下には騎士団の制服を着込んでいるが、その身なりは戦場の人間というより、役所の人間に近い。彼は手にした書類の束を、雪除けの革袋から一瞬だけ取り出し、塔を見上げた。

「尖塔管理記録、第七十二項。居住者あり。詳細不明。更新、三十年以上前で止まっている」

「止まっている、というより……放置、ですね」

 赤毛の女――ユスティナは鼻で笑った。

「それで今回は、魔女の嫌疑、でしたか」

「正確には、村での事件の再発だ。住民の証言は曖昧だが……共通点がある」

「銀髪」

「そうだ」

 馴れたやり取りに、初老の男ーーフラスニイルは短く頷いた。

「尖塔に住む行商の娘。名はソラス」

「姓なし、でしたね」

「記録上はな」

 塔の足元に辿り着くと、風が一段と強くなった。吹雪の前触れだ。ユスティナは思わず外套を掴み、視線を鷹のように細める。

「……随分、静かですね」

「静かすぎる、とも言える」

 言いながらフラスニイルは扉を見つめた。分厚い木製の扉に鍵はなく、代わりに、意味の分からない古い紋様が刻まれている。王国のいかなる家紋とも一致しない。

「失礼するぞ」

 声をかけ、彼は返事を待たずに扉を押した。軋む音を立ててあっさりと扉が開く。

 中は、思いのほか暖かかった。石造りの床、簡素な家具、織機の痕跡。生活の匂いは確かにあるが、贅沢さは微塵もない。人が生き延びていくための最低限だけが、整然と置かれている。

「……女一人と、もう一人」

 辺りを観察しながら、ユスティナが低く呟く。

「少年、ですね。足跡が小さい」

 男は頷き、部屋の奥へと視線をやった。

「記録にあった。もう一人、少年がいる可能性がある。名はユイス」

「また、姓なし」

 二人は顔を見合わせる。

「偶然にしては、出来すぎです」

「偶然を疑うのが、我々の仕事だ」

 フラスニイルはそう言い、暖炉の上に置かれた小さな木彫りの黒猫に目を留めた。煤に汚れていないそれは、今にも動き出しそうなほど精緻で、妙に新しく感じる。

「……猫、か」

「魔女の象徴、ですね」

 彼女の声には、わずかな警戒が滲んでいた。

「象徴は、しばしば誤解を生む」

 歩を止めることなく、彼は静かに言った。

「そして、誤解は、時として人を殺す」

 その時だった。塔の上階から、微かに――唄声が、降りてきた。二人の騎士は同時に片足を半歩下げつつ、探るように顔を上げる。子供の声だ。冬の唄。春を待つ唄。

「……居ますね」

「ああ。しかも、逃げる気配がない」

 男は顎で行く先を示すと、グローブに包まれた二本指を下に向け、さっと円を描いてみせた。ユスティナも声を発することなく、ゆっくりと瞬きで返した。そうして階段へ向かう二人の背に、唄声が静かに重なる。

 これが、この尖塔に住む者たちと、王国騎士が初めて交わる夜の始まりであった。


⬛︎


 尖塔の中では、風の音が鈍く反響していた。外で吹き荒れる吹雪なら、厚い石壁に阻まれて直接は届かない。それでも、塔そのものが低く唸るかのように、どこか不穏な気配が漂っている。

 暖炉には火が入れられていた。それは騎士たちが用意したものでなく、ソラスが何も言われぬまま普段の手順で薪を組み、火打石を打っただけだ。ユスティナはその様子を見て、一瞬だけ眉を動かしたが、ついに何も言わなかった。火は、よく燃えた。まるでこの場所が、それを待ち侘びていたかのように。

「……座りなさい」

 初老の男――フラスニイルが、低く唸った。簡素な木の椅子が三つ。中央に彼、その斜め向かいにソラス、少し離れてユスティナ。塔の居間は決して広くないが、不思議と息苦しさはない。ソラスは椅子に腰掛け、膝の上で手を組んだ。指先がほんのりと温かい。

「まず確認する」

 書類を開かず、初老の男はソラスを見た。

「君は、この尖塔にいつから住んでいる」

「……分かりません」

 答えた瞬間、ユスティナが咎める視線を向ける。

「分からないとは?」

「気づいたら、ここにいました。ずっと、ここが帰る場所だった気がします」

 フラスニイルは、すぐには何も言わなかった。その沈黙の間も外の風が一際強く吹きつけ、窓がきしむ。

 ソラスは、戦々恐々としていた。悪い想像ばかりが頭を駆け巡っていた。例えば、子供達がソラスに言っていたような、火あぶりといった拷問である。だがその予想に反して、フラスニイルは――冷たい口調ではあったものの――乱暴なことをする素振りは見せずに、

「同居人は今、どこで何をしている」

 部屋の周囲に目を配せつつ尋ねる。少女の心臓がどきりと跳ねた。

「上の階にいる、と思います。……何してるのかな……。呼んできた方がいいですよね」

 腰を浮かせたソラスの動きを、いや、とフラスニイルは大きな手で制した。ひとりひとり問い質したい、ということだろうか。

「では、今日のことだ」

 言葉を切り替えた。

「村から戻る途中、森に入ったな」

 ソラスは、僅かに瞬きをした。

「……はい」

「理由は」

 矢継ぎ早の問いにソラスは言葉を探した。脳裏に浮かぶのは、雪の上に残る小さな足跡。規則正しく、けれど途中で消えていた、あの足跡。

「猫が、いました」

 ユスティナの指が、無意識に剣の柄に触れた。

「猫?」

「黒い猫です。森の中へ、入っていくのを見て……」

「追ったのか」

「はい。でも」

 そこで、ソラスはぴたと言葉を止めた。ユスティナの女の顔が苛立ちの色を帯び、慌てて机上に視線を落とす。

「でも、何だ」

「追っていた、という感じじゃ、なかったです」

 男の鳶色の目が、僅かに細められた。

「導かれていた、とでも?」

「……そうかもしれません」

 暖炉の火が、ぱちり、と音を立てる。その瞬間、ソラスの影が壁に揺れる。影は一瞬、猫の耳のような形を作り――すぐに、ただの人影に戻った。

 赤毛の女は、それを見なかった。

 初老の男だけが、確かに見た。

「森で、何かあったか」

 フラスニイルの声は、先程より明らかに低い。

「……何も」

 ソラスは力無げに首を振る。

「ただ、寒くて。でも、不思議と、怖くなかったです」

「魔力の自覚は」

「ありません」

 迷わなかった。嘘ではない。ソラス自身、本当に分かっていないのだ。

「だが」

 切りつつ、彼はソラスの指先を見やる。

「君は、震えていない」

 その言葉に彼女はびくっとして、自分の手を咄嗟に丸めた。確かに、吹雪の夜だというのに、指先は白くも、かじかんでもいない。

「……火の、近くだからでしょうか」

「違うな」

 フラスニイルは静かに断定した。

「魔女は、自覚した時点で魔女になるわけではない。世界の方が、先に気づくこともある」

 ソラスはその意味を理解できず、困ったように首を傾げた。

「君は、黒猫を見失った後、どうやって塔へ戻った」

「……気づいたら、扉の前にいました」

 まただ、とユスティナは思った。曖昧で、しかし一貫している。

「所長」

 彼女は小声になりながら言う。

「やはり――」

「いや」

 年季の入った太い首を横に振り、フラスニイルは短く遮った。

「この娘は、まだだ」

「まだ?」

「覚醒は迎えたかもしれん。だが選んでいない」

 ソラスは、二人の会話を半分も理解できていない。ただ、胸の中の深い部分が、微かに熱を帯びていることだけは感じていた。

「こんな唄があるだろう?

『悪しき魔女は 黄金がお好き

けれども黄金は 血のよに赤く

そして黄金はくすんでいる

悪しき魔女は 黄金がお嫌い

その黄金は キラキラと

その黄金は 輝いている』」

「一時期流行った唄ですね。私も口ずさんだことがあります」

「矛盾した唄のようにも聞こえるが」

 目を丸くさせ、きょとんとしているソラスを彼は一瞥すると、

「魔女は純粋なものが嫌い、ということさ」

 手元の羊皮紙に羽根ペンを走らせていった。ソラスは、心なしか男の口調が柔らかくなっているような気がして、ぱちぱちと空色の瞳を輝かせる。しかし、フラスニイルの表情はやはり険しいままで、これ以上のお喋りをする気も無いようだ。

 その時、階段の上から、軽い音がした。

 にゃあお。

 誰も猫の姿は見ていない。ただその瞬間だけ、吹雪の音が少し遠ざかった気がした。事情聴取が一段落すると、なんと被疑者ソラスが彼らに晩餐を用意したいと言い出したため、難しいものばかりだった騎士たちの表情に、苦笑が追加された。

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